(桜SS 9/10)
「あのお花からあのお花までぐるっと囲むの。それから、ちょっと遠くに集まっている弓なりの部分、あれが頭になるんだよ」
「え、あれが頭なの? それじゃあ目は何処にあるのよ、分からないわ」
「本当にポケモンなんでしょうね?」
シンジ湖の水面を彩る桜の花弁を楽しそうに指さしている。あの一枚だけ浮かんでいるところが目に見えるでしょう、と歌うように告げている。
傍で少女の目線に屈み、その小さな指先を目で追うマーズは、けれども少女の見ているものを捉えることができずに「分からない」と首を捻るばかりである。
ジュピターもその隣で困ったように笑いながら、けれどもふと、離れたところにいるサターンへと振り返り、指をくいと示してみせる。
サターンがクーラーボックスからサイコソーダを3本出して次々に放り投げれば、彼女はにっと笑って両手を伸べ、それを受け取る。
3本目は受け損なって、危うく地面に落ちそうになる。その焦り顔に小さく笑う。
舌を出して笑い返してきた彼女は「貴方は仲間に入れてあげないわ」とでも言わんばかりにわざとらしく背中を向け、サイコソーダを二人に渡し、幼い乾杯の音頭を取る。
少女は一口だけサイコソーダを飲み、再び桜が描く何者かの解説を始める。
……花見とは、桜を見上げてするものだ。
か細い枝へと豪華に咲くその色に感嘆の溜め息を吐くのが正しい作法であり、湖に散り落ちた花弁を愛でる彼女達のやり方はきっと間違っている。
けれどもそれを遠くで見ているサターンも、そしてその更に遠くから彼等を見ているこの組織の長も、そうした「型破りな花見」を咎めたりしないのだ。
湖にぽつぽつと浮かぶ桜を結んで何らかの姿を作ろうとする少女のそれは、大昔の人が夜空の星を結んで星座としたあの試みにひどく似ていて、
ああ、何も間違ってなどいないじゃないかと、キャンバスが夜空から湖に置き換わっただけのことじゃないかと、そう思えてしまったからこそ、サターンは何も言わなかった。
そして更に遠くに在る男は……サターンと同じようなことを考えて口をつぐんでいる、という訳ではなく、生来の寡黙さが故に、言葉を発さずにいるだけなのだろう。
その無言は悉く「長」らしくないものであった。けれどもその「らしくなさ」を許し合える関係が既に彼等の間には結ばれていた。
故に、もう彼は無理をして言葉を饒舌に連ねる必要がなく、不機嫌を示すためではなく感謝と安堵を表するために口を閉ざすことを選べる人間になっていたのだった。
「ねえ、アカギさん! アカギさんなら分かるよね? ほら、お花がいっぱい集まって弓なりになっているところが頭で、手前のちょっと尖っているところが尻尾だよ」
「アカギ様、助けて下さーい! あたし達にはもうお手上げです」
名を呼ばれた男はサターンの横をすいと通り過ぎ、真っ直ぐに彼女達の方へと歩み寄る。さてどうなるかと少し愉快な心地になったサターンもまた、少し遅れて歩を進める。
少女の懸命な説明にもかかわらず、マーズもジュピターもその桜が描くものを見ることができていない。サターンにも、少女と同じものはまだ見えていない。
けれどもこの男ならあるいは、と思ってしまった。この方ならきっと造作もなく見抜いてしまうのだろう、と信じていた。
それはほとんど確信に近い祈りであったため、サターンはまるで「祈ってなどいない」といった風に澄まして、男の横顔を呑気に眺めることができたのだ。
しばらくの間、湖に浮かぶ花弁を男は無言でじっと見ていた。この場にいる誰もがそれに倣って沈黙していた。
やや強い風が湖面を震わせ、浮かぶ花弁が羽ばたくように揺れた。
「クレセリアに見える」
少女がぱっと笑顔になる。勢いよく満開を示したその藍色を見て、サターンはようやく「今日はいい花見日和だ」と思えてしまう。