こんにちは、翠子さん。こちらへ遊びに来てくださりありがとうございます。とても嬉しく思います。
巷で噂のオンライン授業、始まるんですね! おめでとうございます!
ただ、授業はあれど参考資料の舞台となる図書館に入れないというのは確かに痛手となりますね。
萩原朔太郎さんは、太宰さんや谷崎さんほど読み込んではいませんが、「やさしい」であるという印象を持っています。
文体が、というのではなく、その文字によって出力される情景が、なんだか生々しくなくて安心していられるのです。
中原中也さんの、崖をごっそり切り取るような(?)情景描写も好きなのですが、どちらをよく読むかは概ね気分に左右されるものですね。
ちなみに……ここ数週間の引きこもり生活の気分で言うならば、萩原さんでも中原さんでもなく、あのお方の気分です。そう、江戸川乱歩の!(私はもう正気では)
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愛についてのお話、ありがとうございました。ただ何となくですが、翠子さんがお持ちである愛の観念については「そうであるだろう」とは、思っていました。
特に性行為の描写というのは翠子さんの仰る通り、「見返りを求めない慈しみ」と「欲や情念」が混在しているものが圧倒的に多いため、
後者の方が色濃く書かれてしまうと、あまりいい印象を持たなくなってしまうというお気持ちは痛い程によく分かります、分かってしまいます。
「ナイチンゲールと薔薇」も確認いたしました。
鳥を見送る木が「君が行ってしまうと寂しくなるだろうから最後に一曲だけ」という趣旨の懇願をしていて、私はこの台詞に最も胸を締め付けられました。
勝手に、アルミナの「貴方がいなくなったら、寂しいし、悲しいわ、とても」と、重ねてしまったんですよね。
木は心から、この鳥と一緒に生きていたかったのだと思います。愛ゆえに。でも鳥は飛び立ち、花のために歌うことを選びました。愛ゆえに。
鳥の愛、木の愛、そして青年が愛だと言い張るもの。それらがはっきりと区別された上で、ただ残酷に物語の中に散りばめられている様はとても美しいものでした。
これだけはっきりと書き分けられてしまうと、なんとなく、この物語に裁かれているようにさえ思われてきますね。「貴方の愛は本当に真実か?」なんて。
ただ「欲や情念」は人間の生物学的なところに根差したもので、それが「ある」ということは種の存続において非常に有利に働くものだと私は推察しています。
性行為自体が本能に根差したものである以上、人間がこの肉体を有している限り、「感情のみで性行為を行う」ことは不可能であるとも言えますね。
(だからこそ、アンドロイドがそうした本能を持たないままに、感情だけで心を通わせられることには大きな羨ましさを覚えます)
「やさしくありませんように」についてのご告白もありがとうございます。
さらっと「彼女を抱いた」という事実を2000文字程度で示しただけではあったのですが、そのことに翠子さんが痛ましい気持ちを抱いておられたとは完全に想定外でした。
確かにあの頃は、性行為というのは食事と同じくただ生々しいだけのものだと認識していたため、あれを書くのはあまり気分のいいものではありませんでした。
ズミさんは結局、あの行為に「愛」を見出せないまま、ただ手段として彼女を抱くだけに終わりました。
当時の私はそれでいいと思っていましたが……性行為を至上の愛の形と考える方からすれば、あの物語は非常に物足りないものであったかもしれませんね。
「青の共有・夜」は数日前に完結しましたが、これを更新してからしばらく経った今でも、これは本当に彼等の正解だったのだろうかという疑念は消えていません。
アポロさんもクリスさんも人間です。肉の器を有する存在です。本能からは逃れられません。けれどもそれ以上の愛情をもって、彼等は互いに触れ合おうとしました。
ここまでなら単なる優しい性行為でおしまい……なのですが、二人の場合はそれに加えて「クリスさんの存在が不実である」という点も加わります。
幼子のように、少女のように、詩人のように、歌姫のように、聖母のように、天使のように、神のように。
何者にもなれてしまうようで何者でもない彼女の深くへ触れることは、彼女が「人間であり、ただ一人の女性である」という事実を確認するための手段となり得ます。
その確認がアポロさんに与える安堵と、その過程でクリスさんが為す、己の不実性への告解。それらを受け止めた上で為される、青の共鳴、青の共存、青の共有。
この全てを成し遂げる場として設けられたあの夜には、この二人にしか持ち得ない意味が確かに生まれていたと信じています。
が、それは私が自己満足でそう思っているだけです。読んでくださる方に同じ納得を強要できるものではございませんから……。
また、少なからずそうした描写が入ることから、とても読み辛い様相を呈しているかと思われます。嫌な気分になりましたら、すぐにページバックしてご自衛くださいね。
そして、もし最後までお読みいただけたなら、もう一度翠子さんにお尋ねしたい。
私の書いた愛はまだ、ちゃんと透明なものでしたか。【痛ましさも醜悪さもない】ものでしたか。
流れる水は濁っていませんでしたか、空気の向こうにちゃんと星は見えましたか、水晶に映る光は貴方の目を傷付けませんでしたか。
これからも私の綴る物語を、貴方の傍に置かせていただけますか?
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あっわっDBH読んでくださったのですね、うれしい!
【作られたものは天国に行けない】という言葉は私もよく目にします。それは勿論、間違ってはいないのでしょう。
だからこそあの話でのビートは「ユウリのための天国を造る」という行為により、作られた機械であるはずの彼女に命を見出そうとしたのだと思います。
命が先か、天国が先か。どちらでも心の動きとしては面白い物語を綴れそうで、今からDBHパロに取り掛かるのが楽しみです。
【世界が違えど自身の業からは逃れられない主人公たちが多い中で、ユウリはDBHの世界においては逃れることに成功している】というご指摘にも震えました。
まだ連載の一つも完結させてあげられていない主人公である彼女ですが、私は現時点で彼女にかなりの思い入れを抱いているのかもしれませんね。
あまりにも呆気なく自らの業から逃れてしまう彼女を、トウコあたりが見たら嫉妬に眉を寄せるかもしれませんね。
彼女はもう……4回くらい、Nと一緒くたにされる運命を繰り返していますから。「別にいいけどね」と笑ってくれると信じてはいるのですが。
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近いうちに、またLINEで連絡させていただきたく思います。
相変わらず変なテンションで捲し立てるでしょうし、また回線の不具合により何度か翠子さんのお言葉を聞き返すという、難聴紛いの振る舞いをするかもしれませんが、
それでも良ければ是非、今回の愛についての話し合いも含め、色々と思いを共有させてくださいね。
では、ありがとうございました。またお会いしましょう!