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裁判を2日後に迎えた日のこと、いつものように呼び出され、アポロは面会室に足を運んだ。
クリスは毎日、決まった時間にアポロを訪れたが、今日はそれよりも2時間程早い。
何か別件がこの後に控えているのかもしれない。そう思いながら扉を開けたアポロは、そこに立っていた思わぬ人物に絶句する。
「お久しぶりです」
こうして見れば見る程、姿は全く姉に似てはいない。しかし、声や仕草は自然とクリスを連想させた。
コトネと名乗った彼女の妹は、アポロにぺこりと頭を下げた。
ラジオ塔で対峙した時のような、敵意を含んだ燃える目は影を潜め、こちらを窺うような視線を向けて、そっと微笑むだけの少女にアポロは困惑する。
「お姉さんはどうしました」
「ちょっと、倒れてしまって。今日だけお休みを貰うそうです。アポロさんには伝える手段がないからって、私が伝言役を頼まれたんです」
「倒れた……」
コトネの言葉を反芻し、アポロは青ざめた。
その表情の変化をコトネは見逃さなかった。慌てて「ただの寝不足なので、明日には復帰できると思います」と付け足す。
寝不足、という単語にアポロは昨日の彼女を思い出そうとした。
確かに彼女の目元に隈があったような気がする。しかしそこまで目立つものでもなかったし、特に気にも留めていなかった。
弁護士になって初めての仕事で、心労が重なっていたのだろうか。
こんなにも大きな刑事訴訟を引き受けてしまったことが、彼女を追い詰めていたのだろうか。
アポロはぐるぐると思考を巡らせたが、彼女が此処に居ない今、結論など出る筈もなかった。
コトネは言いにくそうに、おずおずと口を開いた。
「お姉ちゃん、アポロさんをどうしても助けたいんだって、言っていました」
「……」
「ロケット団のしたことは許されることじゃないけれど、でも皆、生きる為に必死だったんだって。
正義は思い上がるところがあって、だから私達みたいな悪人の味方がいるんだって。正義が暴走しないように、正しく法律を充てるのが私の仕事なんだって」
その言葉が、年の離れた妹に理解できるように、易しい言葉で紡がれていることにアポロは気付く。
正義の暴走とは、彼女らしい言い回しだ。
「私は、……それが弁護士の仕事だからなのかもしれないけれど、自分の好きな人に対して、正しく罰を与えようとしているお姉ちゃんのことを、凄い人だって思っています」
「……ええ、そうですね」
「あの、……自分のしてきたことに対して、罰を受けるのって、怖いですか?」
そんなことを、恐る恐るといった風に彼女が聞くものだから、アポロは思わず吹き出してしまった。
若干12才の子供には、法廷や刑務所は酷く恐ろしいところに感じられるのかもしれない。
それも無理はないことだと思いながら、アポロは自分の感じているありのままを話すことにした。
「法や刑罰は、悪いことをした人を、陽の当たる場所へ送り出す為にあるらしいですよ。……私は貴方のお姉さんにそう教わりました」
コトネは沈黙した。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ぐいっと首を傾げる。
当然の反応だ。刑罰を課せられることは、その後も当人の人生に影を落とすものである筈だったからだ。
クリスの考え方はそうした、世間一般の常識とは真逆の様相を呈していた。その理論は斬新という表現では到底足りない程に、深くアポロの脳裏に焼き付いていた。
優秀な彼女の言葉を否定し、それ以上の理論を叩きつけられるだけの頭脳をアポロは持たない。故に彼は、クリスの斬新な理論を受け入れつつあったのだ。
そして、クリスの理論はアポロを苦しめない。
「ですから、私は怖くありませんよ。当然の報いだと思います。……ただ、貴方のお姉さんのことは、時々恐ろしいと感じることがありますよ」
「それは当然ですよ、お姉ちゃんは私の何倍も強いんですから」
ぴしゃりと言い放ったコトネにアポロは苦笑した。物凄い自信だ。
しかしそうではない、彼女の強さを恐ろしいと感じている訳ではないのだと、コトネに説明するためには相当の時間を要しそうだった。
「こんな私を知っても、彼女は私への態度を変えないのですよ。寧ろ、このような場所であるのに、再会できたことを本当に喜んでいたんです。……私には、理解しかねますね」
「悪いことをしていて、逮捕されたアポロさんを知っても、自分を嫌いにならないことが不思議だって、そういうことですか?」
益々、怪訝な顔をして首を捻った彼女にアポロは困惑する。
信頼を置いていた人が「悪い人」であり、しかもその事実を隠していたと知った時、相手に与えるショックは相当なものだとアポロは信じていた。
それだけに、クリスのあの態度は今でもどうしても解せなかったのだ。
それは歪んだ考えではなく、寧ろ世間に生きる大多数の人間から賛同を得られるものだと思っていたアポロは、しかしその一人である筈のコトネが頷いてくれないことに焦った。
「だって、お姉ちゃんは知っていたんですよ。アポロさんがロケット団の人だってこと。
そうでないと、私に「ロケット団と戦うのなら、これを渡して」だなんて言って、手紙なんか渡さないでしょう?」
『ヤドンの井戸でロケット団と戦ったという話をしたら、この手紙を渡されたんです。『私にそっくりな人がロケット団に居る筈だから、見つけたら渡してほしい』って。』
そういえば、この子供にそんなことを言われた気がする。
クリスはどの時点で気付いていたのだろう。「私が悪い人かもしれない」と挑発した時だろうか。仕事や勤め先をはぐらかした時だろうか。
いずれにせよ、それ以降も彼女は変わらずに自分を待っていてくれたのだ。その事実に気付き、しかしどうしても信じられなくてアポロは目を伏せる。
いくら望んでも得られなかった筈のものを、丁寧に差し出された時のような戸惑いが溢れる。アポロはその困惑を持て余していた。
「それでもよかったんです。お姉ちゃんはアポロさんが好きなんですから。
だから、ちゃんと罰を受けてきてください。お姉ちゃんは、ずっと待っています」
「……」
「アポロさんにも、お姉ちゃんを好きになってくれると嬉しいです」
信じられなかった。おかしいと思った。狂っている、とも思った。
コトネもクリスも、そして自分も。誰もがどうかしていたのだ。きっとそうだ。でなければ、こんな。
アポロは右手を強く、強く握り締めた。もう随分と切ることを忘れていた長い爪が、手の平に鋭く食い込む。痛みに集中すれば少しは紛れた。
小さく溜め息を吐き、力無く笑った。不安気に自分を見つめるコトネに、やや早口でまくし立てる。
「お姉さんに「お大事に」と伝えてください。もう帰って結構ですよ」
「え、でも、」
「分かりませんか?貴方がそこに居ては泣けないから、一人にしてくれと言っているのですよ」
コトネは直ぐに椅子から立ち上がり、慌てたような大きめの歩幅でドアへと向かった。
パタン、という音を皮切りに、アポロは握り締めていた右手を緩めた。視線を下に落とせば、赤が視界に飛び込んできて、焦る。
相当、強く握っていたらしい。アポロは苦笑して、服の裾で血を乱暴に拭った。
『私がアポロさんを好きになったのは、貴方に出会ったからです。』
クリスの言葉が脳裏を過ぎる。
そうではない、そうではないのだ。それは同じ世界に生きる人間同士であるからこそ成立するもので、私は彼女とは違う世界の人間で、しかも、私は彼女を騙していて。
……私は。
『裁けない方の罪は、私が引き取ります。私はその為に来ました。』
『私は貴方を赦す為に来ました。』
そしてようやく、アポロは少女の言葉の本当の意味を知る。
2014.10.17