私はきっと、理解するのが遅すぎたのだ。
『シアさん、貴方は旅を続けて、あらゆることを知るでしょう。そして全てを知った時、きっと私を軽蔑します。
それが今は、少しだけ恐ろしい。』
あの言葉の意味を、私はもっと早くに理解すべきだったのだ。
考える為のヒントは既に与えられていたのに、私は信頼に甘んじたのだ。そんなことはありえないと、思い上がっていたのだ。
私の知る彼は、そんなことをする人ではないと、傲慢にも、そう思っていたのだ。
『それは貴方の事だと答えたいけれど、答えられない。これが答えです。』
それが示す内容を、今の私は理解している。解っている。……解っていた。ただ少しだけ、遅すぎたのだ。
「!」
鞄の中で震えるライブキャスターを手に取れば、トウコ先輩の文字が映っていた。
震える手で通話ボタンを押すと、彼女の背後には氷が見える。どうやら彼女も騒ぎを聞いて、ソウリュウシティへと向かったらしい。
「あんた、今何処にいるの?」
「……空、です」
「ああ、それなら好都合だわ。セイガイハシティに向かってくれない?サザナミタウンからマリンチューブを通れば直ぐよ。Nもそこにいる筈だか、ら……」
そこまで話していた彼女の言葉が不自然に止まる。
「どうしたの?何かあったの?」
「……トウコ先輩、私、どうしたらいいのかな」
「……は?」
「何をすればいいのか、解らなくなっちゃった」
私は泣き続けていた。何が悲しいのかも解らないままに、ただ涙を拭い続けていた。
ホドモエシティで私の涙を拭ってくれたあの手を思い出して、また涙が止まらなくなる。
彼女はそんな私に暫く沈黙していたが、やがて小さな溜め息の後で口を開いた。
「取り敢えず、サザナミタウンに飛びなさい。私も直ぐに行くから。ちゃんと待っているのよ。変な気を起こさないように。……いいわね?」
その言葉を最後に、プツン、とライブキャスターは暗転した。
彼女との会話をちゃんと聞いていたのか、クロバットはサザナミタウンに向けて下降し始める。
私がサザナミタウンに辿り着いてから5分と経たない間に、ゼクロムに乗ったトウコ先輩がやって来た。
「ほら、来てやったわよ」
彼女は手を伸ばし、乱暴に私の頭を抱いて引き寄せる。堰を切ったように泣き始めた私を咎めることなく、「本当に困った後輩ね」と笑いながら私の背中を軽く叩く。
私は嗚咽の間に、少しずつ言葉を零した。
「アクロマさんが、あの船に居たんです」
「……」
「私、ずっと知らなかった。ヒントはちゃんとあったのに、気付けなかったんです」
すると彼女は、規則的に私の背中を叩いていた手を不自然に止めた。
「……アクロマさんってもしかして、あんたが春に話していた人のこと?」
私はその質問に頷く。
すると何を思ったのか、彼女は声をあげて笑い出したのだ。
私は驚き、彼女に縋っていた手を放して彼女を茫然と見つめる。あーおかしい、と言いながら笑い続ける彼女が、何に面白さを見出したというのだろう。
「だって、私にそっくりだわ」
「え……」
「ああ、勘違いしないでね。私はあんたみたいにみっともなく泣いたりしていないわよ。それにしても、やっぱり面白いわね。
私の後輩なだけあって、私に似て優秀だとは思っていたけれど、まさか相容れない人を好きになるところまでそっくりだったなんて」
いつの間にか涙は止んでいた。私の脳裏に、Nさんの姿が過ぎった。
……そうだ、彼女はNさんと戦ったのだ。彼と彼女の立場は決して相容れないものだったが、それでも互いが互いの主張を譲ることなく、信念をかけて対峙した。
今でこそ、彼女とNさんが一緒に居るのが当たり前のようになっているが、そこに至るまでには、私には想像もできないような紆余曲折があった筈なのだ。
「……で、何?あんたはその、アクロマさんって人がプラズマ団員だったことにショックを受けているの?
それで、自分がプラズマ団と戦っていいのかどうか不安になっているの?」
おかしさに笑いながらそう尋ねる先輩に私は戸惑う。私のこの考えは間違っているのだろうか?
彼と戦うことに躊躇いを感じてしまう、その気持ちはおかしいものなのだろうか?
「あんたが好きになった「アクロマさん」は、そんなろくでもない組織に、ろくでもない理由で属しているような最低な奴なの?」
「!」
「私は、あんたがそこまで見る目のない人間だとは思わないわ。何か理由がある、って考えるのが妥当なところじゃないの?」
そうなのだろうか。
私は彼女が提示してくれた可能性に、しかし素直に縋ることができずにいた。
そうであればいい。あの組織に居なければならないような、のっぴきならない事情が彼にはあるのだと、信じていたい。
けれど、そんな「のっぴきならない事情」で組織に属している彼を、他に選択肢がないからあの場所にいる他にない彼を、私はどうしようというのだろう。
……何より、もし、そうじゃなかったら。その時は、どうすればいいのだろう。
「しっかりしなさいよ。あんたの選択次第では、あんた一人に頑張ってもらわなきゃいけないんだから」
「……え、トウコ先輩は何もしないんですか?」
「当たり前じゃない。私は私とN以外の連中の事なんてどうでもいいの。だからプラズマ団に手は出さないわ。もうあんな連中の顔、見たくもないしね。
だから、あんたがプラズマ団と戦いたいならそうすればいいし、止めたいのなら止めればいい。あんたがどう動こうが、私はちっとも困らないのよ。
その結果、イッシュ中が氷漬けになろうが私は構わない。私は私とNの世界が守られていればそれでいい」
それに、と彼女は付け足し、すっかり泣き止んだ私に人差し指を向けて不敵に笑う。
「これはシアの旅よ、この旅はあんただけのものなの。……だから、シアが決めなさい」
その言葉の重みを私は知っていた。
彼女がイッシュのジムリーダーや、チャンピオンであるアデクさんに、ゼクロムが眠っていたというダークストーンを押し付けられたことを私は聞いていたのだ。
自身の旅が自身だけのもので在れないという苦しみを、彼女は誰よりも理解している。だから、私に何も命じない。「自分で決めろ」ということだけを、命じている。
だから、私は頷いた。
「よし、それじゃあセイガイハシティに行くわよ。そこにNも居るから、着いたら作戦会議を始めないとね」
「……え、何もしないんじゃなかったんですか?」
「何もしないわよ。私はただ、参加するだけ。Nがキュレムを助けたいらしいから、それにちょっと手を貸すだけよ。
あんたの為なんかじゃないわ。知っているでしょう?」
私の世界は私とNとを中心に回っているのよ。
そう気丈に紡ぐ彼女が、私の為にサザナミタウンまで飛んできてくれたことを、私は忘れていない。忘れる筈がない。
しかし私は「そうですね」と笑って相槌を打った。それが彼女を尊重することになると、知っていたからだ。
彼女は愛嬌のある笑顔でマリンチューブに入っていく。私もそれに続いて、階段を駆け下りた。
私は、どうしたいのだろう?
決めなければ。……自分で、決めなければ。
2014.11.19
アバンドーネ 感情の赴くまま