メリーメリーナイトメア

執筆:2021.2.17(ゲーム本編5章終了後)
※twst夢企画サイト「Bianca」様、第八回への提出作品(文章を削ってから提出させていただいたという都合上、こちらの文章量が若干多め)
※チェーニャのユニーク魔法に関する誇大解釈を含みます

<1>
 煤の溜まった暖炉の傍に現れた生首、それと目が合うや否や、少女は悲鳴を上げつつ椅子から弾かれるように立ち上がりました。その弾みにガシャン、とティーカップをひっくり返してしまいます。テーブルの上に広がりきった紅茶がぽたぽたと床に落ちる様を楽しそうに眺めながら、オンボロ寮の談話室へとその全身を現したのは、町一つ挟んだ向こうの学園に通う不思議な「猫」でした。

「びっくりした。……びっくりした!」
「にゃはは、二回も言わんでも」
「百回叫んだって足りないくらいだわ! カリム先輩に譲ってもらったとてもいい紅茶だったのに」
「あの砂糖まみれのか?」

 砂糖まみれ? と首を傾げる少女の前で、猫はテーブルの上の小皿を取り上げます。零した紅茶の被害を免れていた小皿、その上に並べられているのは猫のよく知る人物が作ったクッキーです。これの懐かしい匂いに誘われてやってきただけなのに、ここまで驚かれてしまうのは少々心外だ、とでも言うように、猫はその大きな耳をぴょこぴょことさせながらニヤリとして……勝手に、クッキーを一枚ぺろりとやったのでした。

「あ、えっと、ごめんなさい、乱暴な声を出して。前にハーツラビュルの迷路で会いましたよね? リドル先輩とトレイ先輩の幼馴染だって聞きました。確かアル……アルチェーミさん?」
「そうそう、アルチェーミ・アルチェーミエヴィチ・ピンカー。長いからチェーニャと呼ぶかねぇ。それとそんなに丁寧なのは要らん、年は同じだからにゃあ」

 同じ? とまたしても少女……この寂れた寮の監督生でもある彼女は首を捻ります。ハーツラビュルの先輩二人と幼馴染である以上、自分よりは年上だろうと勝手に思っていたので「同じ」という猫の言葉には少々の違和感がありました。けれどもそういえば、あの先輩二人も学年が違うのに、随分と気さくな様子で話していました。昔からの知り合いであれば年が離れていてもあのように喋り合えることもあるのでしょう。
 そのように考えて少女が納得するまでの間に、猫は小皿を暖炉の上へと避難させてから、簡易キッチンの方へとふらふらと出向き、勝手に取ってきた寮の布巾で零れた紅茶をさっさと拭き終えてしまいました。手際の良さと手癖の悪さを誇るように尻尾を振りながら、もう一枚クッキーを摘まみます。

「ふんふん、トレイのお菓子は今日も絶品、程々の味わいってとこだにゃ」
「……ふふ、絶品なのに程々なの? 本当に美味しいって思ってる?」
「勿論だとも」

 あべこべな物言いを面白がって少女は笑います。わたしの分も残しておいてねと告げつつ、少女は猫の手から布巾を引き取りました。彼女が談話室から席を外している間にも猫は何枚かつまんだようでしたが、言われたことを守る程度には利口であるようで、しっかりと小皿に五枚残した状態で食べる手を止めてみせたのでした。
 少女はティーセットをもう一式用意して、猫の分の紅茶も一緒に淹れました。スカラビアの寮長から貰った袋には運よく二人分くらいを賄える茶葉が残っていて、もてなすことはできそうだと安堵の息を吐きます。ハーツラビュルで行われる「なんでもない日」のパーティーのような豪華なものは用意できませんが、それでもやって来たお客様は歓迎すべきです。それが無許可で寮内に不法侵入してきた、これまで二人きりで話などしたこともなかった他校の不思議な猫であったとしても。

「いい気分になりたい時の近道はトレイのお菓子だと昔から相場が決まっているのさ、俺にとってはにゃ」
「町一つ挟んだ向こうにある学園からわざわざ此処までやって来るのが『近道』?」

 二杯の紅茶をテーブルに並べつつそう尋ねます。そうとも、と即座に返して猫はニヤニヤと笑っています。

「一時間かかろうと二時間かかろうと近道さ。零れた紅茶を拭き取るための三十秒は、ちょいと遠回りだったかもしれんが」
「あはは! もう、どういうことなの……全然分からない!」

 絶品が程々で、一時間も二時間も近道で、三十秒は遠回り。些末なところを捻り過ぎたせいで猫の言葉は滅茶苦茶でした。それをさも当然のようにさらりと言うのですから、少女はおかしくってたまりません。折角淹れ直した紅茶が冷めることなど構いもせず、少女はひっきりなしに笑っていました。猫はそうした少女の様子をニヤニヤとしながら眺めていました。相手が笑顔になってくれるというのは気分のいいものです。その相手が、突然の無作法な訪問客である猫にさえ紅茶を出してくれるような人間であれば、尚の事。
 そういう訳で、猫が「遠回りかも」とした三十秒は、どうやら時間を置いてしっかりと「近道」へと化けてくれたようでした。

「よぉし訂正だ、どうやらさっきの三十秒も立派な『近道』だったみたいだからにゃあ」

 紅茶の表面をふーふーと冷やして飲みつつそう告げれば、より大きな笑い声が古びた談話室に広がりました。少女の淹れた甘くない紅茶がそれなりに美味しかったことも、猫の気分を更によくしてくれました。
 少女は紅茶には何も入れずに飲むのが習慣であるようで、猫に出されたソーサーの上にも、砂糖やミルクの類は付いてきていませんでした。半分ほど飲み切ったところで少女がそのことに気付いたらしく「ごめんなさい、砂糖かミルクが必要だった?」と慌てた様子で尋ねてきたので、猫は彼女の小さな憂いをにいと笑って弾き飛ばしてやりました。

「そりゃあ、砂糖はあればあるほどいいだろうさ。多いのは悪いことじゃにゃあ。ないのが一番いい、ってだけの話で」
「……つまり?」
「このままでいいってことさ。美味いよ。程々に絶品、ってとこかねぇ

 それはよかった、と少女が嬉しそうに笑ったので、猫は少しだけ照れつつ残りの紅茶を一気に飲み干しました。十分に温くなりきっていなかった紅茶の熱さが喉奥に残っていました。これまで感じたことのない妙なくすぐったさではありましたが、猫はいつものようにニヤニヤと笑うことで何とか誤魔化してみせたのでした。

「美味しいものはあまり用意してあげられないけれど、気が向けばまた遊びに来て。これくらい愉快で平和な悪夢ならいつでも歓迎するから」

 ごちそうさまを言って立ち上がり、忽然と姿を消そうとしていた猫を少女は呼び止めて、そんなことを言いました。悪夢とは? と、別れの挨拶の間に挟まった妙な単語について尋ねてみたくなりましたが、それは次の機会でもいいだろうと思い直しました。同じようなことを彼女も考えていたようで、定まりもしていないようないつかの未来を思う言葉が、その小さな口からぽろぽろと零れ出てきました。

「次にもし会えたら、その時には、あなたの考える近道と遠回りについて、もっと詳しく聞けるといいんだけど」
「さぁて、何のことだか? そんな話はもう忘れたさ。またにゃあ」

 ひらひらと手を振ってから猫は首だけになり、すっと金色の目を細めていなくなりました。本を読むための時間をだいぶ失ってしまったことは少女にとって惜しむべきところではありましたが、それ以上に二人分のティーセットを冷たい水で洗う時間がとても幸せだったので、気にしないことにしたのでした。

 放課後の自由時間、そのほとんどを少女は自室と談話室で過ごします。その日の宿題に一通り手を付けて、スピード重視でサクサクと書き込み、なんとか提出できる状態にします。さっぱり分からないものは潔く空欄のままにしておき、翌日、友達や先輩に尋ねて埋めてしまおうというのが彼女のやり方でした。分からないところを「分からない」と示すのもまた、宿題の意義であると都合よく解釈していたのです。
 程々のところでペンを置き、談話室に下りて紅茶を用意します。宿題を終えてから、少女の相棒であるグリムと夕食時に食堂で合流するまでの小一時間。用意した紅茶を傍らに図書館から借りてきた本を読むのが、彼女の好む自由時間の過ごし方でした。
 そういう訳で、夕食までの間、少女は基本的に寮から出ません。そのため彼女に会おうと思うならこの広い学園中を探し回らずとも、この寮を訪れればいいだけの話だったのです。故に猫がふらりとこの寮を訪れた際の遭遇率としては百パーセントに近く、互いが口にした「次」と「また」は、思っていたよりも早くやってくることとなったのでした。

 最初こそ、少女が出してくれた薄い色の紅茶を「紅茶は薄ければ薄いほどいい」などと茶化しながら飲んでいた猫ではありましたが、その次の訪問からは「手土産」と称して様々なお菓子を持ってくるようになりました。薔薇の形をした赤と白のチョコレート、可愛い妖精の形をしたビスケット、蝶の羽を模した黄金色のラスク、宝石のように透き通った色のグミ……。彼が「あっちの友達からのおすそ分け」として出してくるお菓子はどれも不思議な愛らしさがあり、しかも美味しく、少女は貰ってばかりであることを申し訳なく思いながらも喜んで口に運ぶのが常でした。
 猫の訪問がある日が、少女にとって「本を読めなくなる日」ではなく「不思議なお客さんと一緒に楽しくお茶会を楽しむ日」と印象付くまでにそう長く時間はかからず、彼女は毎日のように「次」を待ち遠しく思うようになっていきました。

 さて、会う回数が増え、冗談に憂いなく笑い合えるような関係になってしまえば、ぽろりと愚痴めいたものが零れてしまうのも時間の問題だったのでしょう。少女のどんな話にもニヤニヤと顔色を変えず耳を傾けてくれる猫が相手であっただけに、少女は話す内容に気を遣うことをすっかりやめてしまっていました。少女は、これまで自らが巻き込まれてきたトラブルについて、本音を隠さず、時にうんざりした調子で、ときには紅茶の入ったカップを乱暴に置く程度の憤りさえ見せつつ、饒舌に喋るようになりました。そうした激情を露わにしつつも、猫は彼女が本気でこの学園のことを「嫌っている」訳ではないと察していたので、ニヤニヤとしながら否定せず相槌を打つのが常でした。

「入学したばかりの頃は本当に参っていたのよ。わたしの周りには問題を起こすのが好きな人が集まりすぎているの。グリムに、エースに、デュースに……。でもしばらく過ごしてやっと分かったわ。おかしいのは彼等に限ったことじゃなかったみたい」
「ほーう?」
「あなたのお友達がいるハーツラビュルの先輩たちも、サバナクローの人たちも、みんなそれぞれおかしいわ。どうかしている。悪くて狡くておかしい人ばかり。誰も彼も、助けなんか要らないくらい強いのに……誰かに助けられることを待っているような、寂しそうな人ばかり」

 だから嫌いになれないのだけど、と続けた少女の言葉に嘘はないのだと、猫は知っています。猫の幼馴染である二人からも、彼女がこの学園に馴染みきれていない、などという話は聞いていませんでした。彼女はこうした本音に反して、みんなと、相応に上手くやっているようでした。けれども底抜けに明るく楽しくやれているかと言われれば、この話を聞けばそうでないことはもう明らかでした。

 これはこの「おかしな」世界に共通して言えることではありましたが……。彼女が今の暮らしを、みんなのことをどう思っていたのだとしても、そんなことは、このおかしな世界の「物語」には何の関係もないのです。少女が何を思おうと、何も思わずにいたとしても、時は流れ、物語は進み、世界はあるべき姿へ変わります。おかしな世界に生きる、たかだか一人の登場人物風情が、時を進む世界の舵を取る権利を与えられることは滅多に、ありません。
 そうした、おかしな世界に存在する残酷な秩序を受け入れて生きていくのは難しいことです。彼女に限らずとも、きっとこの猫にだって難しいことです。だから「さぁて?」とニヤニヤ笑ってそんなおかしさを流していくくらいが丁度いいのです。けれども少女はまだ、猫のように器用にはなれないようでした。だからこそ、こんなおかしな世界の中において、みんなのことを「おかしい」と不安視し、心配し、うんざりしながらも不思議な愛情を向け続けようとしているのでしょう。……猫にはそんな彼女が少し、ほんの少し、疲れているようにも見えたのです。

「俺のこともおかしいと思うかね?」

 俺の「おかしさ」にも、うんざりしているかい?
 そう問いたいのを堪えて、猫は努めてありふれた尋ね方を選びました。少女は驚いて目を丸くしましたが、やがて紅茶のカップを置き、困ったように笑いながら首を振りました。

「あなたの話はいつもおかしくて楽しいけれど、でもそういうことを聞いているんじゃないのよね、きっと」
「察しがいいにゃあ、助かる」
「そうね、少なくともまともじゃないような気はするけれど、あなたをおかしな人だとは……あまり、思いたくないわ。そもそも、わたしだってきっともう、まともじゃないのだと思うし」
「魔法士養成学校にいながら魔法を使えないおみゃーはそりゃあもう、どこからどう見てもまともじゃないだろうにゃあ」
「ええ、それはそう。そうなんだけど、それだけじゃなくて……」

 猫は目を細めて首を捻り、じゃあどんなだ? と視線で尋ねて続きを促しました。表情は変わらずニヤニヤとさせたまま、猫はその実とてもわくわくしていました。そしてそれ以上に不安で不安で堪りませんでした。いよいよ表情を曇らせて、躊躇いがちに口を開いたり閉じたりしている少女の「本音」が、自身に扱えるような代物であるのか、全く読むことができなかったからです。分からないことはわくわくします。そしてそれ以上に、恐ろしいものなのです。

「……わたしの目にはこの学園のみんなが、おかしな人に『見える』の。こんなに破天荒で滅茶苦茶な人の集まりに飛び込んだのは初めてのことだから、びっくりしているだけかもしれないけれどね。ただ、みんなと一緒にいて、みんなに負けないようにと気を張り続けていると、時々『まとも』が分からなくなるの。わたしばかりが半ば意地になって普通であることに拘泥している。滑稽だわ。これじゃあまるで、みんながまともでわたしこそがおかしいみたい。もしかしたら既にそうなのかもしれない」
「……ふむ」
「気持ちがどんどん不自由になっている気がするの。まるで悪い夢を見ているみたい」

『これくらい愉快で平和な悪夢ならいつでも歓迎するから』
 初めて一緒に紅茶を飲み、クッキーを食べたあの日の去り際、少女が告げたあの言葉が今の「悪い夢」に重なりました。おかしな現実に生きている猫と、確かな悪夢を見ているかのように思い悩んでいる少女。二者が同じテーブルを囲んで紅茶を飲んでいる様子がひどく奇跡的なものに思われて、猫は空になったカップを一瞥してから頬杖を付き、ニヤニヤとしながら改めて彼女を見遣りました。

「こいつは俺の、あちらでの友人が言っていたことだが、参考にはなるかもにゃあ」

 あちら、とは彼の通っている学園、ロイヤルソードアカデミーのことです。どんなところなのか、どんな生徒がいるのか、まだこちらの世界で三か月ほどしか過ごしていない少女にはさっぱり分かりません。頻繁にこちらへと遊びに来る猫に、美味しいお菓子を無償で譲ってくれる素敵なお友達が大勢いる。それが彼女の知るロイヤルソードアカデミーの全てでした。そう、今日のお菓子だって最高に美味しかったのだから、その「友人」が素敵な優しい人であることだけは、最早疑うべくもありませんでした。

「心を自由なままにしておきたいなら、楽しいことを考えなきゃならん」
「楽しいこと?」

 そんな「友人」の話が嫌なものであるはずがないと半ば確信して、少女は頷きつつ聞く姿勢を取りましたが……猫の口から出てきたのは、随分と抽象的な、ふわふわとした、参考になるのかならないのか分からないものだったので、少しばかり拍子抜けてしまいました。

「そいつは楽しいことばかり考えているからどんどん自由になって、ついには箒なしで空を飛び回るようになったぞ」
「ふっ、あはは! 嘘ばっかり!」

 唖然とした少女へと畳みかけるように猫はそんなことまで言います。彼の口にする冗談やでたらめな言葉は楽しいものに違いなく、故にその「嘘ばっかり」に猫を責める意味が含まれていないことは明らかでしたが、猫は珍しく、質の違う笑顔で「さぁてねえ」と更に言葉をかき混ぜて、でたらめの渦を作ったのです。

「嘘かもしれんし本当かもしれん。おみゃーには確かめようがないからなあ。おみゃーが嘘だと思いたいなら、嘘だと言って切り捨ててしまう方が『楽しい』なら、そうするといいさ」

 けれども、そうした楽しい言葉に元気を貰ったらしい少女はもう、迷ったりしませんでした。

「じゃあそうするわ。そっちの方が楽しいもの」
「……おやぁ? 怒らせたかい?」
「まさか! 違うわ」

 少女は大きく首を振ってから、肩を竦めて苦く笑って、目を泳がせました。次の言葉を躊躇っているようにも見えました。猫は機嫌よく、コロコロと喉を鳴らすように笑いながら、根気よく待ってみることにしました。金色の目を細めて続きを待っている間の、この得も言われぬ沈黙、幼馴染たちと三人で集まっているときにはなかなか生まれないこの時間を猫は気に入っていました。待っている間もこの沈黙を楽しんでいれば、飽きずに済んだのです。

「わたしを楽しませようとして吐いてくれた嘘だと考えた方が、よりあなたのことを好きになれそうだもの。箒なしで空を飛べる人がいることよりもずっと、わたしにとってはそちらの方が嬉しいし、楽しいわ」

 そうした沈黙の先に飛び出した少女の意外な言葉、わたしはわたしのためにいつだって周りのことを都合よく解釈するわ、という明け透けな本音が面白くて、猫はお腹を抱えてケラケラと笑いました。
 不思議な猫が何とはなしに懐いたこの少女は……夢見ることを忘れず、願いを捨てず、悩みながらも希望を持ち続けることができる、勇敢な、……けれども少し、自分の心を自分だけで支えようとするような、そうした寂しい傲慢さに長けた子なのだと、知りました。

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