B 秋ー1

サザナミタウンで出会ったシロナさんは、私がシンオウ地方に興味を示すと、シンオウ地方の地図と、シンオウ地方版のポケモン図鑑を渡してくれた。
空欄ばかりのポケモン図鑑は、私をとてもわくわくさせた。初めて一番道路に踏み出したあの時を思い出した。
ありがとうございます、とシロナさんにお礼を言うと、彼女は意味深に微笑む。
「お礼はいいから、一つだけ頼まれてくれない?」と言われ、彼女はバトルだけではなく交渉術にも長けているらしいことに気付き、苦笑した。

『もし貴方が、シンオウ地方を観光するついでに彼を探すのなら、ヒカリを誘ってあげてくれない?フタバタウンに住む、10歳の女の子なのだけれど。』

『……まさか、私を10歳の子供の保護者にするつもり?』

私が眉をひそめてあからさまに嫌そうな顔をしてみせると、彼女は何がおかしいのか、楽しそうに肩を竦めてウインクをした。

『それなら心配しなくてもいいわ。貴方が守るまでもないくらい、その子は強いのよ。私を負かしたことだってあるんだから。』

『え、……それなら益々、私が同行しないといけない理由がないじゃない。』

『会えば解るわ。まあ、強制ではないけれど、一回だけ、顔を見てあげてくれない?』

シンオウ地方の地図と図鑑を貰ってしまったし、こちらにはお返しとして、シロナさんに渡せるものが何もない。
おまけにそんな含みのある言い方をされてしまっては、いよいよ私には承諾する以外の選択肢が無くなってしまったのだった。
やはり世の中の大人は狡い人間ばかりだ。しかしこうした等価交換なら相手を憎む理由にはならない。
食えない人だとは思ったけれど、シロナさんのことは別に嫌いではなかった。

『誰かを探している人の目は、一様にして悲しそうなものなのね。』

それに、あの時のシロナさんの言葉が、少しだけ気に掛かっていたのだ。

「……ゼクロム、その小さな町」

私は彼女に貰ったシンオウ地方の地図を頼りに、フタバタウンという田舎町に降り立つことができた。
吐く息は既に白く、トウヤのトレンチコートが無ければ今頃は寒さに震えていただろうと、そんな予測に身震いしてみたりもした。

夕暮れに染まるその町は、何処かカノコタウンに雰囲気が似ていた。小さな民家が立ち並んでいる他には、何の特徴もない、とても静かな町だ。
近くの林の向こう側には、綺麗な湖が見える。地図によると、シンジ湖というらしい。感情を司る、という珍しいポケモンの棲み処にもなっているのだとか。
シンオウ地方にはシンジ湖を含めて3つの湖があり、他にも観光名所が沢山あるらしい。かなり楽しめそうだ。私は久し振りにとてもわくわくしていた。
此処には一緒に旅を始める幼馴染も、私にちょっかいをかけてくるあいつもいないけれど、でも私にはポケモンがいてくれる。寂しくはない。きっと楽しい旅になる筈だ。

……それでも、やはり一番にこの家を訪れたということは、多少は心細く思っていたのかもしれない。
シロナさんに無理矢理押し付けられた役目だが、しかし此処へ来るまでの間に、私はそれを受け入れる準備が出来ていたようであった。
ドアをコンコンとノックすれば、一人の女性が顔を出した。私の母よりも少しだけ若い、かもしれない。

「こんにちは。……えっと、どちら様だったかしら?」

「いいえ、此処に来たのは初めてよ。私はトウコ。此処にヒカリって子がいるって、シロナさんから聞いてきたのだけれど……」

「あら、初対面だったのね。ごめんなさい」

インゴットカラーのふわふわした髪が、彼女が微笑む度に優しく揺れる。
……しかし、どうして世のお母さんというのは、こうもふわふわとした、綿飴のような雰囲気を纏うのが得意なのだろう。
「寒かったでしょう?どうぞ上がってくださいな」と、その柔らかく甘い声で招かれてしまったので、私は靴を脱ぎ、中へと上がった。
そこで私は、目的の人物と顔を合わせることになる。

寒い地方を象徴するような、ふわふわした寝心地の良さそうなカーペットを満喫するかのように、その少女はぺとりと横になっていた。
お洒落なピンクのストールは、きっと彼女の母のものだろう。
私の近付く足音にも何の反応も示さないその少女は、母に「ヒカリ、貴方にお客さんよ」と言われるまで、その身体を起こすことをしなかった。

「!」

実は私もシンオウ地方に来る前に、彼女のことを調べていたのだ。彼女はシンオウ地方ではそれなりに有名人らしく、あらゆるニュースにその名前を見つけることができた。

ギンガ団という組織を解散に追い込んだ少女。
10才にしてポケモンリーグのチャンピオン、シロナに勝利。
伝説のポケモン「ギラティナ」に乗り、シンオウの寒空を飛ぶ姿はあまりにも有名。

その情報に、私はあろうことか、自分によく似た性格をした子だという予測を立てていたのだ。
少し口が悪い、勝気な女の子。ある程度、気丈で自信に溢れた子でなければ、ギンガ団と戦ったり、ポケモンリーグに挑んだりできないだろう、という先入観があった。
だから、目の前で泣き腫らした後のような虚ろな目で私を見上げるその少女が、シロナさんの言っていたヒカリだと、直ぐには信じられなかった。

「誰?」

消え入るような声でそう尋ねられ、私は慌てる。
そうだった、すっかり知人のように思っていたけれど、私とこの子は初対面なのだった。

「あ、えっと、はじめまして。私はトウコ。シロナさんに貴方の、ヒカリのことを聞いて、ちょっとお誘いに来たの」

トウコさん……?」

ヒカリは誰かを探しているんでしょう?私も、探している人がいるの。それで、あの、初対面でいきなり何を言っているんだって思うかもしれないんだけど、その……」

もしかしたら、私はとてもおかしな人として、この少女の目に映っているのかもしれなかった。
初対面の相手に、いきなりこんなことを提案しようとしているのだから。
それは明らかに常識的な言動ではなかった。どちらかというと、こんな突飛な発言は、私ではなく「あいつ」に似合っているような気がした。

「一緒に、シンオウ地方を旅してくれないかな」

しかし幸いだったのは、その言葉にヒカリの母が「あら、いいじゃない。お友達と一緒に、もう一度旅をしてみるのもいいかもしれないわよ」と賛同してくれたことだ。
そのまま彼女の提案により、私は隣町のポケモンセンターで取る筈だった夕食と宿を、ここで頂くことになってしまった。
私はヒカリの母にお礼を言い、夕食の準備を手伝うことにした。

私は野菜を切りながら、カーペットの上に寝そべるヒカリを、時々、そっと覗いていた。
あの死んだような目をした覇気のない少女が、一つの組織を解散に追い込み、あのシロナさんに勝利しただなんて、どうしても信じられなかったのだ。

トウコさん」

ヒカリの母が、人差し指で私の肩をつんと突いた。慌てて振り返れば、彼女はその指を口元に当て、「静かに」というサインを私に送る。
その後の彼女の視線で私も察する。どうやらヒカリには聞かれたくない話であるらしい。

ヒカリはね、ギンガ団のボスを探しているの」

「……ギンガ団って、あの子が倒した組織ですよね」

「ええ。ヒカリは、自分がその人の生きる意味を奪ってしまったと思っているみたい」

私は彼女の話を聞きながら、何処か釈然としない気持ちに襲われた。
ヒカリが戦ったのは、そのギンガ団とやらのボスだけではない筈だ。おそらく、プラズマ団でいうところの七賢人や、あのおかしな服を着た下っ端のような連中もいただろう。
それなのにギンガ団のボスだけを探しているという、そのヒカリの行動には違和感があった。
しかしその疑問は、次の母の一言で氷解する。

ヒカリはね、そのアカギさんって人に好かれていたみたいなの。……あの様子を見ると、きっとヒカリもその人のことが好きなのね」

私の脳裏に、満面の笑顔でピースサインをするシロナさんが浮かんで、消える。
……やられた!

「……奇遇ですね。私もです」

「え……?」

「私も、私が好きになった人を探しているんです。同じような理由で」

語気を強めてそう告げれば、ヒカリの母は「あらあら」と、柔らかく仄甘い相槌と共にふわりと笑った。

きっとシロナさんは全て知っていたのだ。
ゼクロムのことを知らないような素振りをしておきながら、私がプラズマ団と戦ったことも、その過程で行方不明になったNを探しているということも、全て解っていたのだ。
dからこそ、意図的に、私と似た境遇にあるヒカリに私を近付けたのだ。おそらくは、彼女の理解者となれるようにという期待を込めて。

ああ。やはり大人ってこんなにも、狡い。


2014.11.4

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