人魚が人間の男になるのも、人間の女が人間の男になるのも似たようなものだ。どちらも同じ変態で、この体はどちらにとっても仮初のものでしかない。ここに「そういう」本能めいたものが宿っているなんてこと、起こりようがない。
低い声を持っていようとも、胸のふくらみを潰そうとも、生殖器を生やそうとも、それらの変化に私のDNAは一切呼応しない。男性の形を取ったからといって、寮内で回し読みされているという女性の写真集に私の体は一切反応しない。言うなれば「男性のガワ」を見に纏っているだけなのだから当然のことであるはずだ。そういう、生命的な意味においては私も彼も偽物に違いない。取り繕わなければこの学園への切符は手に入らなかったのだから、その選択については後悔していない。
低い声を持っていようとも、胸のふくらみを潰そうとも、生殖器を生やそうとも、それらの変化に私のDNAは一切呼応しない。男性の形を取ったからといって、寮内で回し読みされているという女性の写真集に私の体は一切反応しない。言うなれば「男性のガワ」を見に纏っているだけなのだから当然のことであるはずだ。そういう、生命的な意味においては私も彼も偽物に違いない。取り繕わなければこの学園への切符は手に入らなかったのだから、その選択については後悔していない。
とにかく、私達は偽物で化物で作り物だ。変態した先の本能を、本質を、私達が手にすることは未来永劫在り得ない。そうした歪な存在でしかない。それでも私達が此処で上手にやれているのは、本能も本質も関係ないところでだけ結びついているからだ。「友達」という関係ならそれが叶う。「私達が本当は何者であるのか」について熟考せずとも、大切な存在として互いを想い合える。私が何者であったとしても、この人が何者であったとしても、そんなことは私達の関係を妨げない。本質を隠し合っている、騙し合っているという事実さえ、彼を友達とすることにおける支障になどなりはしない。
「だからね、揃いになれないDNAの話なんかどうでもいいんだ。私は君と友達でいられるだけで十分だったから。それだけでもう夢のように楽しかったから」