トレイの持つ「効率主義」の極致としてあそこまで優雅で痛々しい「見え方」があるのなら、それはもう私としては感動に震えるしかない訳でして……。ここまで丁寧に彼らしく叙述されてしまったらその結果としてのサイコパス気質もそりゃあ致し方ないよね、と、いやむしろ「こう」でなければいけなかったのでは、とさえ思える。すごすぎる。
ここまでお一人の書き様に心酔して通っているの、新テニの齋藤コーチのお話を書かれていた方以来かもしれない。先代の師のサイトはもう閉鎖されてしまったけれど……でもワタクシ声に出してかのお人のお話読んでいたから、物語の始まりがどんな音で始まるかを覚えているんだよ。もうなんかとにかくすごかったんだよかのお人の文章は。ずっと覚えている。ガラケー時代だったからスクショもできていない、読み返すためのデータは何にもない。頭の中にしかない。だのにまだ覚えている。鋏でクッションを切るあの音の表現をまだ思い出せる。老いと成長する猶予、脅威の天秤、そして愛について語っていた電車の中の情景をまだ思い出せる。素敵だったなあ。私の書いてきた「どれか」も、誰かにとっての「これくらい」に、ひとつ……ほんのひとつでもなれていたらいいなと思う。
信仰の師であり同時にトレイ・クローバーの師でもあらせられた