12

あちこちの民家から朝ご飯の美味しい匂いが漂ってくる頃、私はハウオリシティのポケモンセンターを飛び出した。鞄の中には、沢山の小箱を詰め込んでいた。

ハウオリシティに建つ豪邸へと足を踏み入れた。品のいいおじさんに挨拶をして、階段を駆け上がり、キャプテンであるイリマさんの自室のドアを、叩いた。
彼の部屋には本棚がぎっしりと詰め込まれていて、テーブルの上には大きなパソコンがどっしりと構えていて、傍らには金色のトロフィーが光っていた。
宝石のために誂えられた何もかもを、くらくらとした気持ちで眺めていると、その本棚の間から、イリマさんが柔和な笑顔で挨拶をしてくれた。

「おや、キミは……」

「こんにちは、ミヅキです!」

名前を覚えてもらえないことなど、私にとっては当然のことだったから、「誰でしたっけ?」と尋ねられるより先に先手を打った。
彼は「ええ、解っていますよ」などと優しい嘘を吐いてくれるから、私も嬉しくなってニコニコと笑った。此処までなら、普通の人にだってできることだ。
だから私は今から、舞台から突き落とされないための「異常」というノルマをこなす必要があったのだ。このとっておきを、きっとこの宝石は気に入ってくれる筈だ。

「今日は、イリマさんにプレゼントを持ってきたんです!」

高らかにそう告げて、私は鞄から四角い箱を取り出した。モンスターボールが1つだけ入るくらいの小さな小箱に、白いリボンでラッピングを施している。
中にはたっぷりと綿を詰め込んでいるから、取り落としたところで中身は壊れたりしない。それでも私は両手を使って、大事に大事にそのプレゼントを彼へと渡した。
両手で小さな小箱を差し出す私に、イリマさんは不思議そうな笑顔を湛えながら、同じように両手を伸べて受け取ってくれた。

「ありがとうございます。今、此処で開けても?」

「あ、駄目!駄目ですよ。明日の朝まで待ってください。それまでは絶対に開けないで。私の、一生のお願いですから」

一生の、というところの語気を強めて懇願すれば、イリマさんは困ったように笑いながら「解りましたよ」と快諾してくれた。
私がほっと安堵の息を吐くと、彼はクスクスと肩を震わせて、不思議な言葉を私にくれた。

「それに、「一生」なんてものを使わなくても、ボクはキミのお願いを断ったりしませんよ」

「!」

「けれど困りましたね。キミが気に入るようなプレゼントを持っていればよかったのですが、残念ながら直ぐにはお返しができそうにありません」

本当に申し訳なさそうにそんなことを言うものだから、私は慌てて「そんなもの要りません!」と、階下に聞こえるような大声で否定してしまった。
驚くイリマさんの手にもう一度、しっかりとその小箱を握らせてから、踵を返して立派なドアに手を掛けた。ドアを閉める前にくるりと振り向いて、満面の笑顔で言い放った。

「イリマさんが私からのプレゼントを受け取ってくれることが、私にとって、かけがえのないプレゼントだから!」

アローラでキラキラと輝く、宝石のような人達の誠意に懸けてみることにした。
私が「大好き!」と紡ぎ続けてきた言葉が、どれ程の力を持っていたのかを確かめてみることにした。

リリィタウンにあるハラさんの自宅へと向かった。朝食を食べていたハラさんに小箱を差し出し、同じようにお願いをした。
ハラさんは豪快に笑って「約束は守りますぞ」と、私の一生のお願いを聞き入れてくれた。
何が入っているのですかな?と、不思議そうに小箱を揺らそうとするものだから、私は慌てて「繊細なものだから、あまり振り回さないでくださいね」と忠告しておいた。
宝石は砕けないかもしれないけれど、小石は、容易に割れるのだ。宝石のような人にはその脆さがきっと解らないのだ。

アーカラ島へは船で向かった。自らが歩いた場所をもう一度辿るようにして、町を、道路を、池を、山を歩いた。
スイレンさん、カキさん、マオさん、ライチさんにも小箱を渡した。同じ言葉で同じお願いをすれば、彼等はやはり笑いながら頷いてくれた。
マオさんは受け取って直ぐにリボンへと手を掛けようとしていたから、それを制するのに随分と苦労した。
「えー、今すぐ見たいなあ」と駄々を捏ねるように不満の声を漏らしながら、けれど彼女だって、私のそうしたお願いを無下にすることはしなかったのだ。
ライチさんはイリマさんと同じように「折角だからアタシからも何か贈ろうかしら」と、自宅の引き出しに手を掛けようとしたから、私は逃げるようにその場を去った。
待ちなよ、と彼女は私を引き留めてくれようとしたけれど、私は同じ言葉を告げて駆け出した。

お返しなんか要らない。だって私はもう、貴方達から十分すぎる程の施しを貰っているから。
大好きな貴方達が私のプレゼントを受け取ってくれることが、私の、かけがえのない喜びであったから。

時計が正午を示す少し前に、ハノハノリゾートの乗船所に少しだけ顔を出した。私を迎えに来てくれるエーテル財団の真っ白な船は、まだ来ていなかった。
ザオボーさんが此処にやって来るまで、あと4時間以上ある。鞄の中には、まだ皆に渡すべき小箱が残っている。
彼には最後に渡そうと思った。彼にだけは、「明日の朝まで開けちゃだめですよ」という制止は必要ないのだろうと心得ていた。
だってそんなことをしなくても、彼は私のようなお子様からのプレゼントなんて、気にも留めないだろうから。多忙を極める彼の生活の中に、この小箱は埋もれていくのだろうから。

……私が宝石だったなら、彼は嬉々としてこの包みを開けただろう。忘れ去られるのは私が小石だからだ、端役だからだ。解っている、解っていた。だから悲しまなかった。
私だって、そうした自分と同じような鈍い煌めきしか宿さない小石に興味などない。小石と仲良くしたところで、仲良く舞台から突き落とされるだけだ。
だから私は「大好き!」と叫ぶだけに留めておいた。その「大好き!」が同じ質量をもって私に返ってくることなど、端から望んでいない。
そして、数え切れない程に多くの相手に紡いだ「大好き」が、私のそれと同じ質量で返って来たことなど、一度もない。
小石は、同族の小石にも覚えてもらえないし、宝石になど相手にしてもらえない。当然のことだと解っていたから、私は悲しまなかった。悲しむべきところではなかったのだ。

リザードンを呼び出して、ウラウラ島に飛んだ。10番道路からバスに乗って、ホクラニ岳のてっぺんにある展望台へと向かった。
研究室兼、試練の間として使われているその部屋で、仲良く仕事の話をしているマーレインさんとマーマネに挨拶をした。
テーブルの上に置かれた2つのマグカップからは、コーヒーの鋭い香りが漂っていた。
寝ていないのかしら。眠気に嘘を吐かなければいけない程に、キャプテンの仕事は大変なのかしら。
そんな気遣いをしそうになったけれど、この宝石のような人に小石の言葉など不毛なだけだと思ったから私はそうした言葉を飲み込んで笑った。
「元気そうでよかったです」と、何も分かっていない振りをして、笑って、そうすれば彼等は私のことを、至らないただの小石だと思うだろう。それでよかった。仕方なかった。

全く同じデザインの白い小箱を二人に渡した。「明日の朝まで開けないでください」と言う私の懇願を、彼等は笑顔で聞き入れてくれた。
また、バトルをしようと言われた。マーマネにも、マーレインさんにも言われた。彼等は本当にポケモンのことが大好きなのだ。
ポケモンバトルも大好きで、だからこそ、ポケモンの預かりシステムを管理する仕事や、キャプテンを務めるという仕事に誇りを持っているのだ。
彼等を煌めかせているのは、そうした自尊心と誇りなのだろう。彼等は既に己の手の中に、磨くべき何かを持っている。磨けば光る何物かを持っている。
それが、宝石と小石との確固たる違いだと、分かっていたから私は笑った。笑って、仕方のないことなのだと思うことにした。

砂漠の道を抜けて、カプの村に辿り着いた。毎日のようにエーテルパラダイスを訪れていたけれど、その一方で私は確実に旅を進めていた。
アセロラから貰った、ゴーストタイプのZストーンは鞄の中で煌めいていた。こんなにも沢山の宝石を持っているのに、私はどう足掻いても小石なのだ。けれど、構わなかった!
だって私は今日、宝石になれるのだから。皆へのプレゼントは、宝石になってしまう前の私からの、小石の、ささやかな餞別であったのだから!

……けれど、そうした私の筋書きが少しばかり狂ってしまった。
エーテルハウスに入れば、ハウにリーリエにアセロラが一斉に私を見ていて、狼狽えながら「どうしたの」と尋ねるより先に、ハウが彼らしくない歪んだ表情で口を開いた。

「どうしよう、ヤング―スがスカル団にさらわれちゃった……」

「え……」

「オレ、連れ戻しに行きたかったんだけど、駄目だった。スカル団のプルメリさんって人が、ミヅキじゃなきゃ駄目だっていうんだ。ボスがミヅキを呼んでいるっていうんだ」

ふわっと、得体の知れないものが私の身体を満たした。息が出来なくなる程の衝撃だった。本当に息を止めていたらしく、茫然と沈黙していた私をくらくらとした眩暈が襲った。
自分が今、立っているのか倒れているのか、立ち止まっているのか歩いているのか、よく解らなくなった。「私」を、図り違えそうになっていた。
それ程の思い上がりを抱かせるに十分な威力を、ハウのその言葉は持っていたのだ。

私を呼んでいる。私が、呼ばれている。

ミヅキさん、行ってはいけません!危険です、相手はスカル団なんですよ」

「解っているよ、危険なんだよね、危ないことなんだよね。だから行くんだよ。私しか行けないところだから、行くんだよ」

鞄から小箱を取り出した。ハウの震える手に、アセロラの小さな手に握らせた。
なあに?と首を捻るアセロラと、小箱を両手で大事そうに持ってくれたハウに、今日だけでもう何度も繰り返してきた言葉をもう一度だけ告げて、笑った。

「明日の朝まで絶対に開けないでね。私の、一生のお願いなの」

一人、小箱を渡されなかったリーリエは、不安そうに視線を泳がせてから私を見た。
彼女は本当に心の優しい子だから、私のような小石からのプレゼントでも、貰えないことに不安を覚えてしまうのだ。
心の綺麗な子だった。宝石みたいな子だった。美しかった。眩しかった。
けれど大丈夫。リーリエにもプレゼントを用意している。ポケモントレーナーではない彼女には、ハウやアセロラと同じプレゼントは渡せない。彼女に渡すべきものは、他にある。

綺麗な、傷一つない手を取った。私の、土の匂いのする傷だらけの手で触れることが躊躇われる程に、彼女の手はやはり宝石を極めていて、美しかった。
鞄から銀色の指輪を取り出して、その薬指に通せば、彼女の目が驚きに見開かれた。
やはりこの指輪は此処に収まるべきだったのだ。私ではいけなかったのだ。解っていた。もう構わなかった。

「リーリエ、私、大好きな貴方の代わりができて本当に嬉しかった!」


2016.12.23

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