蛇足(泥梨)

 7話も書いた割には全然スッキリしない話となりましたが、結局、監督生の選択はどんな綺麗事を並べ立てたところでスッキリするものにはなりようがなかったのだ、地獄は地獄のままだったのだ! ……ということなのだと思います。

 監督生は何としてでも元居た世界に戻りたい。でもケイトさんが付いてくることを完全に喜ぶことはできない。ケイトさんは監督生と一緒に居たい。でもその身のままで旅立てば彼を知る大勢を悲しませる。クローバー先輩は本物のケイトさんと一緒に居たかった。でもその願いが叶ったところで彼の溜飲が下がることはなくその後も苦しみ続けることになった……。
 監督生とケイトさん、両方が納得できる方法でさえあるはずがなかった。そこにクローバー先輩とかいう第三者まで入ってきてしまっては、全員が報われるハッピーエンドなんてもう不可能、夢のまた夢でしかなかった。
 だからこそ、クローバー先輩を語り手にしなければならなかったんですよね。彼は塗り替えるのがとても、とても得意なはずだから。彼の視点で語られる「これでよかったのだ」という心地を書ききれば、きっとそれがこの物語の真実として塗り替わってくれる、かもしれないから。

 ただ、クローバー先輩の「薔薇を塗ろう」が介入しなかった箇所、ありのままで構わなかったと言える点として、三人が三人とも最後まで「それぞれの幸いを諦めていなかった」ということだけは繰り返しておきます。足掻き続けたことが地獄への道を舗装するような皮肉な結果にしかならなかったとしても、彼等の「諦めるものか」という信念は、覚悟は、決意は、ハッピーエンドに導くことの叶わない「この」世界における唯一の幸いであったと……私は、思っていたいですね。

 犠牲の彼(彼女)には文字通り「どんな犠牲を払ってでも欲しいものを手に入れたがる野心」があります。
 神の国で踊ったあの子には「たかが人のことを神と崇める狡さと、崇められることを喜ぶ驕り」があります。
 まほろばの監督生には「自らの安寧のため、別れの挨拶さえせず旅立てる程度の無情と不義理」があります。
 泥梨の監督生には「公平性や誠意やその他諸々でごりごりに押し固めた面倒で悪辣な正義心」があります。

 このように(レオナさんの話には入れ忘れてしまったのですが)ツイステの話を書くときには「女の子に悪の資質を持たせること」を意識していました。
 闇の鏡に選ばれる程度の悪がどんなものかまだ分かりかねますが……それが手違いで呼ばれた生徒であれ、不正入学で忍び込んだ女の子であれ、異世界から導かれた監督生であれ……おおむね「悪い子」であることには違いないはずなので、壮大なものであれ些末なものであれ、とにかく「なんだこいつ悪い奴だな」と思ってもらえるような少女として書こう、と考えていましたね。

 

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