こんにちは、コグマさん。遊びに来てくださりありがとうございます。
こちら、体調面では問題なく、また仕事も先週からようやく再開したような状況でそれまではのんびり生きていたはずなのですが、
家族としか一緒に過ごしていないが故に、その家族の中でまた色々といざこざのようなものが生まれるのは避けがたいことのようで、
自分自身のこと、自分以外のことでも、5月は社会の最小単位の中において色々と振り回されてしまった月であったように思います。
でもコグマさんとこうしてまたお話できたので全部チャラですね、何も問題ありませんフフフラダリ
コグマさんの方は体調など崩されていませんでしたか?
緊急事態宣言は一応、解除されましたが、第二派も警戒されているところですのでこれからも一緒に気を付けていきましょうね。
ひぇ、そんでもってコグマさんお早い! 確認があまりにもお早い!「ミレニアム・クレイジー・ラブ」のご読了ありがとうございます。
この回は、私の個人的ないざこざがなくともおそらく1か月弱はかかったのではないかと思える程にこう……苦労させられました……。
私が悪ボスに憑りつかれている(言い方がよくない)のはコグマさんもご存知の通りだとは思うのですが、
此処に来て「例外」がやってきた、と身構えてしまうくらい、ローズさんのことはまだ好意的に見ることができていません。
いや、悪ボスを好意的に見るというのもゲームのシナリオ上おかしなことではあるのですが、
それでもゲーチスさんやフラダリさんやミーネさんの野望ないし激情には、私達が共鳴でき、惚れ込める程度の「ゆとり」があったように思います。
今回のローズさんにはそれが一切なく、またそもそも悪ボスと分類するのが躊躇われる程に、彼の行いには「裁きかねる」ところが多々ありましたよね。
そうした理由から、とにかく「底知れない人」「分かりづらい人」「気味の悪い人」という印象が、発売から8か月が経とうとしている今になっても抜けていないのが現状で、
ならばそうした「気味の悪い、出来過ぎた大人」として描写するしかあるまい、と意気込んでしまった結果、予想以上の描写困難性に苦しむこととなってしまいました。
けれども粘って書き上げた結果、コグマさんより【食えないお人】【本当に「大人」だ】【少し恐ろしかった】という嬉しいお言葉を頂戴できました。
いやぁ、頑張って書いて本当によかった!
ユウリについてのご言及もありがとうございます。
彼女はクリスさんとは別のベクトルで、非常に「頭のいい子」として書いています。
周囲の分析能力に長け、努力の才があり、年相応の好奇心を持ち合わせており、基本的には聞き分けが非常によい。
彼女には自身の嗜好というものがほとんどないため、自らの心理に左右されることなく、それこそ機械的に正解や最適へと辿り着けます。
そうした「個性を持たないからこその半全能性」をネズさんが「謎解き」と称して読み解いていく回……これがおそらくクライマックスシーンとなるのだと思うのですが、
ここを執筆するまでにはあと1話か2話くらい、「File」ではなく「Case」の方を挟む必要があるかなと考えています。
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あっ……え、コグマさん、それは!
【才能のせいであんなに歪んでしまった人間らしい子】は、狛枝に対するある種の正解だと思うのですが! 幻覚でも何でもなく真理を突いていると私は考えているのですが!
ダンガンロンパの世界における「才能」には幾つか種類があると思っていて、
主に「努力して手に入れたタイプ」「元からあったものをちょっとの工夫で大成させたタイプ」「生まれつき備わってしまっているタイプ」の3つに大別されるかと思うのですが、
この3つ目、生まれつきタイプに関しては本当に、才能などというめでたい言葉ではなく「呪い」も同義な惨たらしいものであると私は考えています。
狛枝は幼い頃からずっとその呪いに苦しめられてきましたが、希望ヶ峰学園にそれを「才能」だと定義付けしてもらえたことでようやく救われたのかもしれません。
彼が自らの波乱万丈な過去を語るとき、「ボクは幸運だ」と必ず付けるのは、才能への自負に加えて、
これは呪いではなく祝福だと自らへ必死に言い聞かせている様子である……という風にも解釈できそうな気がしているんですよね。
【あんな正確になって】しまわなければ、正気を保つことができなかったのでしょう。
ほんのちょっと偶然が重なっただけで、心を乱されてしまう経験というのは私にもコグマさんにもありますが、
我々にとって必要な【嫌なことに折り合いをつけるため】の作業である「幸運と不運の振り分け」を、
生まれた傍から運命づけられている彼のことを思うと、……うん、どうにも遣る瀬無い、悲しい気持ちになってしまいますね。
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デトロイト、一つのルートをご覧になったのですね! ご視聴お疲れ様でした。
そうですね、コナーは人間への憎悪や恐怖で変異したという訳ではありませんでしたから、カーラやマーカスとは「変異」の意味合いがかなり違ってきますよね。
コナーはカムスキーに「どちらの悪を選ぶのかな」と揺さぶりをかけられていたように、
変異しても変異せずとも、彼の周囲にいる誰かと敵対せざるを得ない、非常に厳しい立場にありました。
グッドエンドでは「創造主に歯向かう」方を選び、アマンダと敵対する形になりましたが、
それでも私達が「ああよかった」と思えたのは、ひとえにその選択をしたコナーを「意味がある」「生きている」とハンクが肯定し、笑ってくれたからなのだろうなあと考えます。
【息子の晴れ舞台を見守る父親】というお言葉に思わず唸ってしまったのですが、
成人男性モデルでこそありますが感情面にて未熟なところを多分に有するコナーのことを、ハンクは少なからず「息子」のように見ていたような気がします。
だからこそ、彼が変異し自分(人間)と似た形になろうと行動する様を「ほら行け」と送り出すことができたのかもしれません。
同じ心を有した存在であるという確信が彼にあれば、本当のコナーを間違わず選び取ることなど造作もなかったでしょうね。
で、でも何も60コナーのこと撃たなくてもよかったと思うの……。
【アンドロイドに非人道的な改造の限りを尽くしたズラトコを見た後だとまだギャビンがまともで人間的に思えました】にめちゃめちゃ笑いました。
そうか! ギャビンって実はまともだったんだな! そうだったのか成る程ぉ!
という「気付き」を得て私も変異することができたようなのでこれからはもう少し脳内にいるギャビンにも優しくしようと思います(脳内にギャビンがいるという時点で既に末期)。
確か子供用アンドロイドに対する雑誌は、コナーが初めてデトロイト市警に入るシーンで見ることができたように思います。
「養育費用のかからない聞き分けの良い子供が僅か××ドルで手に入る」ということで、アリスのYK500型はかなり人気であったようですね。
確かにこの現象は狂気めいていますが、私はこれを最初に見たとき「あっ、役に立たなくてもいいんだ」と少し安心してしまったのですよね。
機械というのは人間社会の生産性を高めるために生み出されれているものだとばかり思っていましたから、
そうした生産性とはかけ離れた位置にある「無力で非力で無知な存在」が「愛されるために」作られているという事実は、まだマシなことのように見えました。
ただ、これはアンドロイドを主体とした場合の思考結果であって、人間に視点を置き直して考えてみるとただただむなしくなるばかりですよね。
対人関係、家族関係さえ機械で済んでしまうのなら、もう人間なんて種族、用済みなんじゃないかとさえ思えてきますから……。
メリーゴーランドのシーンですね、あの場面、カーラ達親子も当然、素晴らしい描写には違いなかったのですが、
変異していると思しきジェリー達が、かつての職務であったメリーゴーランドが子供を乗せて回っているところを本当に嬉しそうに見ていて、……こちらにうるっときてしまいました。
あと、カーラ編ではルーサーの台詞が印象に残っています。
「あの子は母親を、お前は愛するものを欲した。お互いに、相手の望む存在になったんだ。それが生きるってことなのかもな」
この「相手の望む存在になること」が「生きること」であるという解釈が大好きなんです。
これを前提に、コナーが夜の橋でハンクに告げた「貴方が望むものになりますよ」という言葉をもう一度かみしめてみると、
この段階でコナーは既に「生きようとしている」と読むこともできてしまうんですよね。
その「生きようとする力」を感じ取ったから、そこに人間性を見てハンクは安心した(好感度が上がった)のかなあ、とも。
わっ私も語りたいことは山のように! あるのですが! コグマさんに倣ってこのあたりにしておきましょう!
恩を仇で、なんてそんなことは全くございませんよ! 私の趣味にお付き合いくださり、一緒に沢山お話をしてくださり、とても嬉しかった。ありがとうございました。
コグマさんのゲーム史の中に、何か特別な形で彼等の生き様が残り続けてくれることを想うと、一ファンでしかない私もたいへん誇らしい気持ちになります。
DBH、おそらく私はまだまだ24で喚き散らす(今日も散々書きなぐりました)はずですので、お時間のあるときに
「おお、まだ懲りずにやってるやってる」と笑いながら眺めていただけると嬉しく思います。
ああ早くDBHパロを! 書きたいなあ!
では、今回も本当にありがとうございました。またお会いしましょう!