「なあケイト、そのスマホさ、調子悪いのか?」
「んーん、ちゃんと動くよ。何にも問題なし!」
「最後に投稿した写真、覚えてるか?」
「うん、ルークくんがオーディション合格者に向けて飛ばした矢に、一年生の子たちがびっくりして腰を抜かしちゃったところでしょ? みんなの顔、最高に面白かったよね! あれが実質、エーデュースコンビの当選祝いになっちゃってさ。OBの先輩方も『#VDC出場決定』のタグを見つけて拡散してくれたから、あの投稿だけ『いいね』の数が桁違いで」
「あれ以上に楽しいものはもう、見つかりそうにないか?」
一向にスマホへと手を伸ばさない彼に代わり、トレイは自らのポケットから己がそれを操作してマジカメを開いた。トレイのマジカメは所謂「閲覧用」とでも言うべき代物で、試しにと撮ったケーキの写真を除き、一切の投稿がなかった。けれども副寮長という役柄上、あらゆる寮の生徒と話をする機会だけは多く、「本当に見るだけのアカウントだが、それでもいいなら教えておこうか」という決まりきった前置きのもとに、相互フォローというものをかなりの数、増やしていた。
毎日のように投稿される数多の写真、トレイはそれに反応することもあったししないこともあった。見ていて不快になるようなものがあれば遠慮なくミュート設定にした。そんなトレイがリアルでは勿論のこと、SNS上では殊更に信用を置いているのがこの人物、ケイトのアカウントだった。彼は人を不快にさせるような投稿を絶対にしない。悪戯の手段として彼のマジカメが使われることはトレイの知る限りでは一度もなく、故にトレイのマジカメのタイムライン上においては、彼の投稿が唯一信用のおけるものであり、絶対の安寧であったと言ってもいい。
「あれ以来、お前の投稿を見ていないんだ。写真が気に入らなくて後で片っ端から消しているのかとも思ったが、そうじゃないらしいな」
「やだなあ、そんなことトレイくんに分かりっこないでしょ? マジカメなんて、いつも一日に一回くらいしか見てなかったじゃない」
「思うところがあって、ケイトの投稿に通知機能を付けたんだ。だからお前が後で投稿を取り消したとしても、オレのスマホには『投稿した』って事実だけは確実に残るようになってる」
「げっ、勝手に何してくれちゃってんの……。いや、まあいいけどね。それだってマジカメの使い方だし」
投稿がなくなった、という、ただそれだけの事実ならトレイはもう随分と前、彼の投稿が三日絶えた時点で気付いていた。だがその段階ではトレイは動けなかった。トレイが本当に気付かなければならないのは「そんなこと」ではなかったからだ。投稿がなくなったことが「何を意味するのか」此処に気付かなければどうにもならない。彼に「最近、投稿していないじゃないか。どうしたんだ?」などと素直に問うたところで、胸の内を明かしてくれるような奴ではないからだ。
彼の行動が何を意味しているのか、そこまで読み取ってから出なければトレイは声を掛けられない。証拠を掴むなり、逃げ場を塞ぐなり、とにかく相手に口を割らせるだけの情報と確信を得なければ動けない。その動きを彼に「思っているだけで口に出さないの、どうかと思うな!」とやや強めの語気で指摘されたこともあったが、トレイ自身はこの動き方を間違っているとは思わない。特にケイト、お前に対しては。
「あのさ、トレイくん大袈裟じゃない? マジカメを触らなくなる時期なんて誰にでもあるでしょ? 普通だよこんなの」
「お前の場合は普通じゃないから声を掛けたんだ。俺に例えるなら、今日を境にケーキや菓子の一切を作らなくなるようなものだぞ」
「……それは、ヤバいかもね」
「分かってくれるか」
「めっちゃ不本意だけど、その例えは正直、百点満点だよ。トレイくんってほんと、言葉の選び方から例示まで何もかも意地悪なんだから!」
だって此処まで追いつめておかなければ、お前は逃げてしまうだろう。何もかも明らかにしてからじゃなきゃ、口を割ってくれないはずだ。そうだよな、これまでずっとそうだったもんな。
甘いものが嫌いだったなんていう、ただそれだけのことを指摘するだけでこの友人の笑顔は崩れた。だからトレイは殊更に慎重になる必要があった。トレイは喪失の気配に疎い。けれど喪失を想定することくらいはできる。この友人をどのような形であったとしても「うしなう」ことは、トレイにとっては相応に、耐え難いことだ。おそらくは、幼少の頃にリドルを外へと連れ出したことへの後悔などとは比べ物にならないほど。
「もういいのか?」
「んー?」
「もう『楽しく』しなくてもよくなったのかって言ってるんだ」
四秒の沈黙、二秒の溜め息、三秒を使ってペンをくるくると回してから、ものの一秒の間に分厚い本がパタンと閉じられる。あははと空笑いするその表情は底抜けに明るい。いつものケイトだ。とてもではないが、アイデンティティを手放しかけている人間のようには見えない。だからこそトレイは、彼のその笑顔が恐ろしい。
ああ、そういえばそのペン、同じものを監督生も持っていた。あの子のペンは、オレンジ色だったけれど。
今の彼はもう「今を楽しく過ごしたい」とは思っていないように見える。
そして、そんな「楽しく過ごす」というモットーを手放した彼の居場所は、もうマジカメにはない。だから彼は投稿をやめた。彼の居場所は、誰にも告げられることなくひっそりと、マジカメから別の場所へと変わったのだ。
「あーあ、やっぱりね! 副寮長の仕事にサイエンス部の活動に、実行委員長のリドルくんの補佐まで自主的にやっちゃってるようなトレイくんが、ちょっと疲れたくらいでわざわざこんなところに休憩に来るなんて、おかしいと思ったんだよ!」
「……ふっ、あはは、その通りだな」
「ねっトレイくん、顔上げて? 大事なことなんでしょう、ちゃんと目を見てゆっくり、時間を掛けて話そうよ。オレ、逃げないからさ」
彼のそうした、ひどく誠実な言葉を受けてトレイは組んでいた腕をほどき、背筋を伸ばした。目を見てゆっくり……時間を掛けて……逃げないから……。それらは「ラフに、楽しく過ごす」ことを信条としていた頃のケイトからは出てくることなど想定できない、実に彼らしくない言葉だった。のっそりと顔を上げれば、柔和な表情でこそあるものの真摯な目をした友人がいる。トレイの見たことがない眼差しでこちらを刺す友人がいる。
ケイトへ改めて向き直るより先に、トレイはもう一度、机の上へと視線を走らせた。おおよそ三年生が勉強するようなものでないような難解な書物が積み上げられている。そのうちの一冊には赤い文字で「持ち出し禁止」と書かれたシールが貼られている。タイトルを認識したくなくて思わず目を逸らせば、ケイトの手元、赤いペンが白いノートに小さく影を落としている様が視界にこびり付いてきた。ああやはり、監督生が使っていたものと同じ形だ。学園の購買に売っているのを見たことはない。……学外で、揃いのものを買ったのだろうか。もしくは二本を取り寄せて一本を贈ったのだろうか。
「まずお礼を言わないとね。踏み込んできてくれてありがとう、トレイ」
いつか、この友人とこうして腹を割って話し合える日が来ることを期待していた。今がその時であるのなら、トレイは喜ぶべきであったのかもしれなかった。けれど、何故だろう。
嫌な予感がする。
「まあ端的に言えば、勉強で忙しくなったからマジカメを触る余裕がなくなったって、それだけなんだけどさ。でもトレイの言うように、もう投稿が楽しくなくなったってのも事実なんだよね」
トレイは少し変わった。他者へとこうして踏み込めるだけの勇気を手に入れた。リドルも少し変わった。他者の生き方を尊重し意見に耳を傾けるだけの柔軟性と寛容さを手に入れた。それらが全てあの監督生の「おかげだ」などと言うつもりはなかったが、魔法の一切を使えないあの小さな女の子が、それらの変化のトリガーとなったことは間違いない。そしてトレイやリドルに限ったことではないはずだが……この数か月であらゆる人物に少しずつもたらされた「変化」は、どちらかと言えば「いいもの」に違いなく、だからこそ魔法の使えない無力な監督生は、誰に傷付けられるでもなくこの学園で安全に生き延びることができているのだ。
だが、この変化はどうだろう。彼、ケイト・ダイヤモンドに彼女がもたらしたと思しきこの変化を、当人はともかく、トレイは「いいもの」とすることができるだろうか。今から交わされるであろう「話」を経ても尚、トレイはあの監督生のことを好ましく思えるだろうか。
「オレのユニーク魔法、あるでしょ?」
「……ああ、いつも世話になってるよ」
「へへっ、そりゃよかった! あれをさ、これをオレ自身のために使ってみようって思ったんだよね。言ってしまえば、この魔法を使ってやってみたいことがあるワケ。だから今はそのための力を得るために、お勉強中」
「やってみたいこと?」
「オレを分けたいんだよね、文字通り」