青の共有

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「あの焼き芋屋さん、なくなっちゃったんです。冬の方が焼き芋は売れる筈なのに、どうしてでしょうね。
都会に引っ越したのかとも思ったんですが、コガネシティにも見つからなくて。もっと人の多い、カントー地方へ行ってしまったのかしら……」

カチカチ、カチカチ。
ボールペンの芯を出したり引っ込めたりする音が終始響いている。時折止んだかと思ったら、指でそれをくるくると回してみせる。数回に1回は失敗し、机にポトリと落ちる。
弟はボールペンを回すの、上手なんですよ。そんなことを言いながらニコニコと笑っている。

逮捕されたアポロは取り調べを受け、当然のように起訴された。そこまではいい。散々世間を騒がせてきたロケット団の最高幹部だ。お咎めなしで返される筈がない。それは解る。
問題はそこに現れた弁護人だ。どうして扉を開けてクリスが入ってくると予想できただろう。
お久しぶりです、アポロさん。いつもの笑顔でそう話しかけてきた彼女に、アポロは驚きを通り越して呆然とした。

黒いスーツに身を固めている他には、アポロの記憶に違わず、あの頃のままのクリスだった。
青い髪は肩上のミディアムパーマで、首を傾げる度にふわりと揺れる。空を連想させる青い目には、呆然とする自分が映っている。
今は弁護士という肩書である筈の彼女は、しかしアポロを前にして、世間話を続けるだけであった。

「寒くないですか?私のメガニウムは寒いのが嫌いだから、もうずっとボールの中に引き籠っているんです。
本当は家の中で出してあげたいんですけど、身体が大きいから、それもできないんですよね」

「……クリス

「そう言えば、コトネに会ったんですよね。バトル、強かったでしょう?
まだちょっと危なっかしいから、指導をしてくれる先輩みたいな人に出会えるといいんだけど」

クリス!」

遂に声を荒げたアポロに、しかしクリスは怯むことはなかった。それどころか自分の名前を呼んでくれたことに喜びの表情すら見せる。
アポロは大きく溜め息を吐いて額を手の甲に乗せた。眩暈がする。建前と本音と矜持と自尊心と、そんなものが彼の脳裏でぐるぐると渦を巻いていたのだ。
会いたくなかったと言えば、嘘になる。会いたかった、どうしても会いたかった。
しかしそれは、どうしても今であってはいけなかったのだ。

「私が貴方に、自分の正体を隠していたのは何故だか解りますか」

「……」

「貴方と私では生きる世界が違ったからです。陽の当たる場所で生きる貴方に、こんな私を見てほしくなかったからです。
日陰での生き方しか知らない私を、こんな形でしか部下を救えない私を、貴方のような立派な剣もペンも持たない私を。
私を好いた貴方には、私が好いた貴方だけには、知られたくなかった……!」

思いを押し潰すようにそう叫んだ。叫んでから、しまったと思った。しかしどうしても止まらなかったのだ。
微笑みを絶やさなかった少女の表情が徐々に強張っていく。不自然な瞬きを繰り返しつつ沈黙した彼女に、アポロはここぞとばかりにまくし立てた。

「私は、本来ならば貴方と出会うべき人間ではなかったのです。
3年前のボスに任された組織を、立派にすることもできなかった。私を慕う部下の、私を支えてくれた幹部達の期待に応えることができなかった。彼等を守る力もなかった」

にもかかわらず、アポロは少女との時間を望んでしまったのだ。
出会ってはいけなかったのだろうか?私はこの少女を好きになってはいけなかったのだろうか?
自分を好きになったのは、出会ったからだと言った、彼女の言葉を思い出す。それを彼女は「縁」と形容したが、それならばアポロのそれも同じような理由なのだろう。
アポロはこの少女を好きになってしまった。それは、アポロがクリスと出会ってしまったからである。

どこで引き返せばよかったのだろう、という反省や後悔は無駄なことであった。
それはきっと引力に似ている。「出会う」という現象が偶然に強く影響を受ける事象である以上、これは免れ得ないことだったのだ。
出会ってしまった。そこに後悔という感情を当てることはできない。

クリスは愕然とした表情で暫く沈黙していたが、やがてその青い両目に怒りの表情を貼り付け、しかし声音は凪いだ湖面のように静かに、ゆっくりと紡いだ。

「でも、会えたんです。私、貴方に会えたんです」

「!」

「私の大好きな言葉を否定しないでください。私の大好きな人を蔑まないでください」

勢いを削がれたアポロは押し黙った。彼女の静かな声音には、有無を言わせない気迫があったのだ。
それなりに長い期間、彼女との時間を共有してきたつもりだったが、このような怒りの表情は初めて見た。
不機嫌になったり、拗ねたりすることはあれど、このように真っ直ぐな憤怒をこちらに向けてくることはなかった。
そして、それはアポロも同じだった。この少女に対して怒りの様相を呈するのは初めてだった。
怒りはデリケートな感情であり、それを表出することはそれなりのリスクが伴う。そんな感情をぶつけ合う程に、互いの距離は縮まっていたのだと思い知る。
それをこのような形で思い知ったという事実に、虚しくなる。

「アポロさん、貴方が嫌いな貴方のことは、法が裁いてくれます。罪状から、償い方まで、全て法が決めてくれます。
でも、貴方が悔いた私との出会いは、裁いてくれない。現実には、裁けない罪の方が遥かに多いんです。私はあの分厚い本を読んでそれを知りました。
貴方の罪は、裁ける罪です。罰を与えられるべき罪です。償い方が提示される罪です」

少女は難しい言葉を紡いだ。分厚い本を楽しそうに読んでいた彼女らしい、流れるような美しい言葉だった。
アポロはその、難解な語句こそ使われてはいないが、理解に苦しむその言葉を懸命に咀嚼しようとした。
しかしそれを理解する前に、クリスはふわりと微笑んだ。穏やかになった目の青は、アポロの姿を映していた。

「裁けない方の罪は、私が引き取ります。私はその為に来ました」

彼女の紡ぐ、魔法のような言葉にアポロは飲まれた。この少女は何をしようとしているのだろう。何のために自分を訪れたのだろう。
全てのことが解らないままに回り続けていた。彼の理解を妨げているものは、彼自身の先入観だった。
彼女に隠していた自分を知られてしまった以上、あの不思議な関係は終わってしまうだろうと彼は確信していたのだ。世界が違う、という彼の言葉が全てを包括していた。

どうして、誰が好んで、ロケット団の最高幹部と関わりを持とうと思うだろう?
同じ日陰に生きる人物ならともかく、陽の光を浴びて生きてきた人間が、それだけで十分に幸福であった筈の人間が、どうしてこちら側に踏み入ろうと考えるだろう?
自分の正体は、異なる世界に生きる人物を遠ざけるものであると知っていた。知っていたからこそ、知られないようにしていたのだ。
懸命に隠しながら、後ろめたい気持ちを抱きながら、それでも同じ時間を共有したいと願っていたのだ。

しかし目の前の少女は、自分の正体を知って尚、二人の邂逅を否定するなと怒り、私の好きな人を蔑むなと懇願するのだ。


「私は貴方を赦す為に来ました」


彼の知らない世界が、音を立てて回り始めていた。

2014.10.16

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