私はその1分に永遠を見るだろう(/600)

 冠の雪原が何時から配信なのかは分かりかねますが、取り敢えずセイボリーとまたお話できること考えると今からニヤニヤが止まりません。楽しみだなあ。
 さて6月頃はどういった心地でセイボリーと向き合っていたのだったか、などと思い、/600を読み返してきたのですが、あまりの狂信者ぶりに笑ってしまいました。そうだよなあそうだよなあこの時期は本当にセイボリーの生き様を拠り所にして何とか生きていかれていたんだよなあ……。9月辺りは彼への信仰をかなぐり捨てて本当に自分のためだけに生きていた身なのですが、今はある程度落ち着いた心地で、やっぱり彼の生き様は素敵だなあと穏やかに思うことができています。あくまでも「穏やかに」なので、6月の頃の狂信者ぶりには「やりすぎだお前」と苦笑せざるを得ないというのが現状です。まあそんなこと言って冠の雪原でセイボリーが大活躍したらまたしても崇めてしまうのかもしれないのですが……。

 何年もポケモンの世界であれこれと書いていると、連載を読み返すことでその「書いていた時期」のことも同時に引っ張り出されてきて、嬉しくなったり悲しくなったりすることが多々あります。連載はある種、皆さんと共有させていただける夢物語であると同時に、私にしか機能しない日記であるとも言えるのかもしれません。

 今はこちらに持ってきていない「樹海」は、シェリーとフラダリさんがカロスから逃げ出してほのぼのスローライフ(血みどろ)を楽しむ連載なのですが、これ、体調不良にて休学を余儀なくされた頃だったのでその頃の記憶がね……読み返すと蘇ってきて結構ぐらぐらとするのですよね。あの夏は本当に暑かった、溶けてしまいそうだった。実家の窓際、真昼にもかかわらずカーテンを引いてあれを書いていました。私が生きることに消極的であるとき、いつもシェリーがいてくれたような気がします。

 あと「上に落ちる水」ですが、これも夏場に書いた作品です。研究室のバイトに参加してひたすら成分の抽出を行っていたのですが、その待機時間にプロットを組み立てました。つまりあの成分はゲンさんが抽出したと言っても過言ではない……いやそんなはずはなかったな! 「だって私はもう、貴方がいなければよかったなどと思うことができないんだ」みたいな台詞があったと思うのですが、あれとか、あとやぶれた世界の描写とか、あの辺を思い出そうとすると抽出用機械のウィンウィンという幻聴が聞こえます。

 そんで「マーキュリーロード」な! これは12月に書いた作品です。大学で地獄の実習があった頃だよ! リーダーとして十数名を統率する力などない癖になまじ勉強だけはやっていたせいで優秀だと勘違いされ指揮役に任命されてあれこれと走り回っていました。もう散々な実習でした。二度とやりたくない。非協力的なクラスメイトもいましたが、一番はやはり私の、周りに協力を仰ぐ力と指揮力と要領がお粗末だったことが原因でしょうね。私の計算結果を丸写しして自分のものにして提出し、でもその丸写しさえ桁を一つ間違えて10倍の量を発注したクラスメイトは、でも愛嬌のおかげで特にきつく叱られることもなく楽しそうに最後まで実習をやっていました。あれくらい要領が良ければ人生楽しいだろうなあと思ったものです。正直、私は社会に出ていく自信みたいなものをこの実習でぽっきり折られてしまって、もう駄目だと思って、毎日乗っている電車を見て初めて「よくないこと」を考えたりもして(此処で事故を起こしたら明日の実習に出なくて済む)……とにかく最悪の期間でした。この期間が丁度、一章執筆の頃ですね。
 二章三章はそれはもう好き勝手に書いていたのですが、執筆終了後、この実習に付いた成績が100点だと知り、もう何というか複雑極まりない気分になりました。リーダーである私の事ばかり責めていた教授さんからこれだけの点数を頂けたことへの喜びなんかちっとも湧き上がって来ませんでした。70点とか60点でよかった。あそこまで追いつめられない方が余程よかった。この「訳の分からない虚しさ」を経て「ああもういいや、疲れた」となる過程はおおよそ小石の喜劇に似ていて、大学生でさえ持て余すこの感情をたかだか11歳の子供に背負わせて私は一体何をやっているんだと、改めてあの連載の業の深さを噛み締める結果となりました。懐かしすぎる。

 それから、今はなき旧版の「片翼を殺いだ手」ですが、実は入院中に書いたものでした。あの入院は体調と精神状態の回復をはかるためのものであると同時に、自らの体力とか精神力とかを客観的に見直し、現実的な将来の着地点について考えるためのある種「猶予期間」でもありました。そんな大事なモラトリアムの時期に何を書いているんだという感じではあるのですが、高望みしていた夢を幾つか手放す覚悟が必要だった当時の私の心に、いろんなことを諦めざるを得なかったBW2後のゲーチスさんや、そんな彼を静かに支えるダークさんたちがずっといてくれたのは本当に幸いなことでした。そんな彼等とは正反対の、何をも捨て置けない、取り零すことが嫌で仕方がない強欲を発揮するシアと、そんな彼女のありのままを肯定するアクロマさんの姿に、私は何かを託していたのだと思います。
 8年前、大学病院のベッドで諦め、妥協し、捨て置いた何もかもを「そういうものだ」と肯定してくれたのがゲーチスさんで、代わりに拾い集めてくれたのがシアです。そういう意味でBW2の三部作は正しく「夢物語」でした。かつての私が叶えたかった、私では叶うはずもなかった夢でした。

 あ、最後に「Schlieren im Sommer」ですが、自室のエアコンが壊れたが故に狭い別室へ布団とパソコンのみ持ち込んで書いていた代物ですね。実家で取れた大量のミニトマトをつまみにしながら、黒ラベルのコーラや炭酸水を飲みつつ、架空の夏休みの妄想に明け暮れていました。
 これ、実はアンダーテールというゲームから着想を得ています。「貴方はそういう気持ちになった」「貴方は重い鞄を引きずって電車から降りた」などの「貴方は」で始まる特殊な地の文、これは思いっきりアンテ非公式日本語版(現在は削除済みのようです)の「あなたは胸に決意を抱いた」などに憧れたが故の書き方でした。現在更新が途絶えていますが最終的には「すべてのルートの記憶を有した上で隠しルートに挑む」という「プレイヤー」の存在を意識した物語にしようと考えていたので、この辺りも今思えばアンテの影響であったのかもしれませんね。

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