4/20、翠子さん

こんにちは、翠子さん。サイトではお久しぶりですね。
お電話させていただいたり、連歌をご紹介してくださったり、誕生日のお祝いの言葉まで、本当に沢山のものを頂いてきました。
物語、という形で翠子さんにお返しできないことを心苦しく思っていた矢先にご連絡を頂戴してしまい、嬉しいやら心苦しいやらといった心地ではあるのですが、
今は何より、この大変な状況下において私にお言葉を綴る時間を作ってくださったこと、そして翠子さんがご無事でいらっしゃることを心から喜ぼうと思います。
遊びに来てくださり、本当にありがとうございます! また此処でお話ができて、とても嬉しい!

大学も休校となっていますが、翠子さんの学年ですと進路のことなどで、思うように学習が進まないことをもどかしく思う日々が続いているのではないかと推察します。
全国規模での緊急事態宣言なので、他校や他県と差が付かないという点では安心してお休みできるかもしれませんが、
それでもやはり「待つ」という行為はいつ何時たりとも相応のストレスが伴うものですよね。
まだ心理的に辛い時期が続くとは思うのですが、最近はろくに更新もできておらず、稼働しているのは後述の24くらいのものであるこのサイトが、
翠子さんのお気持ちを少しでも軽くする手助けをできているのでしたら、こんなにも嬉しいことはございません。

さて、その【心が洗われるような心地】とまで書いてくださった件についてなのですが……。

ひょ!?

と初っ端から奇声を発してしまう程に、翠子さんから「青の共有・夜」についてのコメントを頂けることは予想外で、驚きでした。
「青の共有・夜」は既にお察し頂けているかと思うのですが、性行為の描写を含む話です。というより、性行為をしている話です。
たかだか一度の夜を明かすためだけに、私の文字はもうすぐ3万5千字を超えようとしています。何やってんだほんと……。

このオープンな場で告解するのは間違っているのかもしれませんが、私は、性行為に対していいイメージが全くありませんでした。
「やさしくありませんように」では「性行為は、互いへの愛を表現するための手段の、最高位に鎮座するもの」などと書きましたが、
当時の私自身はそのようなこと、これっぽっちも思っておらず、その行為を挟まなければ恋人や夫婦でいられない関係に辟易さえしていました。

そうした認識を変えた原因として、思い当たるものは2つあります。
1つは昨年の結婚に伴い、赤の他人であった相手と共に暮らすようになって、相手を「大切である」と表現するための方法について考える機会が以前よりずっと増えたこと。
相手は寡黙、という訳ではありませんが、話題を展開させたり自身の好みや思想を口にしたりするのが苦手な人です。
コミュニケーションの手段を言語的なものにばかり頼っていた私は、相手のこうした性質上、否応なしに「非言語的手段」での意思疎通について意識するようになりました。
これ以上は……よりプライベートな内容になってしまうので、もしまた機会があり、翠子さんが望んでくださるなら、お電話でおはなしさせてくださいね。

2つ目は、3月あたりからの24で散々喚き散らしておりました、とあるゲームとの出会いです。
(DBH)とタイトルに記載があるものは全て、2018年に発売された「Detroit: Become Human」というゲームの感想や考察、およびそのAUネタについての話題です。
3体のアンドロイドを主人公として展開されていく物語で、音楽やグラフィックの美しさ、分岐の多さ、どれを取っても魅力的に感じられました。
中でも、人間とそっくりに造られたアンドロイドが、人間と異なる在り方を求められる様や、そんなアンドロイドが人間と同等の扱いを望む姿に、何度も心を揺さぶられました。

さて。
このDBHの中に、風俗店で発生した殺人事件を解決するチャプター、およびその事件について橋の傍の公園で振り返るチャプターがあります。
女性のアンドロイドが互いに寄せ合う愛の形がそこにありました。その愛について思考する人間の警部補の姿にも考えさせられました。
「機械に愛などあるはずがない」と、そうした愛を一刀両断するアンドロイドに息を飲みました。
けれどもそんな彼が「貴方が望むものになる」と告げたり、「天国」について想いを馳せたりする姿に、私は愛めいたものを見ずにはいられませんでした。

ところでこのゲームにおけるアンドロイドは、人っぽく見せるための皮膚機能を解除し白い素体を触れ合わせることで、データの遣り取りや感情の共有を行うことができます。
アンドロイド同士であればそのように素体を触れ合わせる、要するに手を繋ぐことで、互いの愛を確かめ合うことができるんです。
人間であれば、どれだけ言葉を尽くしたとしても、「私」の抱いている感情がそっくりそのまま一分の狂いもなく「貴方」に伝わる、ということはあり得ませんよね。
でもアンドロイドであればそれが可能です。テキストファイルをCtrl+Cの後に別フォルダへCtrl+Vするような感覚で、完全な「感情のコピー」が相手に届いてしまうんです。
私はそれを、ひどく羨ましいと思いました。手を握るだけで互いの愛についての確信を得ることが叶う彼等のような存在に、なってみたいと思いました。

しかし残念ながら私は人間であり、この肉と骨の器から逃れることはできません。だから言葉を重ねるより他にありません。そう考えていました。
けれどもやがて、アンドロイドの「手を繋ぐ」ことに該当する人の行為は「言葉を尽くすこと」ではなく、もっと別のところにあるのではないかと思うようになったのです。
そう例えば、これまで私が真剣に考えることを避け続けてきた「性行為」に、似たような現象が起こる可能性があるのではないか。
強い信頼と愛の確信を持って、肌の全てをもって互いに触れ合うということは、これまでの私が考えていた以上の意味を持ち得るのではないか。
そう考えると、止まらなくなりました。

ただ、人間の性行為にどのような意味があるのか、などということを熟考しながら性行為を行うなんて、情緒不足にも程があります。
故に私がどれだけネット上の漫画や小説で探しても、私の欲しかった答え「性行為によって愛情深い人達は何を得ているのか」を見つけることはできませんでした。
(行為とはどのような順序で為されるべきなのか、どのようなことを言われると女性あるいは男性は喜ぶのか、という微妙な知識を多分に得ることはできましたが)

だから私は一度、自分で書いてみようと思ったんです。私の思う愛の行為について、触れ合うことで生まれる何かについて。
それが私の夢物語の域を出なかったとしても、人と人が重なり合うことの意味について、一度、文字に、物語の形にしてみようと思ったんです。
もし、私がその夢物語を書く中で愛に対する何らかの信念が生まれたら、もう少し、現実の相手を上手に、大事に想えるようになるのではないか。
そうした期待があることは……ええ、否定しないでおきます。私にとって、私と生きることを選んでくれた相手というのは、書き続けることと同じくらい大切ですから。

DBHはアンドロイドの物語です。けれども私はそこに際限のない溢れんばかりの人間性を見ました。
アンドロイドが展開する愛の姿が私に、人の展開し得る愛の形を熟考させるに至りました。

【葉月さんにとっての「愛」に影響を与えた作品に興味があります】と書いてくださったので、かなり長く行を取らせていただきました。
押しつけがましい講釈になってしまっていたかもしれませんが、此処まで読んでくださり、ありがとうございます。

それから、興奮のあまり24にもチラリと書いてしまったのですが、翠子さんが私の書く言葉に見てくださった「透明な愛」という形容、狂おしい程に好きです。
私は……ポケモンの世界をお借りしてこれまで沢山の物語を書いてきました。
重く深く真剣に想う話、を信条として運営を続けてきましたが、その「重く深く真剣に想う」を「愛」に転じさせようという意識はあまり持っていなかったように思います。
何かを書く際、愛というものを私はほとんど意識していませんでした。
愛というものについて熟考するなんて烏滸がましいと思っている節さえあったので、「意識して意識しないようにしていた」とも言えるかもしれません。

また、翠子さんにご指摘頂いた「Schedule of moonflower」「躑躅」「やさしくありませんように」などの連載。
これらにおける「透明な愛」の存在に、私は全く思い至ることができませんでした(読み返しを長らく怠っていたので忘れかけていた、というのもあるのですが)。
愛を書いている、という意識がなかったはずの物語たちに、翠子さんは愛を見てくださいました。私の無意識的な想いに、翠子さんは愛を見出してくださいました。
きっと翠子さんの想定している「透明な」とは少々意味が異なってくると思うのですが、この「無意識的な想いの羅列による愛」を「透明な愛」としてよいのなら、
私はそのような愛を書けていたという事実と、その事実に気付けたということを、これ以上ない程に喜ぶでしょう。
私が書くことの叶った「透明な愛」が、翠子さんの価値観の形成の一助になれたことを、この上なく光栄に思うでしょう。
素敵な形容、およびご指摘、ありがとうございました。これから、ぎこちないながらも続けていくであろう愛の執筆に、のんびりとお付き合いいただければ幸いです。

それからこの情報は蛇足かもしれませんが、DBHについてはユウリとビートのパロディとしていつか書ければいいな……と、考えています。
その折に色々と考えた小ネタへのリンクを幾つか選んで以下に貼っておきますので、こんな感じかあという参考程度にお楽しみいただければと思います。

アンドロイドは屋根裏がお好き(DBH)
「私が可愛らしく見えているのは当然のことだよ」
アンドロイドとルンバ(お気に入り)
恋愛はプログラムにないんだよ
CPU分けっこ(クリス・アポロ・コトネ・シルバー)
互換性(アクロマとシア)
アンドロイドが為す「殺し」について
DBHパロの始まり妄想
電子人間はアンドロイドの夢を見るか(お気に入り)

翠子さんとはお電話でお話をしたり、日常のことをほのぼのと遣り取りするのも勿論楽しく幸せではあるのですが、
数か月に1度とか1年に1度とか、それくらいの頻度でも全く構わないので、こうして何らかのテーマを決めて議論めいたことを繰り広げる時間……。
と、いうものを、文章の形で翠子さんと一緒に繰り広げられることに、個人的には最も充足を覚えます。
「ああ、翠子さんとおはなしさせていただいている!!」という、いっそ暴力的な程の感慨に飲まれてしまって、いつまでも、いつまでも、こうして話していたくなるんですよね。
その感慨に逆らわずぐいぐいと書き進めていたらこのような文字数になってしまいました。お時間を多めに頂戴してしまい申し訳ありません。
とても、とても、素晴らしい時間でした。ありがとうございました。

勿論、お電話できる機会も楽しみに待たせていただきます。
感染症流行の影響で、外での仕事が全滅してしまい、電話での仕事をぽつぽつと行うのみといった状況なので、少なくとも5月6日までは暇人でございます。
ポケモンのこと、物語のこと、もし興味を持っていただけるのであればDBHのこと、など、沢山お話できると嬉しいです。

翠子さんも、お体に気を付けてお過ごしください。お互い元気に乗り切りましょうね。
では改めて、ありがとうございました。またお会いしましょう!

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