すごい一人で落ち込んでいる、許してほしい

 肉塊……テセウスの船……砂の山……スワンプマン(泥男)……。

 カムクライズルの作ってくれた新世界の中に完璧に再現されたイズルは確かにKにとっては本物のイズルで、それが電子世界上のお遊びでままごとだと誰にどう揶揄されようともイズルもKもちっとも傷付かず、彼等の愛が揺らぐことなど在り得ないんだ。二人ならきっとそうしてくれるだろうって、そう在れたならどんなにかよかったろうと思って私はあれを書いたよ。

 でも原作ダンガンロンパの2とかV3とかでは「×××だから!」っていうモノクマの開示に皆あんなに動揺したよね。本物だと、確かにそこに在る命だと信じて接してきた人物が虚構であったと知ったならやっぱり人は絶望するんだ。交わしてきた言葉は、寄せた想いは、実らせたはずの愛は、何だったんだろうって、なるんだ、きっと。
 ただ、確か最原終一はラストに「この痛みは本物だ」って叫んでいたはずで……。いやでも分からんな。確か赤松さんに寄せた想いさえも作られたものだった、みたいな話もしていたような気がするから。あとなんか最後まで残っていた赤い子と宇宙飛行士の男子、此処の二人の間にあった想いも作り物、みたいなこと言ってなかったっけ……。じゃあ何なんだ本当に、虚構に抱いた想いって何だったんだ。その想いさえ虚構によって支えられた偽物だったとするならば本当にあの世界に残るのは「痛み」だけなのか。実在したと思っていたものがそうじゃなかったときというのは、嬉しいことも楽しいことも幸せだったことも全て全て幻想として霧散してしまうのか、そして残るのはやっぱり痛みだけなのか。そうなのか最原終一。

 この「実在すると信じていたものがそうじゃなかった時の絶望の尺度」を外に求めたのが「冷たい羽」で(現在非公開中)コトネはYのこと本気で友達だと思っていたけれど、それは教室内にいるときいつでもYの隣にいることで「一人じゃない私」を周りに知らしめるという効果もあり、その「寂しくない」にこそ彼女は満たされていたのであって……だからこそ、その「一人じゃない」が虚構だったと知ってしまったとき、彼女は死のうとしたんですよね。だって恥ずかしかったから。彼女と友達になってからの一年間、一人じゃないと思っていたコトネはでも、第三者からすれば、何もいないところに話しかけたり笑ったり挨拶したり、たった一人でひどく幸せそうにしている本当におかしな女の子だったのだと気付いてしまったから。その憐れな認識を知ったコトネは本当に恥ずかしくて、悲しくて悔しくて寂しくて、耐えられなくて死んでしまおうとしたんですよね。Yと一緒に過ごす中で確かに楽しかったはずの日々はこの瞬間全て消え去った。Yがくれた言葉も培った時間も確かにあったはずの友愛も、命を持たない存在に与えられたのだと知った瞬間何の意味も持たなくなって、残ったのは痛みのみ。
 やっぱり痛みだけが本物足り得るんだな。苦しみだけが絆なんだって名曲「ジェヘナ」も言ってた。そんでもってKとイズルにこの感覚がないのはKにその「気付き」をさせない程度にはイズルの手腕が天才のそれだから、そしてそもそも「痛み」を感じるための体をもうこの時Kもイズルも持っていないから、これに尽きるんだな。

 泥を孕んでいたなんて信じたくないなあ。

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