先月の診察(10月13日)が終わって1時間後(5w4d判明)からのあれやこれやの怒涛の展開を、明日、15分の診察時間でいかに簡潔に説明するか……。いやまあ「上手くいったと思ったけれどそんなことはなかったぜ!」だけで終わる話ではあるからそれで言ってもいいけれど、あんまり明るく報告すると正気を疑われるかもしれないから適度に行こう。よし。
このドクター、私が中学生の頃からお世話になっている方で、間で数年海外に行っておられたのでそのときはまた別の方に診てもらっていたのだけれど、その、うん、この人すごいんですよ。魔法使いなんですよ。いや何言ってんだって感じなんですけれど本当にそうなんですよ。この人の前に座ると私の口から良質な言葉ばかり出てくるんですよ。いや何言ってるか分からんと思うんですが本当にそうとしか言いようがないんですよ。最適解をこの方、私の口から引きずり出してくるんですよ。まあその「解」も、自分の心を安定させるための解決策というか、まあ考え方を変えるとかそういう類のものでしかない(起こっている事実は変わらないから)のだけれど、でもその「解」が何故か、この人からではなく私の口から出てくるんです。おかしいんですよ。かのお人は椅子に座っているだけです。いつもの柔和な笑顔で「ここ数か月(最近は1か月単位)はどうでしたか?」って訊いてくださるだけなんです。何を話しても「そうなんですね」と相槌を打ってくださるだけなんです。でもそのお人の前では私は何でも言えるしどんな風にも考えられる。一人では思いつかなかったような最適解がするすると出てくるようになる。「こういう風に考えてみようと思います」って報告できる。そしてかのお人は締めとして「ええ、それでいいと思いますよ」って微笑むだけ。問答法みたいな誘導がある訳でもないのに、すらすら出てくる。私の口から出てきた言葉に、ああそうだったのかこういう風に思えばよかったのかって、何故だか私が感心している。訳が分からないけれど、こういう現象がかなりの頻度で起こります。かの人はそういう意味で私の魔法使いです。
ただ、かの人が私の魔法使いになってくださるまでには、実は5年以上、かかっています。それまでには幼い喧嘩腰のつっかかりとか、担当医を変えてほしいと別のドクターに頼み込んだりとか(無礼にも程)、ドクターの巧みな問答法に開いた口がふさがらなくなったりとか、病室での他愛もない雑談で笑い合ったりとか、沢山、本当に沢山のことがあったのですが、その結果、かの人との間に生じる不思議な空間、私が最も良質な思考に至れる15分が生まれているというのは、控えめに考えても私にはもう……魔法としか形容できなくて……ただただ頭が下がります。
かの人は私の救世主ではありませんでした。ただ私の主治医で、相談相手で、お薬をくれるスタッフでしかありませんでした。この10年以上の間、ずっとそうでした。ただ他のどんな人とも違うのは、これまでの長い間、私がかの人を悪辣な態度で傷付けたことはあっても、かの人が態度や発言で私を傷付けたことは一度もなかったということ。人と関わっていればちょっとばかし嫌な思いをすることくらいあるでしょう。そうした苦しみを経ても尚繋がっていられる絆の方が信頼に足るし、そうした縁の方を私は大事にしたいと思っています。でもかの人との間にはその苦しみが一切ない。かの人は私にとって救世主ではないけれど絶対的な無害で、その確信が私に何か特別な……やっぱり魔法と形容したくなるのですけれど、そういう何かしらをかけているのだと思っています。近しい人とはとても呼べないけれど、そこに絆めいたものはないけれど(苦しみじゃないから)、でも絶対的な無害であるが故の魔法に、私は救われることがよく、あります。多分明日も同じ思いをするのでしょうね。