DBHのコナーおよびイライジャ・カムスキーが大好きなのでつい重ねちゃうな(ツイステ)

 すなわちイデア・シュラウドは創造主なんだな……。
 イデア・シュラウドがオルト・シュラウドを造ったとき、そこには確実に「愛」があったとは思うのですけれど、でもその愛は「前のオルト」に向けられているものか「今のオルト」に注いだものかが分からないから困っているんですよね。
 RK800が「前任者は破壊されました。私は新型です」って言ったときに人間のハンクはそれはもう混乱していたんですよね当たり前だけど。だから人間にしてみれば「破壊された(死んだ)という事実が付随すれば、そっくりな状態で戻ってきてくれたとしてもそれはもう別人」だと思ってしまうんですよね。そういうのが通説なんでしょうね。私はそんなケースに遭遇したことないからちょっと自分のこととしては考えられないけれど、きっと混乱するのだろうきっとそう。

 ああそういえば、ORASにヒガナっていたでしょう。あいつ、連れていたゴニョニョをおそらくですが、いなくなった「シガナ」の代わりにしていたんですよね。赤の他人に「シガナ」を当て嵌め孤独を埋めた気分になるというやり方はその、うん、嫌いで、どうしても受け付けられないんですけれど、でもRK800のシリアルナンバー末尾が51から52になることや、イデア・シュラウドがオルト・シュラウドを造ることはこれとは全く性質が異なるものと考えています。「有機物に別の有機物を見る(AにBを埋め込む)」のではなく「無機物に有機物を宿す(何もないところにBを移す)」ところから手掛けているのだから、イデアやカムスキーには何の業もない(この場合、蔑ろにされてしまうAがいないから)と思うんですよね。どちらも「本物ではない」という意味では共通しているのかもしれないけれど……。

 余談ですが、私はあのイライジャ・カムスキーにはアンドロイドへの「愛」があったと思っている人間です。BW2のアクロマさんにも科学への、人間への、そしてポケモンへの「愛」があったと思っている人間です。この二人をただのサイコパスには見たくない。

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