※18歳未満の方は閲覧をお控えください。この回を読まずとも物語の流れは把握できるようにしてあります。
「わたし、子供の育て方を何も知らないのよ。マリーみたいに上手に、できないわ」
「大丈夫ですよ」
ああ、まったくもっておかしな話です。私は本気でそう言っていたのです。
何が大丈夫だったというのでしょう。それが気休めの言葉でなかったとしたら、ではその怪物めいた言葉は何者であったというのでしょう。
けれども悪魔になることの叶った私の口は、いつもの調子でそのようなことを言ってしまったのです。その大丈夫、を疑う余地などまるでなかったのです。
けれども少し冷静になって考えてみれば、私達に子供など、どう考えても育てられる筈がありませんでした。
自分のことさえ、妻のことさえ満足に世話することのできずにいた私が、日中の殆どを、あのレストランで過ごしている私が、
子供の世話をし、子供を導き、子供に正しい生き方を教えることなど、できる筈がなかったのです。
まだ正常であった筈の私だってそのような調子なのですから、自分自身を生かしあぐねている彼女にだって、当然のように無理な話でした。無謀にも程のある夢物語でした。
けれども今までだって、彼女や私のできないことは、家政婦が、マリーが、やってくれました。
悉くぎこちない形をしたこの夫婦は、けれども外の力を借りることで、なんとか「夫婦」の形を保ってこられていたのです。
恐ろしいことにその時の私は、「今回もそうしていればいい」と思っていました。
ベビーシッターという職業があることを私は知っていましたから、私達に赤ちゃんの世話をする知識などなくとも、どうにかなるものだと考えていました。
私は彼女のできないことやしたくないことを強要したくありませんした。ただ、生きていてくれさえすればそれでよかったのです。11年前からずっと、ずっとそうだったのです。
そのためなら私は、このようなおぞましいことだってできるのです。
そうした悪魔の考えをもって、私はその日の夜、彼女を抱きました。
今でも思い出せます。その夜はひどい土砂降りでした。窓ガラスを叩き割らんとするかのような激しい雨でした。
帰宅後すぐに降り始めたその雨は、明け方まで激しく降り続いていました。ええ、それは確かなことです。私はその日、一睡もできていませんでしたから。
シーツと衣服とが擦り合わさる音、ささやかなリップ音、私の呼吸、彼女の呼吸、全て雨の音が飲み込んでくれていました。
そういう意味であの日の悪天候は、私にとっては非常に都合が良かったのだと思います。
……さて。
女性の身体というものはあまりにも小さく、細く、白く、柔らかでした。強く握り締めるだけで潰れてしまいそうでした。白桃を撫でているかのようでした。
今までずっと、これほど頼りない存在と枕を並べて眠っていたのだと、その事実は改めて私を恐ろしくさせました。
けれど、私の最も恐れていたことは起きませんでした。すなわち彼女が未知の行為に怯え、泣き叫び、私を拒むといったことの一切がないままに、事が進んだのです。
彼女は私がキスをしても、胸に触れても、ささやかに、くすぐったそうに笑うだけでした。怖がったり泣き出したり拒絶したりといった全てのことをしませんでした。
彼女にとってそれは、マリーが自らの娘を抱き上げ頬擦りするような、あのじゃれ合う程度の感覚にしか思われていないようでした。
……そう、この程度なら、このくらいなら彼女は受け入れられたのです。
普段の私がしないようなことをしたとしても、「どうしたの?」と笑いながら、受け止めてくださるだけの器量が彼女にはあったのです。その程度には、彼女は女性だったのです。
けれども、私が彼女の中へと指を差し入れることは、流石の彼女も予想していなかったようでした。
今度こそ私は、驚愕と動揺と恐怖に泣き叫ぶ彼女を、その一瞬のうちに素早く予測して、顔をさっと青ざめさせたものでした。
……しかし、更に驚くべきことに、彼女はその瞳に驚きの色を残しつつも、穏やかに、そして嬉しそうに微笑んだのです。
「掻き出してくれるの?」
「え……?」
「ありがとう。わたし、怖くてずっとできなかったの。でもあなたがしてくれるのなら、任せられる。怖くないわ、何も」
……この時の私は、彼女が何を言っているのかまるで解っていなかったのですが、どうやら彼女は経血の赤をひどく恐れ嫌っていて、
それ故に、この行為が、その経血の出どころに指を差し入れるという行為が、自らの身体に流れる赤色を掻き出すためのものであるように思われていたようでした。
私が、彼女の中の赤いものを全てその指で掻き出してくれるのだと、掻き出すことができずとも封じ込めることくらいはしてくれるのだろうと、本気で、信じていたようでした。
彼女自身も、自らの中に流れる赤を、ひと月に数日間の周期で身体から出てくる経血を、ひと思いにスプーンで掻き出してしまおうと思ったことがあったようですが、
それを「怖くてずっとできなかった」のだと、彼女はこの行為が終わった後で告白してくださいました。
私の考える「この行為」と、彼女の考える「この行為」は、どこまでも相容れないところを泳いでいて、けれどもそれが、私にとっても彼女にとっても幸いだったのだと思います。
彼女の中では、「彼女ができなかったことを私が代わりにやってくれる」ということになっていたのです。
これは「彼女に恐怖を与える行為」ではなく、「彼女から恐怖を取り去る行為」なのです。
そうした、認識のずれによる免罪符を得た私は、その行為を、続けました。
実際、私が彼女の中に入れば、生理的な反応として血が溢れました。おそらく、痛かったのだと思います。
彼女はぽろぽろと涙を零しながら、身体を震わせながら、それでも、文句の一つも言わずに、自らを救済してくれるその行為を受け入れていました。
この「痛いこと」が自らを救済してくれる筈だと信じ切っていた彼女は、そのおぞましい行為にただ甘んじていました。
私も彼女も、性行為というものをしたのは初めてだったのですが、私が想定していたよりもずっとスムーズに事は進みました。あまりにも呆気ないことでした。
……ええ、表面上は、あまりにも呆気ないことのように見えていました。
けれども私はその間、息をしていたかどうかさえ疑わしく思える程に、緊張していました。彼女を肉体的に「愛している」という実感などまるでありませんでした。
これで本当に良かったのか、私は何か大きすぎる間違いを犯してしまったのではないか、やはり悪魔は追い出されるべきだったのではないか、彼女は本当にこれで生きてくれるのか。
……そうしたことを延々と考えながら、長い夜を終えた私は彼女を入浴させました。
力が入らないわ、と困ったように笑う彼女を抱き上げれば、やはりぞっとしてしまう程に軽く、私の罪悪感はその軽さに反していよいよ重くなりました。
風呂上がりの彼女の髪を乾かして、木製の櫛で丁寧にといてから、私は冷水でシャワーを浴びました。心臓が止まるのではないかと思うくらい、冷たい水でした。
ささやかな自身への罰のつもりでしたが、何の気休めにもなってくれませんでした。
……愚かなことだと、お笑いになるでしょうか?
ただ、そうした緊張や恐怖やぎこちなさといったものは、回数を重ねることで薄らいでいきました。
彼女の小ささを、同年代の女性よりも遥かに細く遥かに華奢なその身体を、完全に恐れなくなったという訳ではないのですが、
それでも力加減というものが把握できるようになった分、その恐れは随分と取り払われていたように思います。
……そして、これは私も想定していなかったことなのですが、そうしたことを続けているうちに、彼女の「赤」は本当に止まってしまったのです。
命を自らの中に宿したことが、彼女の月経を止めてしまったようでした。妊娠をすると経血は止まるのだと、後でそれをマリーに教えてもらった私は、ひどく、驚きました。
彼女も驚いていましたが、それ以上に喜んでいました。自らの中に新しい命を宿したことにではなく、赤色が完全に止まったことに、喜んでいました。
こうして私の「赤を掻き出す行為」は、彼女にとって最も幸福な結末をもたらしたのです。
この時私は39歳、彼女は29歳でした。共に暮らし始めて、共に枕を並べて眠り続けて、既に11年が経過していました。
今でこそ貴方にも言えることなのですが、その11年間、私は彼女を抱いたことがただの一度もありませんでした。
私とて男ですから、性的な欲というのは当然、持ち合わせています。
けれども「それ」を向けるには、私のそれを思うままにぶつけるには、彼女の身体はあまりにも細く、彼女の心はあまりにも不安定でした。
少しでも加減を間違えれば、少しでも彼女を恐れさせてしまえば、あの小さく細い体は潰れてしまいそうでした。
私は、彼女を失うことが何よりも恐ろしかったのです。
ですから、新しいことを恐れ嫌う彼女に、彼女の知らない行為を示し、もっともらしい夫婦の自然な形として彼女を愛することなど、できる筈がありませんでした。
したいとさえ、思えませんでした。おそらく「子供を為す」という目的がなければ、私はそれからも、彼女を抱こうなどと思うことはなかったと思います。
世間ではこうした夫婦の問題を、セックスレスと呼ぶそうですね。
性行為は、互いへの愛を表現する手段の、最高位に鎮座するものであると、そういう認識を多くの方が持っておられるようですが、
私はその性行為というものをしなかったが故に、私達の夫婦関係がすっかり冷めきってしまっていた……とは、微塵も思っていません。
私は、愛というものがなかったから彼女を抱かなかった訳ではないのです。愛していたからこそ、抱くことができなかったのです。
……繰り返しますが、私達は冷めきってなどいませんでした。
ただ、私達のこれが一般的な、正しい夫婦の形であったかと問われれば、……私は上手く、答えることができそうにありません。
私と彼女が、一般に言われるような「夫婦らしい」形を取るようになったのは、まっとうな夫婦の形だと確信するに至ったのは、本当に、つい最近のことなのですよ。
2017.6.30
(29:39)