こんにちは、夜那さん。遊びに来てくださりありがとうございます。
少しお返事、長めにお待たせしてしまいましたね。申し訳ありませんでした。
ミヅキやシェリーに【救われた】こと、そして【そういう人は多分他にもいたのでは】と考えてくださったこと、とても嬉しく思います。
私も、救う、とまではいかずとも、同じようなことで悩んでいたり諦めていたりする方の「参考資料」になれたらいいなという思いで彼女達を書いておりました。
【どうしようもなさ】を抱えていることは決して異常なことではなく、生き辛い世界を懸命に生きている人であれば多くが背負うことになってしまうものですが、
そうしたどうしようもない不安を、若い頃というのは周りになかなか開示できず、隠そうとしてしまいがちです。
けれどもそうした重たい荷物こそ、信頼できる誰かと共有できたなら本当に楽になれるものです。
そして、その「信頼できる誰か」を見つけることが若い頃においてとても難しく感じられるということも、分かっているつもりです。
けれども当サイトの主人公達は物語の中で、その異常性やどうしようもなさを赤裸々に「心理描写」として開示していきます。
言ってしまえば読んでくださる方を無条件に信頼して、歪みを示している状態なんですね。
それに対して読んでくださる方がどのように想ってくださっても構わない、むしろ「どのようであれ、何か感じてくださればそれだけで嬉しい」というのは私の個人的な想いですが、
8人かそれ以上いる主人公および夢主たちの「歪み」のどれか、どれか一つでも「思い当たる」「似ている」と思われるようなことがあってくださるなら、
彼女達への「同意」が、読んでくださる方にとっての疑似的な「開示」になってくださるなら……こんなに嬉しいことは、ありませんよね。
【葉月さんが嬉しいと感じてくれたなら、私もとっても嬉しい】と書いてくださり、ありがとうございます。温かい感情を共有できたこと、改めて喜ばしく思います。
*
夜那さんご自身のこと、お聞かせくださりありがとうございます。
まずご家族のお話ですが、夜那さんのご両親の在り方や生き方について私は評価する権利を持ちません。
お母様の選択もお父様の選択も、私が「良いことだった」「悪いことだった」と言えるものでは決してないのです。
けれどもその事実に対して夜那さんがどのようの感じていたか、その想いについて言及することは許されると信じて、以下に書かせていただきます。
家族の形が変化するというのは、本当に、本当に辛いものだと思います。
私は、一般的に言うならば喜ばしい形で今年の3月に実家を離れましたが、そうしたいい意味での変化であっても、私の心はかなりのダメージを受けました。
子供の頃というのは、学年が上がったり学校が変わったりなどで、とにかく世界の変化が目まぐるしいものです。
加えて夜那さんはバイトまでしておられるとのことで、私よりもずっと多くの変化を体験しておられるのではないでしょうか。
そうした変わりゆくことを余儀なくされる生活の中で、けれども自身の帰る場所というのが変わらないままでいてくれる、というのは、
精神面の安定という意味では、きっとかなり大事なことだったのだと思います。
夜那さんは数年前の件と今回の件で2回、大きな家族の変化を経験しておられます。
けれどもそのどちらもにおいて、夜那さんはかなり気を張っておられた、あるいは努めて気丈に振る舞っておられたのではないかと推測します。
大きすぎる変化による悲しみをストレートに受け止めるのは恐ろしいことだったと思います。
心が壊れてしまうような気がしたのではないでしょうか。戻ってこられないかもしれないと考えてしまうこともあったのではないでしょうか。
そのため、【傷付いてなんていないと思っていました】と考えておられた夜那さんの心地というのは、夜那さんの心を守るためには大事な気丈さであったのだと思います。
お辛い中、夜那さんの心は本当に頑張ってこられたのですよね。
また、お母様とお父様のそれぞれの変化における夜那さんの心境の違いについては、それまでの「覚悟」の差がもたらしたものだったのではないかと考えています。
お母様に関しては数年前からお付き合いされている方がいらっしゃったということなので、
数年かけて夜那さんも「そうした予想」を立てて、それに対する心構えが出来ていたのではないでしょうか。
けれどもお父様の件に関しては突然のことであり、またお母様の件でその結果「どうなるか」ということも経験として読めてしまっているだけに、
お母様の場合では数年かけて積み上げてきた心構えを一瞬のうちにしなければならなくなってしまい、それ故に負荷がかかりすぎてしまったのではないかと思っています。
そうした辛い気持ちを猫さんが受け止めてくださったとのこと、本当に安心いたしました。
本当に辛いときって、その辛さを言語化して伝えるのも苦しかったりする場合がありますよね。
何も言わずとも、何もせずともただ其処に在るだけで救われる存在が、一番つらい時期の夜那さんのすぐ傍にいてくれた、という事実に、
それから実際に夜那さんの悲しみに寄り添ってくださった長寿の猫さんに、私も感謝したい気持ちでいっぱいです。
*
ご友人のお話もお聞きできて本当に嬉しく思います。
【毎日お昼ご飯を一緒に食べても辛くならない友人】の喜ばしさは、ええ、ええ、とてもよく分かるつもりです!
途中から一人で食べるようになった、というような時期もあったとのことですが、……その、夜那さんはどうだったか分からないのですが、
私は、たとえ大勢の中であっても、一人で静かに黙々と食べている方が楽でいい、と考えてしまうような人間です。
ですから、その「楽」な時期よりも、今のお友達さんと一緒に食べている食事の方が「楽しい」のであれば、それはとても、とても喜ばしいことですよね。
楽しいイベントの予定も沢山入っているようで、わあ青春だー! と眩しさに思わず目を細めてしまいました。
知育菓子パーティはとても楽しそうですね、あれですよね、ねるねるねるねとかですよね……大好きなんです、あれ……。
勿論そうした楽しい事ばかりではなく、高校生活は大変なことも多いのだと思いますが、
そうした中でも【幸せを掴む努力をしている】と言うことのできる夜那さんの「生きる力」にはただただ敬服するばかりです。
夜那さんは今も勿論ですが、中学生の頃からずっと、懸命で一途で、素敵な人でしたよ。きっともっと、素敵な人になっていくのでしょうね。
*
FFⅩについて【きちんと人間をしている】という書き方に「確かに!」と声に出して同意してしまいました。
茶番めいた希望を展開することもせず、かといって現実離れした悪を振りかざす訳でもなく、皆さんが平穏を夢見ていながらもどこか利己的で臆病で排他的で……。
けれどもリュックとワッカの関係性に代表されるように、特に若い人達は「分かり合おう」とする努力が見える点が眩しく、素敵な生き方だ、としみじみ思ったものです。
プリティーリズムについても軽く調べさせていただきました。原作はりぼんの漫画なのですね。
人間性の描写の仕方については様々なエンターテイメントにおいて色々と感じるところがあるにはあるのですが、
とりわけ子供向けに展開されているアニメは「テーマ」「課題」「希望」といったものが明確で、平易な言葉であるにもかかわらず物事の本質を突く力があまりにも鋭く、
大きくなってから見ると、幼いころとは全く異なる感じ方ができてしまいより一層楽しめる……というような経験はしたことがあるので、
きっとこのアニメに関してもそうした面白さがあるのだろうなあと考えています。
素敵なご紹介、ありがとうございました!
*
さて。
こちらのサイトについては、商業的な宣伝や勧誘、過度の誹謗中傷以外の内容は特に禁止しておりませんので、
どのような内容であっても、その話をする相手に「私」を選んでくださるのであれば、私は誠心誠意お聞きしたい気持ちでいっぱいです。
その上で聞いてほしいのですが、私は雨更紗を閉じてしまった原因の一つが理由で、「お友達」という言葉をある種の呪いのように思っている節があります。
勿論、夜那さんが【友達、になりませんか?】と言ってくださったことはとても嬉しかった。
ただ、この「お友達」が呪いにならないよう、知っておいてほしいことがあります。
私は「定期的に交流を取ることを義務付けるための鎖」「何かにつけて優先しなければならない相手」として「お友達」を定義したくはないと考えています。
いつもいつでも話をすることが「友達」ではない。
一緒にいる時間の多さで安心を得なければならない相手を「友達」とは呼ばない。
「友達」より大事なものが私にはあるし、きっと夜那さんにもあるはずだ。
……と、私は信じています。
その点、現役高校生でいらっしゃる夜那さんとは認識が大きく異なるかもしれません。
あくまで私は「お友達」を「発言の内容の如何によって簡単に相手を見限らないと約束でき、また相手もそうであると信頼できる相手」として、捉えたい。
そして、そうした相手として夜那さんとの会話を楽しむことができたなら、それは本当に幸せなことだと思っています。
……この認識に少し疑問がある、あるいは納得がいかないようでしたら、今の私達の関係を「お友達」という名前に変える必要はないかなと思います。
もし、私のこの臆病な「お友達の認識」にご賛同いただけるようでしたら、……こちらこそ、是非ともよろしくお願いいたします!
*
こちらこそ、長くなってしまい申し訳ありません。
此処までお付き合いくださり、ありがとうございました。また、お会いしましょうね。