青の共有

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クリスは泣き続けていた。

「……」

年下の少女らしく、声をあげて泣きながら、次から次へと溢れる涙を拭い続ける。そんな姿を想像していただけに、彼女の静かな泣き方はアポロを唖然とさせた。
頬に幾重にも涙の跡が付いているにもかかわらず、クリスは微動だにしない。時折ぎこちない嗚咽を零す他には至って静かだ。
女性に泣き止んでもらう為にはどうすればよいのだろう。真面目な性格と、彼の置かれた境遇が災いし、彼は今まで女性と交際を持ったことがなかった。
故に、この状況を打開する術を知らない訳で。

「本当なら、刑期があと1年短くなる筈だったんです。そうしたら、執行猶予を求めることだってできたのに……」

ポケモン誘拐、虐殺、公共施設の破壊、家宅への不法侵入など、ロケット団が重ねた罪は数多くあった。
指導者であったアポロに科された刑罰は、ごくシンプルなものに纏められ、結論から言えば、3年で懲役刑が下った。
彼女曰く「2年以下の懲役には執行猶予を付けることができる」らしいが、実のところ、アポロはどちらでもよかったのだ。
この刑罰で、自分が陽の当たる場所に出て行けるというのなら、それはとても短すぎる刑期だとも思っていた。
故にアポロは自らに科せられた刑罰に何の文句もない。
しかしクリスは求めた刑罰以上の実刑判決が下ったことに悔しさを露わにし、それを被ることになったアポロのことを想い、泣いている。

「ごめんなさい」

彼女は絞り出すようにそう言って謝るが、実のところ、謝ってもらう必要など、まったくもってなかったのだ。

「どうして謝るのですか?」

「……」

「初めての仕事で成功を収められなかったことが悔しいのですか?世論や正義に敗れてしまったことがやるせないのですか?
貴方が想定していたよりも重い実刑を科せられることになった私に申し訳ないと思っているのですか?」

「……その、全てだと言ったら?」

縋るように少女は顔をあげてアポロを見つめた。青い瞳がゆらゆらと揺れている。
裁けない罪の方が多いのだと、かつて少女が言っていたことを思い出した。

「それが貴方の罪ですか?」

アポロは毅然として聞き返す。少女の涙がぴたり、と止んだ。
彼は大きく息を吸い込み、一気に吐き出すように次々と言葉を並べた。

「貴方が引き受けた私の裁判は、司法試験に受かったばかりの新米弁護士が引き受けられるような易しいものではなかったのでしょう?
その訴訟を担当する権利を貴方は勝ち取り、寝る間も惜しんで裁判の対策を練ってくれた。何も恥じることなどありませんよ。
そして、私は自分に科せられた罰に何の不満もありません。貴方がそうしたからです。この罰を受ける権利を持つ私は恵まれていると、貴方がそう言ったのですよ?」

アポロは右手の親指をそっと曲げ、右手の手の平をそっと撫でる。爪跡により生じた傷は小さなかさぶたを作っていた。
「裁けない方の罪は、私が引き取ります」という彼女の言葉を思い出す。
アポロの裁けない罪は、この少女により引き取られた。次は、自分がクリスの裁けない罪を赦す番だ。

「裁かれることは幸せなことだ」「貴方は罰を受ける権利を有している」と彼女は繰り返し紡いだ。
自らの罪に対して罰を与えられ、その償い方まで教えてくれる法律というものを彼女は高く評価し、崇敬していた。
裁けない物事の方が多い、と苦しげに紡いだ彼女の表情は、アポロの脳裏に深く焼き付いていた。


彼女にも「裁かれたい罪」があるのかもしれない。


いつしか、アポロはそんな風に考えるようになっていた。
彼女が思う、彼女自身の罪は何なのだろうか。そして、それに与えられるべき罰と、その罪の償い方を、彼女は知っているのだろうか。
そして、裁かれない彼女の罪を、一体誰が、いつになれば許してくれるというのだろう。

しかし今、彼女が抱える罪が、アポロにも見える形で目の前にある。押し潰されそうな後悔と罪悪感に苛まれて、彼女はその辛さに泣いている。
自分が好いた人間の罪を、引き取れる距離にアポロはいる。どうして躊躇うことができただろう。

「世の中には裁けない罪の方が多いと貴方は言いましたが、それは何故なのかを私なりに考えてみました」

「え……」

「その多くが、客観性に欠ける罪だからではないかと思います。誰が見ても「人徳に悖る」と判断できない罪は、法律に記すことができないからです。
裁判所が裁いてくれない罪は、自分で抱えて、自分で償い方を見つけていくしかないのでしょうね。……きっとそれは、裁かれることの何倍も苦しい」

だから貴方は「裁かれることは幸せなことだ」と紡いで笑ったのでしょう?

アポロは不器用な人間だった。彼女のように聡明ではないため、彼女が自分にしたような罪の引き取り方ができないことを、アポロ自身も自覚していた。
しかし今、彼女の心を押し潰している荷物を奪い取れるのが自分だけであることも解っていた。
それは傲慢でも、思い上がりでもなかった。二人の時間の共有が生んだ、限りなく強い信頼に似た何かだった。

「貴方はこれ以上ない程に頑張りました。一緒に戦ってくれて、ありがとうございます」

客観性に欠ける彼女の罪を、難しい理論で裁くことはアポロにはできなかった。
それでも、引き取れるものは確かにあり、それはただ、彼自身の思いを伝えることで成されるのだと。
貴方はよく頑張ったと私は思う。私は貴方にとても感謝している。
そんなありふれた言葉が、しかし少女の荷物をそっと引き取っていく。

少女の青がぐらり、と揺れて、止まっていた涙が再び溢れて頬を濡らした。
しかしクリスは泣きながらアポロを見上げ、ぎこちなく笑みを作ってみせる。

「どうしてお礼を言うんですか?変なの。貴方を助けたいと思ったのも、貴方の罪を引き取りたいと願ったのも私なのに」

奇遇ですね、私も同じように思っていました。
アポロはそう答えようとして、しかし喉まで出かけたその音を飲み込んだ。代わりに言うべき言葉があったのを思い出したからだ。

クリス、貴方に出会えてよかった」

もうとっくに、アポロの罪は引き取られていたのだ。
『私の大好きな言葉を否定しないでください。私の大好きな人を蔑まないでください。』
今なら、彼女の愛した言葉を肯定できる。二人が出会い、言葉を交わしたあの時間を「縁」という単語で装飾してもぎこちないとは感じない。

アポロはふと、思う。自分は、彼女の罪を引き取れたのだろうか?
その答えを、満面の笑みを浮かべた少女がくれた気がした。

「待っていてくださいね。必ず、迎えに来ますから」

迎えに来る。
その響きの温かさにアポロは笑った。陽が彼の足元に差し込み始めていた。

2014.10.18

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