10

ウラウラ島の南、赤い土の広がる荒野でハウとグラジオに再会した。
ハウとのポケモンバトルは相変わらず楽しい。グラジオの斜に構えた物言いは相変わらず面白い。
島キングの孫と、スカル団の用心棒。彼等もまたキラキラと輝いていた。
彼等を宝石と呼ぶことは少しばかり躊躇われたけれど、それでも宝石に違わぬ輝きを、それこそ月や太陽のような輝きをその身に宿していることは明白だった。

「スカル団がコスモッグというポケモンを探している」

だから、そんな月のように煌めく彼から「コスモッグ」という、宝石を思わせるポケモンの名前が零れ出たことに、私は微塵も驚かなかった。
ああ、やはりルザミーネさんの息子はこの子なのだと、貴方はあの真っ白なお屋敷で、宝石を食べて生きてきた人間なのだと、いよいよ納得するに至ったのだ。それだけだった。

「グラジオはいいなあ」

「……下らないことを言うな、耳障りだ」

それでも「いいなあ、いいなあ」と、駄々を捏ねるように繰り返してみた。彼は苛立ちを募らせて、今にも怒鳴りだしそうだった。
きっと彼は私を嫌うだろう。構わなかった。この宝石のような少年と相容れないことなど、馬鹿な私にだってよくよく解っているのだから。

私は彼が宝石を食べて生きていることを知っている。水のような銀色を飲んで生きていることを知っている。私は宝石を噛み砕けない。銀色を飲めない。
だから私にスポットライトは当たらない。解っている。解っていた。
それでも、羨むくらいのことなら許されるのではないかと、思ってしまった。

だって君には眠る覚悟なんかないんでしょう?

「グラジオはいいなあ」

あの人と同じ、エメラルドの色をした目が益々、鋭く細められた。それがどうにも楽しいことに思われて私はクスクスと肩を揺らしながら笑った。
いつだって笑っている筈のハウが、少しばかり不安そうに私を見ていたから、「どうしたの?」と責めるように尋ねれば、彼は慌てていつもの笑顔を作り直してくれた。
宝石が怒れば小石は笑った。小石が狂えば宝石はまっとうに煌めいた。
きっとハウとグラジオが心から笑えるようになったとき、私はどこかで泣いているのだろうと心得ていたから、……だから、今はその分だけ、思い切り笑っておくことにした。

「スカル団がコスモッグを探しているみたいなんです。スカル団も、ウルトラホールの研究をしているんでしょうか?」

その日の夕方、まるで明日の天気を尋ねるような気軽さで尋ねてみた。
私はいつものように冷蔵庫のような空間に膝を折って、彼女の肩に少しだけ凭れ掛かっていた。
力を抜いて全ての体重を掛けてしまうことが躊躇われるくらい、この女性の肩は細く、冷たいのだ。
彼女はそんな私の質問に「わたくしが頼んだのよ」と実にスマートな答えを返し、「もっと凭れても構わないわ」と、楽しそうに笑いながら私の肩に手を回して抱き寄せた。

「もっと」を求めることを許された私は、甘えるように擦り寄ってみた。そうしていると、ふいに、ママの笑顔が脳裏を掠めた。
ママにこうして抱き付けば、陽だまりとニャースの匂いがふわふわと鼻先をくすぐって、とても優しく幸せな気持ちになれたけれど、
この宝石のような女性にいくら強く縋りついたところで、陽だまりの匂いもニャースの面影も見つけることなどできなかった。ただ、冷たいだけだった。
その異常なことが、しかし今の私にはひどく嬉しかった。嬉しかったのだ。

異常な私を抱き締め返してくれた異常な宝石は、私の背中をあやすようにそっと叩きながら、エーテル財団とスカル団の関係について話してくれた。

エーテル財団は、表向きはポケモンを保護するための優しい組織として、アローラの土地に好意的に受け入れられていた。
一方で、悪事を働くスカル団の存在は、アローラの住民から煙たがられていた。
善のエーテル、悪のスカル。そうした対立関係が出来上がっているものとばかり思っていたけれど、実はこの二つの組織は、こっそりと繋がりを持っていたらしい。
グズマさんが以前、ルザミーネさんのことを「代表」と呼んだところからして、彼等は仲が良いのかもしれないとは思っていたけれど、
どうやらそれは私の思うような「仲良し」ではなく、ルザミーネさんがグズマさんの実力を買い、スカル団を事実上「雇用」しているというだけの関係であるようだった。

……もっとも、グズマさんがそれ以上の感情をルザミーネさんに抱いていることは、彼女やグズマさん本人が言葉にせずとも、私にはとてもよく解っていた。
だってあの歪な、子供みたいな大人の目は、私のそれにとてもよく似ていたから。彼もまた、この女性の宝石のような存在感に魅入られてしまったのだろうから。
彼も、自分が「宝石」でないことを認められずにいるのだろうから。

エーテル財団もスカル団も、リーリエを探している。……正確には、リーリエが連れ出してしまったコスモッグを探している。
あの子がいないとエーテル財団の研究が進まないのだから、それ自体は何らおかしなことではなかった。
けれどリーリエは心の優しい女の子だから、その研究のために、コスモッグが傷付くことが耐えられなかったのだろう。
だからあの美しい宝石は、エーテル財団からも、スカル団からも、身を隠し続けているのだろう。

「貴方にリーリエを連れてきてと頼むことはしないわ。だってそんなことしなくても、あの子はいずれ此処にやって来るもの。グズマはとても優秀なのよ」

嬉しそうに語るルザミーネさんが待っているのは、リーリエではない。コスモッグだ。
だから私は「羨ましい」と思った。誰からも愛されているリーリエではなく、この美しい人に必要とされているコスモッグが羨ましかった。
私もそんな風に必要とされたい、などと、思ってしまったのだ。

もし私がコスモッグだったら、心の優しい女の子に守られることになんか甘んじずに、喜んでこの宝石みたいな人に全てを捧げるのに。
それはコスモッグにしかできない、素晴らしいことである筈だ。あまりにも光栄でかつ、名誉なことである筈だった。
私なら逃げないのに。私なら、そんな舞台を自ら飛び降りたりしないのに。

もし私にスポットライトをくれるなら、舞台の真ん中に立たせてくれるなら、私はどんな努力だって、勇気だって、犠牲だって、惜しまないのに。

「ねえ、わたくしのことをおかしな人だと思う?こんな力を使わなければ、愛したものを留め置けないようなわたくしのことを、貴方は……」

不安そうにそう紡いで、白い息を細く吐き出す彼女の目は、まるで舞台から突き落とされることを恐れる私のように、ぐらぐらと揺れていた。
変なの、と思った。不安になった。憤りさえ覚えた。
私の混沌とした感情は、ルザミーネさんにではなく、こんな宝石のような彼女をぐらつかせている世界に向けられていた。ふざけないで、と思えてしまった。

「おかしいことも個性だって、ザオボーさんが言っていました。此処にいる人達は皆、少しずつおかしいんだって。でもそれは、悲しいことじゃないんだって」

「……」

「私もそう思います。貴方はおかしいのかもしれないけれど、それでも私、貴方のことが大好きだから」

この美しいアローラという土地は、こんなにも美しい人がこんなにも不安になっているのに、何をしているのだろう?アローラの人達は何故、彼女に手を差し伸べないのだろう?
この宝石のような女性は、リーリエのように誰からも愛されて然るべきなのに、どうして彼女はこんな冷たいところで一人、そのエメラルドの目を揺らしているのだろう?
誰からも愛され、孤独を知らない。そんな簡単なことが、宝石にとっては容易である筈のそのことが、どうして彼女に限って叶わないのだろう?

どうしてこの宝石は、小石のような苦痛を味わっているのだろう?

ミヅキ、何処にも行かないで。わたくしから逃げていかないで。わたくしを恐れてもいいから、呆れても、憎んでもいいから」

縋っていたのは私の方であった筈なのに、いつの間にか私は縋りつかれる側になっていた。私の日焼けした肌を掴む彼女の白い手は、可哀想な程に震えていた。
その姿が「助けて……」と私に訴えた、あの日のリーリエに重なって、目を逸らしたくなった。
あの時、私はリーリエという美しすぎる宝石に焦がれる形で手を伸べた。けれど今は少し違う。違うけれど上手く、言葉にできない。
リーリエと、ルザミーネさん。この二者に抱く感情の違いを事細かに連ねるには、私の思考や言葉はあまりにも稚拙で、愚直だ。

ルザミーネさんはこの数年間の間に、旦那さん、グラジオ、そしてリーリエを失っている。その孤独と絶望を埋めるように、長い間、ウルトラビーストに執心し続けている。
けれど時折、こんな風に恐ろしくなるのだという。彼女の愛した存在が、彼女の手をすり抜けて何処か遠くへ行ってしまうように思われるらしい。
旦那さんを、グラジオを、リーリエを失った彼女は、次は何を失ってしまうのかと、そう、怯えずにはいられなくなった。
だから彼女はこの部屋を作った。沢山のポケモンを氷漬けにした。彼女の愛した存在を、愛したまま、美しいまま、永遠に飾るために。

……私にはそれが、悪いことだとはとても思えなかった。
だって彼女に愛されたポケモン達は、氷の中でとてもキラキラしていたのだ。眩しい、と思うに十分な美しさを湛えていたのだ。

確かに、恐ろしかった。けれどそれは、こんな風に凍らされてしまうことへの恐怖ではない。この恐怖は、リーリエやルザミーネさんに抱いたものと同種のものだ。
美しさを極めた主役の傍が最も忘れられやすいのだ。光の傍が最も暗いのだ。
凍り付いた永遠を持つ、このキラキラした存在の前では、「美しい」と彼女に一瞬だけ褒められた私など、やはり端役にすぎなかったのだ。
私が小石であることを、眠ったヤドンやピカチュウがあまりにも雄弁に示していたから、……だから、恐ろしかったのだ。役を貰えないこと、排斥されることは何よりも怖い。

だから私は、この美しいアローラで、私にしかできないことを得るために、一つの決断をしなければならなかった。
それは、普通の人なら決して為さないであろう決断で、だからこそ、異常たる私が選び取るに相応しい選択肢であるのだと心得ていた。
舞台から降ろされることを恐れる端役には、どれだけ磨いても輝けない小石には、覚悟が必要だったのだ。この震えた手を握り返し、その温度と同じように染まるだけの、覚悟。

私にスポットライトをくれるなら、舞台の真ん中に立たせてくれるなら、私はどんな努力だって、勇気だって、犠牲だって、惜しまない。

その覚悟が今、問われている。


2016.12.19

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