配慮という言葉を/600の頃から数ヶ月、意識してきたけれど、今の私には差し出された配慮が藁のように見えるね。それにすがりついたところで真の解決にはならずとも手を伸べて掴みたくなる程度の心持ちだ。何でもかんでも利己的に使って奪って楽にならんとしている心持ちだ。
それを、相手の負担を考えて断ったりだとか、相手の気持ちを重んじるためありがとうと告げて受け取ったりだとか、はぁーそんなん要らんわ自分の力で立ち上がってやんよみたいな「とんだ的外れなんですよ!」的な感じで突き返したりだとかできているうちは、まだ、大丈夫だったってこと。まだ、溺れていなかったということ。藁を掴まずとも大丈夫な段階の人間に差し出してくださる配慮ってさ、ほとほと愛情深く幸せで嬉しいものではあるけれど、でもそれって「有益」ではないんだ。本当はその藁、無益なもので、でも無益こそが正解というか、ただ嬉しいものであるべき、無益なものにこそ救われるべきだったんだ。藁を掴んで本当に救われてしまう、息ができる状態になってしまう、すなわち「有益」であるってのはいよいよヤバいということで、さ。だってその藁がなきゃ死ぬってことでしょう。貴方の藁に文字通り生かされていますってことでしょう。はっはっはこの痴れ者がよくもそこまで甘えられたものだな気持ち悪い気持ち悪い藁をくれてありがとうなんてそんなさ、もう……。
あかんでしょうそんな、蜘蛛の糸が垂らされるのを待っているみたいな生き方さ……あかんて……。皆様の素敵なセイボリーに生かしていただいていますありがたしありがたしみたいな感じとはワケが違うじゃん。ガチじゃん。ガチはよくないじゃん。最低だな。
あーっでもごめんなさい甘えてしまうぞ! 今の私はその藁が嬉しいからこの藁に包まれて発酵して納豆になってしまうぞ! あっはっはもうあかんわこいつ! ドッカーン!!
配慮という藁