11/13、雪村さん

 こんにちは雪村さん、メールありがとうございます。
 サイトでのやり取りが1年振りだなんてそんな馬鹿な!? 毎日おはなししてたじゃない! ずっと一緒にいたよねそうだよね、とか頭のおかしなことを言いそうになったのですが事実なのが面白いところです。そっか前回も金木犀の時期だったのか……いい思い出に塗り替わってくれて本当に良かったなあという気持ちです。私としてもこの香りを嗅いで「よしシェリー今日も元気だな」と興奮するのは(?)やぶさかではないのですが、落ち込んでしまうのは本意ではないので……。
 こちらの場所も変わらず大事にしていてくださりありがとうございます。ついったで追い掛けてくださっていた「800歩先で逢いましょう」も無事サイトへお引越し完了いたしました。折々にご感想頂けるの本当に嬉しかったです! シンオウ地方での話も今後更新していければなあという気持ちです。眠い目を擦りながら旅をするヒカリちゃんを書くんだ私は。
 それらも含めて今後ともどうぞ、よろしくお願いいたしますね。

 結婚も出産も傍から見れば無条件に幸せなものであるだけに、二言目には「おめでとう」と出て来てしまう状況の中で、本当に祝えることなのか、と考えてくださる雪村さんの姿勢には本当に救われています。
 友達の少なさに関しては、私も似たような口論めいたやり取りでかつて何名か疎遠となった方がいらっしゃるので、そうした経験があっても尚一緒にいられる存在の得難さというのはよく分かっているつもりです。子供っぽい言い方にはなりますが、喧嘩する程仲が良い、を大人になっても実行できるってすごいことだと思うんですよ我々ね! どうですかね!?

 結婚に関しては当時、このまましない方がいいんじゃないかと沢山考えたこともあり、デメリットも数多く見えてきたりなどして、鬱々とした気分を晴らしきることができないままの入籍となってしまっていました。周りで「本当にそれでいいの?」と考えてくださる方はいなくて(当たり前ですが)一番喜ぶべき私が喜べていない、おかしいんじゃないか、という自覚があっただけに、唯一ネガティブなお気持ちを出してくださる雪村さんに、私の隠していたところへとそっと寄り添っていただけているような気持ちになっていました。
 という前回の事情を踏まえて書かせていただくとですね、今回の件に関しては、私、おめでとうと言っていただけるのとても嬉しいです。今、お腹の中にいのちがいてくれていることについて、今回は、誰よりも喜んでいるのが私であるという自覚があります。喜べていることを幸いに思います。幸せなことだと、思えます。
 デメリットや将来の苦労はそりゃもう数多く見えてきますし、経済的にも余裕がある訳ではないのでお先真っ暗とまではいかずとも暗雲立ち込めている感じではありますが、それでも「いてくれるなら、生まれてきてくれるなら全部チャラだ」と、思うことができています。
 勿論、不安がないわけではないので、そうしたネガティブな部分に寄り添ってくださる形のお言葉だってとてもとても助かります。雪村さんが沢山考えてくださった上でのお言葉ですから、お祝いの形をしているかどうかはあまり重要ではありません。ただ順調にいけば来年2月末頃に命懸けで産んでくることにはなるので、労いの一言だけあれば私の産後の回復が5%くらい早まるかと思います。その点だけご検討ください(笑)

 ブログからの引用紹介、ありがとうございます。【「察する」ためにコストを割いた結果、安心できる場所ではなくなってしまった】の表現に首が取れるんじゃないかと思う程激しく頷いてきました。
 私の幼少期の話になりますが、スーパーで買ってほしいお菓子があったらしく、床に寝転がって買って買ってと喚きながら駄々を捏ねたことがあるようなんですね。そりゃあもうすごい煩さだったみたいなのですが、母は見向きもせず私を置いていったそうです。幸い、周りの人が私をあやすこともなかったそうで、皆さん放っておいてくださいました。その結果、このやり方では私の欲しいものは手に入らない、思うようにはいかない、と幼心に学習したらしく、それ以来私が店先で暴れることは一度もなかったそうです。あまりにも幼い頃なので今の私には記憶がさっぱりないのですが……。
 駄々を捏ねることで自分の思うようになる、周りが優しくしてくれる、と学習した人なら、きっと繰り返しますよね。不機嫌も同じで、機嫌を悪くして拗ねていれば周りが察して動いてくれると学習した人なら、何度でもそうするでしょう。
 幼児への教育と一緒くたにするのはちょっとズレているのかもしれませんが、似たような「学習」の気配を感じたので共有させていただきました。

 敢えて「気付かない」という選択を、大の大人に対してするのってちょっと勇気の要ることではありますが、素知らぬ顔で「どうしたの?」「何かあったのなら言って」「言葉にできないのなら何でもないんだって思うことにするからね」と尋ねていくことで二者間の空気を少しずつでも変えていくことができるのかな、と思った次第です。
 私も今後、自宅を「安心できる場所」のままにしていたいので、そのためのメイキング……という言い方はおかしいかもしれませんが、そのためのコミュニケーションの土台は事実として会話の大半を担う私の側が作っていくべきなのでしょうね。参考にさせていただきます、ありがとうございます!

 あと! あと「仮説と検証」と1年前の私が書いていたことにびっくりしてしまいました。800歩先がまさにそれだったような気がしてぞくぞくしちゃいましたね。確かにユウリとセイボリー感があります。

 彼さんに対する【最悪の展開にはならない安心感】があるというのは本当にいいことですよね、羨ましいです。善性で安心感を得られるのってその善性を向けられている当人だけで、第三者に善性を向けている姿やその他大勢に善性を利用されたり搾取されたりしている姿を見ていてもなんだか苦しいばかりなんですよね。言い方がちょっと幼くなりますが「いい人ではない」「ちょっと意地悪」くらいが安定していていいのかもしれません。
 私もそれくらいないい感じの悪辣を目指したいのですが、普段は愛想よく努めている癖に急に「ちょっと意地悪」じゃ済まなくなるくらい尖ってしまったりします。自分への機嫌の取り方が難しすぎる……今後更に難易度が上がりそうで怖いな、気を付けたいですね。

 箇条書き表記での分類ありがとうございます。私になんか畏れ多い称号が付いておりますけれども! ありがとうございます! 善性と人間が両立されていないところに「やさしくありませんように」を感じてニヤニヤしちゃいました。雪村さんが理想としてくださった善性が、今後も慌ただしい変化の中で歪んでしまわないといいなぁ。
 そうそう、【ガチの善性はシステマティックだ】ってすごい表現ですよね!(サクラダのネタバレへの配慮ありがとうございます) であるならば金色の悪魔(USUM世界線のアクロマさん)の頭おかしいあの感じにも、正規ルートに勝るとも劣らない善性が宿っている可能性が!? などと一人興奮するなどしていました。システマティックと善性は綿と鉛みたいな感じで隣に並ぶと「誰だお前」みたいなものすごい違和感がある二単語に思えますが、多分それがしっくりくるような生き方を春崎さんはしておられるのでしょうね。

 ホルモン投与の時期についてもご言及もありがとうございます。8月と4月は本当にしんどかった……。
 そうですね、何で私がこんな目に、と素直に憤れなかった理由として、本気で憤ってしまえば相手に「じゃあもうやめよっか」と言われて、この治療自体が全部「なかったことになる」ような気がしたから、というのが一番に来るような気がします。
 本当に辛かったし苦しかったのは事実ですが、それでも「やめたい」とは思うことができませんでした。相手が望んでいることでもありましたし、何より私自身も何処かで成功を期待していたからこそ、耐えながら続けてしまったのだと思います。
 それに、治療の辛さが故に切り上げてしまえば、原因の端を私に発することになってしまいます。嫌な言い方をすれば「私が治療に耐えられなかったせい」ということになるんですね。それだけは避けたかった、という利己的な事情もありました。
 去年の晩夏から秋は随分と不機嫌な有様でしたし、仕事だってほとんどできておらず家にいてばかりで(コロナ禍ということもありましたがそれでも先生は普通にお仕事行ってくださっていましたからね)、それでも治療がキツいことは何となく分かっていたのか、先生も治療以外では随分と奔放に、思うようにさせてくださっていたように思います。家での私の過ごし方について苦言を呈してきたことはありませんでした。今もそうですが……。

 長々と書いてしまいましたが、きっと「あれくらい」が、治療を続けながら私が発揮できる悪辣さの限界だったのだろうなと思います。もっと暴れたってよかった、と思ってくださるのはとても嬉しいです。本当に、欲を言うなら私も泣きながら「なんで私ばっかりこんなことしなきゃいけないんだ」と八つ当たりしまくって喚き散らして、落ち着いてから「ごめんね、また頑張ります」と言えるようになってみたかったのですが、共感ではなく解決を優先する男性の前でそんなやり方が成立するとは思えませんからね。あれが当時のベターであり限界だったと思うことにしています。

 成功しても、治療の上限回数を終えて失敗に終わっても、どちらにせよそこから私の人生ようやく進むのだろうなあと思っていたので、より周りの人に喜んでもらえる形で私が作り変えられていくことに関しては、多少の誇らしさは勿論あります。私の親族、相手親族、誰もが喜んでくださいます。毎朝ウォーキングですれ違う名前も知らないおじいさんにさえ温かい言葉を頂きます。沢山、心配もしていただきます。それら全て、生まれてきてくれるいのちに少しずつ返していける私で在りたいなと思っています。雪村さんから頂いた言葉も、きっといのちの一部になる。そんな予感がしています。

 長くなっても問題ないとのことだったのでいつものように思うがまま記させていただきました、やっぱり長ぁい!
 読んでくださりありがとうございました。BDSP、楽しみですねふふふ猫目サターンさんに早くお会いしたいですねうふふ
 またお話、しましょうね!

(同日夜:追記)
 十数年後の鎌倉観光を見据えたお話ができたのが、最近のやり取りの中では一番嬉しいことだったのでこちらにも書き残させてください。白髪がしわが更年期障害がと悩ましくなってきた頃に、体調どう? とか言いながら一緒にお花を見られる未来を楽しみにしています。

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