こんにちは、皐月さん。遊びに来てくださりありがとうございます。
顔を覚えるのがとても苦手なので、せめてお名前はしっかり覚えていようと努めているため名前を聞いてピンとこないということは日常生活の中でもなかなかないのですが、
特に皐月さんとはお付き合いも長く、更にお名前が私に都合の良いお揃いの形をしているため(皐月・葉月)忘れようがなかったりするのです、当然ですよ!
耳の調子が悪くなるというのはとんでもない恐怖ですよね。2週間の療養・治療となるとかなり重い症状だったのではないかと思います。
私も高熱により一時的に耳がおかしくなり、当時好んで聞いていたBGMがいつもと違う音程で聞こえてしまい、これは大変だと焦ったことがあります。
狂気に塗れていたとのことですが、現在もその、狂気に塗れたストレスフルな生活を送っていらっしゃるのでしょうか、
それとも「うふふアクロマさんは今日もかっこいいなあその土星の一部になって永遠に電磁浮遊できたら幸せだろうなあフフフラダリ」みたいな感じの熱狂ということでしょうか。
後者であれは「わーいナカーマ!」と手を取りはしゃぎ合いたい気持ちになれるのですが、
体に不調が出るような多忙の状態が慢性的に続いているというのであれば、辛いものがありますよね。
自身の疲労度、精神的苦痛の蓄積を客観的に測ることはとても難しいのですが、数値化できずとも、
ある閾値を突破してくると体の方から「もう無理です」とサインを示してくれる場合があり、
そのサインが軽いうちに休息を取ったり環境の変化に努めたりといった行動を取ることで悪化を防ぐことができます。
このままならない世界において、常に心地よい状態を保つというのは最早不可能に近く、理想郷でしか叶わないような夢物語に近いところではあるのですが、
それでも、なるべくなら自分の体は楽なところへ、無理のないところへ置いておく方が、楽しいことを楽しむために、綺麗なものを綺麗だと思い続けるためにもよいかと思います。
くどい書き方になってしまいますが、お疲れの過ぎないようになさってくださいね。
けれどもそうした「片耳が聴こえない」状態をも創作の糧にしようとするその姿勢には感服いたしました! やっぱり皐月さんはすげえや! でも無理はいけないぜ!
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カロスを【不足の美】と僅かな単語であまりにも完璧に表現されたことにも頭が下がるのですが、
クセロシキの記載になった途端、下げていた頭を「ですよね」という声と共に上げ、皐月さんの手を掴みぶんぶんと振りたい心地になってしまいました。
そしてプラターヌ博士に対するご考察でこれまた頭が下がり……といった、首から上が非常に忙しないことになっていましたよフフフラダリ
さて、この勢いのまま書かせてくださいね。
【絶対に宝物なんて思っていない、夢見がちな少年の落書きによって無理矢理未来のことを考えさせたな?】
私の中ではプラターヌ博士は軟弱な人物として完全に認識されているようなところがあるため、彼に出来ることがあるとすれば、
「フラダリさん関連の罪悪感には触れず、ただカロスを救ったことを大々的に祝福し主人公を肯定する」というくらいのものだと思っていました。
勿論、あの落書きも、トレーナーとしての才能を信じていた頃の彼が書いたものだと思っていましたし、彼は本気であれで主人公を励まそうとしていたのだとも、考えていたのです。
けれども「そうではないかもしれない」という可能性を、皐月さんの今回のご考察は与えてくださいました。
彼には「罪を引き取る力」「罪悪感を奪い取る気概」があったのではないか?
主人公が未来へ進むためなら自分の歩みを止めてフラダリさんと一緒に立ち止まったままになったとしても構わない、などという覚悟さえ決めていたのではないか?
けれどもそうした力の奮い方、気概や覚悟の示し方が不器用だったがために、あのようなパレードが行われてしまったのではないか?
彼がフレア団解散後にひたすら明るく振る舞い、フラダリさんのことを忘れたような笑顔で主人公に接していたのは、
「カロスは美しく在らねばならない」というあの土地独特の強迫観念によるものではなく、主人公にこそ彼のことを、その罪を忘れてもらうためだったのではないか?
「ボクだけが覚えていればいい」などと、あの不器用な人は本気でそう思っていたのではないか?
そうした可能性を前提に話を進めるならば……ええ、主人公が激昂するのは致し方ないことであると思います。
皐月さんの描く主人公は、カロスの歪な在り方にも心を折らない「生きる力」を沢山持った子なのですね。
そして、わわ、「重ねすぎて空になってしまった空気の色」をお気に召してくださりありがとうございます!
これはもう何年も前にとある方に紹介していただいた、深海生物のイラスト図鑑の中にあった文章「水は無色ではない」というものから着想を得ています。
水も空気も無色に見えるのに、積もり積もると「そうではなくなる」という在り方が、当時の私にはとても魅力的なものに思われたのですよね。
【ある意味「人間らしい」ことが一番「怪物」であるのかも】
うわぁナンテコッタイ! と唸りたくなってしまいました。
まさに、まさに私もそう思います。「人間らしさ」こそが「怪物」であるのだと考えています。そういう意味で私は時折、自らのことを「怪物」だと称します。
ただ、シアの表現として用いたい「怪物」と、私が自らのことを指して呼ぶ「怪物」とには大きな違いがあり、
それは「心理的な面において怪物めいている」ことと「生物学的な本能において怪物めいている」ということに分かたれています。
(リンク先はだいぶ気持ちの悪いことを書いていますので参考程度に留め置いてくださいね)
シアを始めとする、人物におけるめくるめく心理、決して美しいとはいえない想いに命を賭する人物たち……その心の淀み、複雑性を此処では「怪物」と称しています。
そしてその「怪物」こそが「人間らしさ」であると考えており、私はそうした「人間らしさ」というのは「思考」「心理」に根付くものだと信じています。
けれども現実問題として、このままならない世界に生きている私はそうした「思考」「心理」だけで生きていく訳にはいきません。
眠くなるし、お腹は空く。蚊に噛まれればものすごく不快になるし、火傷や擦り傷の痛みがじんじんと残る様もストレスフルなものです。
そうした本能や生理現象、痛みや不快感。私はそうしたものを……きっと憎んでいる、のだと思います。
長々と書きましたが、私は「思考」「心理」で構成された「怪物」である彼等を、「人間らしい存在」だと思っていて、
だからこそ、「本能」「生理現象」などで構成された「肉の塊」である私を、本当の意味で「怪物」だとしてしまいたいのかもしれない……といったところですね。
勿論、皐月さんはこのような認識で【「人間らしい」ことが一番「怪物」であるのかも】と書かれた訳ではないのだとは思うので、スルーしてくださっても大丈夫です。
彼等の心理的な「怪物」は愛せても、自らの本能的な「怪物」を愛することはきっとできないだろうなあという、妙な歪みが私の中にある、というだけの話です。
お、お目汚し失礼いたしました!
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ガラル主人公のお話も聞かせてくださりありがとうございます。
「赤銅色」のアリシアさんがガラルを旅することになるのですね。新しい少女に魂を宿して新しい世界を歩いてもらうというのは、いつもいつでもわくわくするものですよね。
ソードシールドの同時購入、おめでとうございます! ポニータは事前情報として公開されていたのですが、ま、まさかサニーゴが表れるとは思いもしませんでしたよね。
私も「サニーゴはシールド限定」というのを聞いたときに「ダブルパックにしておいてよかった」と心から思いました。
もっとも、まだシールドでそのサニーゴと邂逅することができておらず、ソードのソフトで交換していただいたサニーゴを可愛がっている状態ではあるのですが……。
ソードとシールドも違いも含めて、是非思いっきり楽しんでくださいね。
ユウリの目の描写も好んでくださり嬉しく思います。
しかし私の発想を既に皐月さんがしておられたということなので、ユウリはその「紅茶色の髪と蜂蜜を溶かして固めたような瞳」の女性の後輩ということになりますね。
「固めた」という表現に意思の強さが表れていますし、また液体であるはずの紅茶と蜂蜜を「閉じ込める」ように固めてしまうというのも面白い表現です。
その女性もまたユウリのように、自らの独自性を「誰にも渡すまい」と抱きしめて離さない、ちょっとだけ頑固なところのある人物であるのかもしれないなあ……。
などと勝手に妄想してしまっていますが、違っているかもしれませんね、申し訳ありません。
おおう巷で大人気のキバナさんではありませんか。皐月さん、お好きでしたか!
私もきっと「とてもいい人」「とてもイケメン」以外の独自性を彼に見出すことができれば大好きになれるのだと思うのですが、遺憾ながらまだその域に達せていないのですよね。
いや、でも書けば好きになるという法則に則ればあるいは……などと考えてもいますが、まだ先の話になりそうです。
でもキバナさん、本当に、本当にかっこよくて素敵な人ですよ。
では、ありがとうございました。
防寒を怠らず、この冬を共に乗り切りましょう。またお会いしましょうね。