Insomnia of Obsidian(USUM・未定)

ミヅキが泣いている。あの船着き場で泣いている。

いつも彼女は「其処」にいる。私の目蓋の裏にいつだってその光景は潜んでいる。私が目を閉じる度に、それは息を吹き返してあまりにも鮮やかに蘇る。
夢の中で私の形をしたミヅキが、私の知らない土地を駆け、私の知らないポケモン達と出会い、私の知らない女の子と出会い、その全てに大好きと笑いながら告げる。
髪を真っ白に染める。青いリップを唇に塗る。見せつけるように危険な大人達を慕う。崖から飛び降りたり海の水を飲んだりする。

そうして、常夏の地で踊り疲れたその悪魔は、やっと手に入れた平穏と幸福を喜ぶように、氷の中で眠るのだ。

恐ろしい夢。夢であればいいと思っていたそれ。けれどもそんな夢、この私には何の関係もないことであったはずだ。
あの夢の中にいる少女が、私にそっくりな姿をしていて、私と同じ名前であったとしても、それでも、私は、あの子とは違うはずだったのだ。
確かに、このアローラという土地は夢の中のそれに似ていて、私が抱き上げたポケモンも、ミヅキが抱き上げた子と瓜二つだったけれど、
それでも、これは私の物語であるはずで、私は今度こそ、この土地で誰にも忘れ去られることのない人物に、主人公に、なることができる、はずであって。

ああ、それなのに、それなのに。

「助けて……ほしぐもちゃんを!」

どうして貴方がいるのだろう。どうしてミヅキを見るのと同じ目でこの私を見るのだろう。
どうして私はミヅキのように、この少女を嫌ってはいけないと思ってしまうのだろう。どうして私はミヅキのように、こんなにもこの少女を恐れているのだろう。
どうして私は、私こそが「ミヅキ」であるかのように思われてしまうのだろう!

寒かった。あまりにも寒かった。震えが止まらなかった。常夏の地は私の故郷よりも、ずっと寒くて恐ろしくて、悲しいところだった。
目を閉じずとも、夢を見なくとも、あの氷の冷たさを私はすぐに思い出すことができた。
ミヅキが手に入れた幸福な死の温度は、これからもずっと私の背にまとわりついて、きっと一生離れることがないのだろうと思われてしまったのだ。

震える足で、吊り橋を渡った。もうこのまま、足を踏み外して身を投げてしまいたいとさえ思えた。
コスモッグを抱えたときも、吊り橋が崩れたときも、カプ・コケコが助けてくれたときも、私の心は-38度に凍り付いたままで、恐怖以外の一切を感じることができなかった。
ただ恐ろしくて、寒くて、どうしようもなかった。ミヅキが塗っていた青いリップよりも、きっと私の今の顔は青ざめていた。

このままではいけない。またミヅキが眠ってしまう。
私に憑りついたミヅキという悪魔に導かれるがままにしていれば、きっと私も同じようにああなってしまう。
私も-38度で、眠ることになってしまう。

「ありがとうございます……!」

笑顔でお礼を告げる宝石の顔を見ることができなかった。私は踵を返し、震える足を引きずるようにしてその場から立ち去ろうとした。
けれども宝石はミヅキを呼び止める。宝石一人ではこの山を下りられないからだ。そんなことは分かっている。ミヅキが分かっているから、私も分かっている。
待ってください、という声と共に、宝石が私の腕を掴んだ。それを乱暴に振り払い、私は叫んだ。

「馴れ馴れしく話しかけるな! ミヅキはお前みたいな甘ったれた奴が大嫌いだ!」

私は、眠らない。
絶対に、このミヅキを眠らせたりしない。

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