青の共有

2

「焼き芋には引力があると思うんです」

心底真面目な顔をしてクリスは紡いだ。手には焼きたての焼き芋が握られている。
1本を半分に割り、お兄さんのお金だからと、大きく割れた方をアポロに差し出して彼女は笑った。

「あんなに美味しそうな匂いがしたら、誰だって吸い寄せられてしまいますよ。そして実際に美味しいんだから、反則ですよね」

「ええ、そうかもしれませんね」

アポロは適当に相槌を打っていた。焼き芋を自らの息で冷やしながら少しずつ口に運ぶことに夢中になっていたのだ。
残念ながら少女の言う通り、美味しい。ただサツマイモを焼いただけだとは思えない。
無心で焼き芋を食べていた彼は、それをじっと見上げるクリスの視線に気付くのが遅れてしまった。
眉をひそめ、しかしその表情にもクリスが怯まないことを知ると、降参したように肩を竦めて笑った。

「何です、そんなに私が焼き芋に夢中になっているのが面白いですか?」

「いいえ、嬉しいなって」

「は?」

「私が美味しいと思うものを、誰かにも美味しいと思って貰えるって、素敵でしょう?これ、共感って言うんですよ」

それなりに学識を持ち合わせていたアポロは、しかし少女の口から紡がれた共感と言う言葉に首を捻った。
それに気付いたクリスは、同じように首を捻り「あれ、違いましたか?」とバツの悪そうに笑った。

彼の中での「共感」は、例えば絵本の中の登場人物の心情を読み取ったり、怪我をした人間の痛みを理解したりすることだった。彼はそう教わってきた。
焼き芋を食べて、一人が美味しいと感じ、もう一人も美味しいと思った。それを共感と言うには、あまりにも簡単で、捻りがない。

「しいて言うならば「体験の共有」では?」

「ふふ、洒落たことを言うんですね。ただ焼き芋が美味しいねって、それだけの話なのに」

「なっ、……元はと言えば、貴方が言い出したのではないですか!」

「あ、そうだった」

ごめんなさい、と、全く悪びれてはいなさそうにクスクスと笑う。
全く、と口を付きながら、しかしその声音ほど、自分の神経は逆撫でされてはいないということに気付く。
自分より何歳か年下であろう少女の、奔放な言葉に振り回されているというのに、湧き上がったのは憤怒ではなく愉悦だった。

焼き芋の黄金色が、灰色のワンピースにぽろぽろと落ちる。彼女はそれを指で摘まんで、躊躇うことなくひょいと口に放り込む。
一連の動作を見ていたアポロも、それに釣られたように笑った。この何処かネジの外れた少女と居る時間は、少なくとも自分を緊張させはしない。

法律関係の分厚い本を携えていることや、かなり質のいい洒落たワンピースを身に纏っていることから、この少女の育ちが良いことは容易に想定できる。
しかし、その育ちの良さを台無しにするかのように、少女は何の頓着なく地べたに寝転がり、零した焼き芋の欠片を平然と拾い上げて口に放り込むのだ。

「こんなところで焼き芋を頬張っていていいのですか、お嬢さん」

「どうして?」

「……親が、黙っていないでしょう」

咎めるようにそう尋ねると、何がおかしいのか、クリスは声をあげて笑い始めた。

「そんなことありません。私が暮らしているのは、裕福でも、厳しくもない、普通の家ですよ」

クリスは焼き芋の零れたワンピースの裾を掴み、勢いよくはたいた。丈の長いそれは、高級感のあるなびき方をする。
女性服のブランドなど、アポロには全く解らなかったが、それなりにいい素材で作られているのであろうことは容易に推測できた。
その服を汚すことに頓着しない少女こそ、相当に恵まれた家庭の人間なのではないのかと思っていたが、それを笑って彼女は否定する。

「この服は、私が法律の試験に合格したお祝いに買ってくれたものです。いつもこんないい服を着ている訳じゃありません。
私は半分の焼き芋で幸せになれるような、ごく普通の庶民ですよ」

それでも、そのいい服を身に纏いながら、地べたに身を放り出して本を読んだり、焼き芋の破片をぽろぽろとその上に落としたりする行為は、アポロには理解しがたいものであった。
しかし、それは少女の奔放な性格によるものなのだろう。
彼女にしてみれば、高級な衣服を身に付けお高く纏っているよりも、笑顔で気取らずに焼き芋を頬張ることの方が、余程価値があるのだ。
そう理解したアポロは安心し、そして安心した自分に苦笑した。

この少女の育ちの良さを思って不安になったのは、自分を案じてのことだった。
あまりにも身分が違い過ぎる人間との会話は精神を消耗する。クリスの先の読めない会話や行動は、それ故のものなのではと恐れていた。
しかし、そうではなかった。彼女は自由で、奔放で、だからこそ先が読めず、危なっかしい。
彼女との会話が、窮屈なもので隔てられてはいないと確信できた。だからこそアポロは安心したのだ。

「そうでしたか、失礼しました」

「そういうアポロさんこそ、どうなんですか?」

好奇心に満ちた目の中に、アポロは若干の不安の色を見つける。
それはアポロが抱いたのと全く同じ感情だった。場違いな人間と出会ってしまったのではないかという、数秒前のアポロの憂いが、そのまま少女に反映されていた。
そして、それを杞憂だと笑った少女と同様に、アポロも笑って少女の頭を撫でる。

「私は、この焼き芋を非常に美味しいと思っています」

「!」

「賢い貴方なら、もう解るでしょう」

ぱちぱちと、青い目がぎこちなく瞬きをする。そして、唐突にすっと細められた。
それは紛れもない安堵だった。ほんの数秒前、それを経験していたアポロには少女の心を読むことなど、容易かった。
彼女も、同じように思ったのだろうか。
同じ焼き芋を美味しいと思ったように、これもクリスの言う「共感」なのだろうか。
訪れた不安と、与えられた安堵。それは感情の共有だった。二人は心の揺らぎを共有していた。

クリスは少し調子の外れた鼻歌を歌いながら、焼き芋の入っていた紙袋を丁寧に畳み始める。
二人とも焼き芋を食べ終えてしまった今、彼等が此処に留まる理由はもうなくなってしまった筈だった。
しかし、その一歩を踏み出さない。その場を離れるための言葉が口をつかない。
どちらからともなく苦笑し、窺うようにお互いを見た。

「また、一緒にお話をしましょう。貴方のことを、まだ何も教えて貰っていません」

「構いませんよ。……普段は、何処で何を?」

「私はいつもあの場所で、本を読んでいますよ」

再会の約束を交わすや否や、クリスは弾かれたように駆け出した。
丈の長いワンピースがふわふわと揺れている。ミディアムパーマの青い髪が遠ざかり、道の角を曲がって見えなくなった。
無意識ではあったが、しっかりと少女を見送る形になってしまったことに気付き、アポロは苦笑する。そして、彼女とは逆の道を歩き始めた。
次のミーティングまで時間がない。勢いよく地を蹴って駆け出したアポロは、次の瞬間、彼女と共有した筈の焼き芋の味を忘れてしまった。

2014.10.9

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