7/20、雪村さん

こんにちは、雪村さん。遊びに来てくださりありがとうございます。
暑くて日差しも強くてセミも煩くて「とけるぅ」となっているような状態ですが、去年の酷暑に比べればまだマシであるような気がしますね。

あはは、雪村さんそれは! ソレハチガウンデスヨ!
【私ばかりが不当に我慢】しているように見えるのは当然のことです。だって、だって「私が書いた文章」なんですもの。
辛い思いをしているとばかり思っていた頃の私が、私と相手の苦痛の程度や譲歩のバランスなどを客観的に見られたはずがありません。
私はきっと、私の耐えていること、私の譲歩していること、私が苦しんでいること、そうしたことばかり書いていたのだと思います。
その傾向はきっと今も完全には……なくなっていないのでしょうね。

そもそも相手がどのような苦痛を抱え、どれくらい私に対して譲歩し、どんなことに耐えているのか、というのは、
エスパーを習得した結婚30周年くらいの夫婦でないと分からないものだと思っていて、そうでない場合はやはり言葉での意思疎通が必要になるのですけれども、
私達の場合はそれらも長らくの間、上手く行えず、諦めて怠ってきたような次第でしたから、私が「分かる範囲の苦痛=私の苦痛」ばかり見えるように書いてきたのも当然です。
その苦痛に寄り添ってくださった雪村さんには本当に感謝しています。雪村さんと腹を割って話すことができて本当によかったと思っています。

それから【関わってしまう】のは仕方のないこと……というか、至極まっとうなことですよ。
私はそれが「人として生きるということ」だと思っていますし、恐れながら、罪悪感を抱きながらも人に対する歩みを止めない雪村さんのことを立派だと思っています。
辛い経験を経れば経るほど、人に対して臆病になってしまうものです。

【愛される】【友達】という概念は、実のところ私にもよく分かっていません。
どこぞのシアのような表現になってしまいますが、私もいい年をして「愛というものが何なのか分かっていない」状態であるのかもしれません。
また、どういった関係を「友達」「友人」「親友」と呼ぶべきなのかという点についても、大いに迷いがあるところです。

私には、友達と呼びたい相手、親友だとしたい相手がいます。そして昔の家族および今の家族から、愛されていたのだと、愛されているのだと、そう認識しています。
けれどもそれらは私の願望であり、妄想であり、驕りです。私のそれらの認識を確実に証明できるような第三者など、何処にもいません。
……ひょっとすると、本当は私は、友達などおらず純粋な愛を受け取ったことのない人間であるのかもしれません。
私がこれまで受けてきた愛というものはその実とても打算的で事務的なものであったのかもしれません。
私が友人と呼びたかった彼女達は私のことを都合のよいノート係にしか思っていなかったのかもしれません(大学生の頃は実際、こうでしたね)。
胸を張って「私の親友」と呼びたい相手に関しても、私は「人の心に傷を付ける天才」ですから、もしかしたら……その認識は私の驕りに過ぎないのかもしれません。
私は本当は、人の心も何も分からない、空っぽの人間なのかもしれません。それが私という人間の本質なのかもしれません。

それでも私は「そんなはずはない」と思っています。その「私への信頼」という名の思い上がりないし驕りは、今の私を支える大事な柱になっています。
愛されること、友達というもの、これらの本質は私にも分かりません。きっと雪村さんも、完全には理解されていないのではないでしょうか。
それらに関する定義やそれらを認識する際の感覚というのは自身の中で見出していく、編み出していくしかないものであり、
私は大胆にもそれらを全て鵜呑みにして都合の良いように解釈し猛ダッシュしていますが、雪村さんは慎重に疑いつつゆっくりとした速度で前へと進んでいる……という、
ひょっとしたら私と雪村さんの違いというのはたったこれだけなのではないか、とも思えてしまうような、そうした状況が今、私の中にあります。

少なくとも私の認識している雪村さんは、誰からも愛されない人間、友達の一人もいなかった人間、ではありません。
私は、雪村さんのことを何年もずっと愛し続けてきている方を知っています。雪村さんの友人になれたらいいな、と思っている奴のことを知っています。
貴方の、貴方自身に対する厳しい評価が、私の言葉で少しでも和らぐのであれば、私はこの時間を、此処での言葉を惜しみません。

サクラダリセット、久しぶりにお聞きしましたね。
「嫌いだという感情を安易に踏みにじられたくない」という強烈な文言、今でも覚えておりますよ。
同じ方の書かれた物語ですから、きっと台詞に重みのある素敵なエンターテイメントなのでしょう。特典、どうにかして手に入れられればいいのですが……。

私も久方ぶりに、サイト上では本当に数年ぶりに、ポケモン以外のジャンルに手を出しています。
といってもこのジャンルは数年前に一応の終わりを迎えたものであるため、今更、広く再熱するようなことはないかと思っているのですが、
だからこそ、自分の書きたいものだけを書きたいように書いていけるかな、などという邪な想いもあり、現在、楽しく続けているところです。
生きることはままならなく、辛いことも沢山ありますが、こうして楽しいものにお互い触れつつ、生きるってたまにとても楽しいこと、と、思っていきたいですね。

では、ありがとうございました。またお会いしましょう。

© 2024 雨袱紗