7/18、雪村さん

 こんにちは、雪村さん。遊びに来てくださりありがとうございます。
 最近、「雪村」さんのお名前を見るとタイチョーとヘイチョーが浮かぶようになってきました。あとあの顔芸極めた二世のお姿も……フフフラダリ

 んっ!? ファランクスですか! ファランクスという単語からは「陣形」ではなく武器を連想してしまうのですが、早速調べてまいりました、元々は陣形から来た単語なのですね。タイレーツしっかり考えられたポケモンじゃないですか……これは人気を博する日も近そうですよ!
 今週日曜はワンパチの可愛さに皆さん盛り上がっておられたようなので、あんな感じでタイレーツメインのお話が1話でもあるとブームが襲来しそうではあるのですが……まだ切り札に取ってあるのかな。

 背表紙の英語ですか! わわっ是非拝見したいところではあるのですが、翻訳サイトに投じても分からなかった場合、それは本の中身、物語の主軸に則った強烈な「意訳」である可能性がありますね。「The Notebook」を「君に読む物語」とかとんでもない意訳をなさることを生業とする「翻訳家」という職業、彼等の中には小説家と兼業されているお人もいらっしゃいます。優れた物語を書ける人というのは意訳の才も持ち合わせているものなのかも……。
 「The Notebook」を普通は「君に読む物語」と訳したりはしないように、その背表紙の単語が意訳であった場合、物語の中身を知っていないことには適性翻訳、物語にどっぷり浸かった方にご納得いただける訳を生むのはとても難しい。ですのでそちらの新作の内容を詳細に把握できていない身である私も、的外れなトンチキ回答をやらかすおそれが多分にございます。それでもよければ是非、挑戦させていただきたく思います。私自身、普段からこれでもかってくらい意訳をやらかしているもので、言語を跨いで二つの意味を宿す感じの英語タイトルとかもう大好きなんですよね!

 あはは、お相手様「要らないよ」の一点張りでしたか! 礼儀の形というのはやはり家族という「文化」の単位で大きく異なるものですので、その文化に生きるお相手様が不要だというのであれば、従った方がいいのかもしれませんね。そこはもう異文化交流、自己の礼儀を押し通すか相手の文化に順応するかの問題になってきます。結婚してしまうとこの文化のすり合わせ過程で度々血を吐くことになりますが、雪村さんのお相手様はセイボリーのように3億倍強情であるという訳ではなさそうですし、雪村さんの考える礼儀や文化についてお伝えして相談の場を設けるというのもアリだと思います。
 雪村さんの仰るように、今はそうした礼儀以上に感染防止策を重要視すべきところなので、焦る必要はありません。落ち着いてからお手紙なりお礼の品なりを差し上げる、という形が適正であるように私も思いますよ。お電話くらいならすぐに入れてもいいのですが……顔が見えない状態での会話をいきなり始めるのは緊張しますしその辺はご無理なさらず!
 無難の山を積み上げることが得意になっていきます。「面白い」はハイリスク。「つまらない」は素晴らしい。その人と「仲良くなりたい」のではなく「ある程度の礼儀を示し嫌われないようにしたい」と感じられるのであれば、尚の事。「敵意の無さ」を差し出す行為として、荷物になりにくくプレッシャーを与えない気軽な贈り物をちょこっと添えるというのは有効である……というのは私にのみ通用する、私を納得せしめるための論理でしたが、参考にしていただけたということでとても嬉しく思います。

 お手紙のご検討もありがとうございます! こちらも同様に、今は感染防止策を優先すべきところだとは思いますので焦らずのんびり考えていきましょう。今更、1か月後に絶えてしまうかもしれないと恐れるような薄っぺらい仲でもなし(流石にこれは傲慢でしょうか)、このままならない生活が続く中、耐えきった先に楽しいことが控えていると考えると元気になれます。

 それでね、それでね雪村さん。ワタクシ感動いたしました。雪村さん本当にシールドのDLCやってないんです? と疑いたくなりました。貴方が、貴方様こそがセイボリー、いや違うな貴方様はセイボリーとは違うモットスゴイナニカ……などと震えておりました。すごいよ雪村さん。以前にご自身でも仰っていた【直情的】というのが此処まで高威力なものだとは思わなかった。刺さりました。セイボリーの「とんだ的外れなんですよ!」が陳腐すぎて笑えてくるくらいの、ものすごい威力でした。

 お友達のことについてもおはなしくださりありがとうございます。ただそのご友人に関して言うなら、雪村さんが【普段通りに接していた】という事実がそもそも大きな救いになっていたと思いますよ。無視のような、身体的害を伴わない比較的軽いものであったとしても、それが「いじめ」に似た様相を呈している限り、標的になった方の味方になって戦うことは困難だったと思います。無視の現象に気が付いていたかもしれない周りの人々も、巻き込まれないようにと考えて、その方と距離を置く傾向を取っていた可能性さえあります。そんな中、雪村さんが普段通りであったという事実は、雪村さんがその事実に気付かずご友人を気遣う言葉を掛けられていなかったという状況を差し引いても、ご友人にとってはひどく喜ばしいもので、確かな救いであった……と考えています。
 ……実はこれ、中学1年生の私が、担任の先生伝いに「葉月だけは変わらず仲良くしてくれたとあの子は随分喜んでいた」と感謝を伝えられて「えっそんなことが? いや知らんかったぜんっぜん知らんかった」と困惑した……という酷似した実体験から引っ張って来た意見であったりします。吹奏楽部のフルートに毎日恋して生きていたような人間だったから、誰が誰に嫌われていて誰を無視して誰をグループから弾いて……なんてこと、とんと興味がなかったのです。うーん世間知らずはこの頃からだったか!
 ただ、雪村さんが「カノンの翻訳」のシアを例示してくださったように、その相手のことを大切に想っていればいるほど、その「知らずに接した」事実が相手にとって救いであったとしても、「知らなかった」「知ることができていなかった」という事実は辛く感じられてしまうものですよね。辛いこと、お聞かせくださり感謝いたします。好き勝手に自論を捲し立てましたが、少しでもお気持ちが軽くなっていれば幸いです。

 でも当時、雪村さんは中学生、私も中学1年生、あの物語のシェリーもシアもティーン真っ盛り。無知が罪として断罪される時期ではございません、大丈夫。でも今の私達は成人していて、いい大人で、無知は罪であり恥でもある。それが大きな後悔を生むとお互いによくよく分かっている。奇しくも雪村さんにも私にもそうした経験がある。だからこそ、今回【エゴ】だとして吐き出してくださったお言葉はとても心に響きました。ありがとうございます。
 話します。開示します。吐き出します。辛いことも落ち込むようなことも、何かある度に(ぼかしはしますが)サイトに書き出します。深刻かつデリケートな問題があれば個人的に連絡いたします。私の友人が辛くならないようにいたします。ただこちらの譲れない意見として「貴方を、汚い愚痴のはけ口にはしない」という気持ちだけは貫かせていただきますね。
 辛さを共有していただけること、それを「できないことの方が辛い」と言ってくださったこと、本当に嬉しかった。最後に話題にしてくださった俳優さんの件も含みますが私はまだまだ生きていたい。そのためには綺麗であるだけではいけないのですよね。生きていたいというエゴに雪村さんを巻き込む狡さを発揮するようでやはり心苦しさはあるのですが、でも雪村さんのお気持ちも【エゴ】であるのなら、そうですね……「貴方と同じおかしさなら、もう怖がる理由なんてきっと何もありませんね」と、書かせていただきましょうか!

 あと今回、本当に感動したので今一度書かせてください。雪村さんのその直情性と、その意識に従う形で紡がれる真っ直ぐな言葉たちは、ええ、とんでもない武器ですよ。有り体に言えば「ちょうかっこいい」。とても魅力的です。そりゃあお相手様も惚れ込むわけだ!

 では、ありがとうございました。またお会いしましょう!

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