私はずっと一緒にいたから愛着があるよ? ただの肉塊だったとしても私は2日前まで一縷の望みに賭けていたし信じていたかった、思考を止めずに書き続けたあの日々は私の為の行為だったけれどそこには愛と呼んでも差し支えない何かがあったと思いたいよ? でも家族は違うじゃない。受診の経過だけ報告して、エコー写真だけ見せて、今こんな感じって週に1回だけ知っていただけの人間にさ、悲しみを吐露したところで虚しいだけだ。だってこれは家族に限ったことではないけれど、父にしても母にしてもこの存在に寄せていたのは期待であり愛ではなかったんだ。ただの3回か4回かだけの報告で芽生えるような愛とかそんなおふざけみたいなこと信じないよ。
だから私にできるのはさっさと手術して次の予定を教えて差し上げることだけ。私の体と心にはまだ貴方の願いを叶えてあげられるだけの下地があるよと伝えることだけ。思考が好きな相手に参考資料として私のあれやこれを開示していく、たとえばあの日記を読んでくださっていた相手にあの思考の続きとして肉声で吐露していく感じならまだしも、まだしも、そんなことにとんと興味ない人間にそんなこと開示したってどうにもならないでしょう。だから言ってやらない。なんか言ってほしそうな「態度」をしているのは分かるけれど「言葉」で要求できないのなら応えてなどやれない。ただ同意してくださるならまだしも私が必死になって紡ぎ出した思考のあれやこれを正論でぶった切られたりしたら堪ったもんじゃない。だから求めてこない限り言わないよ。鈍いふりをし続けるよ。何も尋ねてこなかった貴方には譲らない。何も知ろうとしなかった貴方には伝えない。周りの誰がこの秘匿を歪で冷たいものだと糾弾してこようとも、私は今、この件に関して誰よりも悲しみ傷付いているという自負のある人間として自分の心を守るために動くよ。