青の共有

10

コンコン、と軽いノックの音が鳴る。こちらの返事を待たずに、扉がそっと開かれる。
大量の書類を抱えて入ってきた少女にアポロは苦笑した。

「あ、今、こんな新米弁護士に自分の弁護が務まるのかな、って思ったでしょう!」

自覚はありますけど、と拗ねるように付け足したクリスをアポロは見つめた。
そうだ、やってきた彼女を糾弾するより先に、二人の邂逅を恨むより先に、彼女に真っ先に掛けるべき言葉があったのではなかったか。
どうして忘れていたのだろう。アポロは小さく咳払いをして、笑った。

「宜しくお願いします、クリス

「!」

「司法試験、合格おめでとうございます。さあ、貴方のペンを見せてください」

彼女はその言葉を聞くや否や、青い目を輝かせ、その顔にぱっと花を咲かせた。



「アポロさん、法や刑罰は貴方の顔に泥を塗る為にあるんじゃありません。貴方を陽の当たる場所へ送り出す為にあるんです」

「……相変わらず、難しい言い回しが得意ですね」

「難しくなんてないですよ。裁判所と法律に任せておけば全て処理してくれるんですから。何も考えなくても、償い方まで教えてくれるんです。簡単でしょう?
更に言えば、私の仕事はその償いの期間が妥当なものになるように、貴方を弁護することです」

アポロよりも年下で幼い少女は、それでも弁護士としての職務を十分に果たしていた。
彼も学がない訳ではなかったが、法律関係の知識は皆無に等しい。クリスが忙しなく語る内容を咀嚼し、頷くので精一杯だった。

ロケット団が行ってきた悪事がどのような刑法に触れるのか、それを償うために世間はどれ程の刑期を要求するのか。アポロに理解できたのはそれくらいだった。
こうして罪状を第三者に羅列されると、なかなかに残酷なことをやってきたのだと気付かされる。アポロはほんの少し肝が冷える思いがしていた。
それらの行為は全て、日陰に住む人間が生きる為の手段だった。故に行いを悔いるつもりはなかったが、それでもやりすぎたか、と苦笑せずにはいられなかった。

幹部職に任命されてからは、戦闘部や研究部で実際に行動を起こすことはしていなかった。
クリスの口から語られる悪事は、それ故にとても新鮮な響きを持ってアポロの鼓膜に突き刺さった。
シオンタウンでのガラガラ虐殺、ヒワダタウンでのヤドン大量誘拐、その後に尻尾の切断……。
「なかなかに惨いことをしていますね、ロケット団は」と思わず呟く。その目に怒りの色を見せるかとアポロは身構えたが、少女は肩を竦めるだけだった。

「惨いことかどうか、人徳に悖る行為かどうか、それは法と世論が決めます。貴方や私の小さな言葉は、ただの感想にしかなり得ないんですよ、アポロさん」

凛とした声音でそう呟き、しかし直ぐに声のトーンを落として付け足した。

「ただ、ポケモン達はとても辛かったと思います」

「……ええ、そうですね」

申し訳ない。
過去の残虐な行為に加担した人物の一人として、その感情はすっとアポロの胸に落ちた。
その心をクリスは読んだかのように優しく微笑む。

「貴方が共感と反省の心を持っている人でよかった。その心がない人を、悪事を悪事だと認識できない人を、法は裁くことはできませんから」

「……」

「裁かれる権利を持ったアポロさんは幸せです。だってそれは、赦される権利があるってことですから」

この少女は、難しいことを言う。
以前に会っていた時はもっと単純で、……いや、不思議なところもあったが、とにかく奔放さを前面に押し出した性格をしていたような気がするのだが。
アポロは以前の少女と今の少女との間に大きな隔絶を感じ、しかしそう感じることが当然なのだと思い直して笑った。
この少女は、一人のクリスという人間である時の姿と、弁護士として自分と対峙する時の姿とを使い分けているのだ。
彼女が類稀なる努力により辿り着いた弁護士という職種として自分に対峙する時は、アポロもそれなりに頭脳を駆使して、彼女と同じ地面に足を着けられるようにするべきらしい。

裁判の日取りについて説明していたクリスは、そう言えば、と思いだしたようにポン、と手を叩いた。

「アポロさん、貴方は以前のロケット団のボスから統率を任された身として、一人でこの責任を負おうと思っていたようですが、」

クリスは新しい書類を鞄から出して、肩を竦めて笑った。
しかしアポロはその紙を見て青ざめる。そこには見慣れ過ぎた人物の顔があったからだ。

「ラムダさんに、アテナさん。ランスさんはアポロさんと同い年みたいですね。先程、3人揃って出頭したみたいですよ」

「な……」

「アポロさん、慕われていたんですね」

何故、と胸を突いて出た疑問は、しかし直ぐに霧散した。
少し考えれば当然のことであった。彼等もアポロと同じだったのだ。
彼等の近くでその仕事ぶりを見てきたアポロは、この3人が自分と同様に、ロケット団という居場所を愛し、守ろうとしていたことを知っていた。
自分達を慕って、3年前の解散から再び集まった団員達を、彼等も救おうとしたのだろう。その結果、アポロと同じ選択をすることは何ら不自然なことではなかった。

「大丈夫ですよ、私は貴方達の味方です。3人にもそれぞれ、優秀な弁護士が付いています」

「貴方のような新米でなく?」

「あら、酷い!」

クスクスと楽しそうに笑う少女に、アポロも釣られたように肩を竦めて笑った。
彼女は自分の味方だと言った。悪人である筈の自分を擁護する弁護士という職業が、改めて難儀なものであると感じ、ついその言葉が口から零れた。

「成る程、つまり貴方のような容疑者側の弁護人は、正義側の世間を敵に回しているのですか。そんな訴訟を初回から担当させられるなんて、貴方も運がありませんね」

つまりはそういうことなのだ。自分達を擁護するということは、自分達を憎み、罰するべきだと声高に主張する世間と対峙するということだ。
弁護士の仕事は、何も刑事訴訟に関わることだけではない。今更ながら、新米であるクリスが何故このような刑事訴訟に充てられたのかをアポロは疑問に思った。
しかしクリスはあっけらかんとした表情で「私が立候補したんです」と紡いだ。
それが、道端に転がった小石のような、あまりにも軽い響きを持っていたため、アポロは益々訳が分からなくなり絶句する。

「上手く言えないけれど、でも私はこの刑事訴訟を担当できたことを誇りに思っていますよ。
司法試験の勉強をしていたから弁護士になれた。弁護士になれたからもう一度アポロさんに会えた。思い切って刑事訴訟を担当したから、アポロさんを助けることができる」

「……それも、貴方の好きな「縁」ですか?」

彼女はその問いには答えず、代わりに右手のボールペンをぎこちなく回して微笑んだ。

いつだったか、彼女は「私には、アポロさんを助けるためのペンと剣がある」と断言した。彼女の連れていたメガニウムはとても強かったし、彼女自身の努力の末に司法試験にも合格している。
彼女が手にしたペンと剣は、彼女の好きな「縁」を守るためのものなのではないかとアポロは推測する。
ペンも剣も持たない自分は、彼女との出会いを悔いるしかできなかった。しかし彼女は、その力でアポロの「裁けない罪」すら飲み込むと断言したのだ。

何故、彼女はここまでするのだろう。

アポロは尋ねてみたくなったが、止めた。
きっと満面の笑顔で、「そんなの、貴方に出会えたからに決まっているじゃないですか」と返ってくることが容易に想像できたからだ。
彼女が崇敬する「縁」の前では、彼の罪など限りなく無力なものであったのだろう。

2014.10.17

< Prev Next >

© 2024 雨袱紗