早く私の寮に帰りたい。本を読みたい。紙の上で目を走らせるあの感覚だけは故郷で楽しんだものと寸分変わらない。私は変わらないものだけを愛していたい。だから貴方のことは嫌い。私に変わることを強いてくる貴方のことが嫌い。濁った魂を持て余している「貴方」のことが嫌い。ほら、手を放してくださいよ、貴方だって私のこと、嫌いでしょうに。
「なんでずっと気付かないフリしてんの?」
「なんでって、それはこっちの台詞ですよ。貴方がたは、入れ替わっていることにさえ気付かない、愚鈍な陸の人間たちを見て楽しんでいるんじゃなかったんですか? 私は貴方の意に沿うように振る舞っているはずなのに、何が気に入らないんです?」
リーチ先輩がマジカルペンを取り出して、一振り。目線を合わせていないから分からないけれど、おそらくこの瞬間、瞳の色が入れ替わったのだと思う。頭を撫で付ける動作をしてから、着崩した制服を整えて、コホンとひとつ咳払い。圧の込められたその息が、私にそちらを見るよう促している。勿論、従ってなどやらないけれど。
「……僕とフロイドのことを」
「なめるのも大概にしてください、とでも言うつもりですか? こちらを騙して楽しもうとしていたのは貴方がたの方でしょうに。人魚ってのは、一方的に相手の不実ばかりを裁けるような傲慢な人種だったんですか? そんなこと、知りたくなかった」
「……」
「あの、痛いんです。手を放してください。私は契約違反者じゃありません。貴方がたに何か差し出す義理も、貴方がたを楽しませなければいけない理由もありません。八つ当たりで骨なんて折られちゃ堪ったもんじゃないんですよ」
肩ごとぐるりと回せば、存外簡単に彼の手からはすり抜けることができた。制服の裾をこれ見よがしに払うという地味な憂さ晴らしで強引に溜飲を下げてから、小さくお辞儀をして、背を向ける。グリムは何処へ行ったのだろう。彼もまた私に変わることを強制してくる、この世界の一要素であることには違いなかったけれど、少なくともこの先輩よりはずっと安心して傍にいられた。
早く元いた世界に帰りたい。あちらもあちらでろくでもない場所だったけれど、こんなところで死ぬよりは、愛着のある場所でちゃんと生き抜きたかった。おぞましく低俗な化物ども、私がかつて愛したヴィランズの成り損ない、そんな奴等のおもちゃにされては、かなわない。
「酷い言い草ですね、僕の手を取ってくださったのは貴方の方だというのに」
でも貴方は握り返さず、馬鹿にするように笑っただけだったじゃありませんか。
そう言い返すために振り返ることさえ億劫だった。
元の世界で夢の国アニメのファンを長年やっていた監督生。世界が変われば姿や性別や年齢や種族が変わることくらいあるだろうとなんとか自身を納得させて、彼等の中に自分の愛したヴィランズの「魂」を探そうとしたけれど、どうしても見つけられず、幼さや傲慢さや性根の曲がりばかりが目に付き過ぎたが故に「この人達はヴィランズの成り損ない、偽物」と結論付けて、さっさとこの捻れた世界から抜け出そうと考えている。
アズールのことを好きになれなければきっと私もこのタイプだった。