こんにちは雪村さん。いつもお喋りしてくださり、ありがとうございます。
涼しくなってきて、体調としても回復傾向にあるため、色々と考える余裕ができました。その余裕に「はいお待たせ!」とばかりに金木犀の香りが潜り込んでくるので苦笑せざるを得ませんね。周囲の人を大事にしようと気持ちが働いている時ならばこの香り、とても好意的に受け取れるのですが……罪を感じる時、周囲を拒絶することによる平安に甘んじている時、などに嗅ぐべきものではないなとこの度痛感いたしました。
サイコロ中編でアクロマさんがドヤ顔しながら喋っていた内容なのですが、脳における香りの処理領域と記憶の保存領域(だった気がする)ってかなり近い場所にあって、香りを拾うことで記憶がぐっと引き出されてくる……ということは脳の構造的にも「起こりやすい」ことが分かっているようです。この香りと記憶の連動をプルースト現象と呼ぶのですが、創作の種としても好きですし、実体験としても概ね好ましいものであったがために、今回、このような形で香りを厭うことになった経験というのは……正直なところ、きついものがありました。ま、まあ体調不良にかまけて3か月も顔を出さなかった私の自業自得なので、仕方ないといえば仕方ないのですがね! 聞いてくださりありがとうございます。
さてさて、関わらないマナーについて「相手による」という補足、ありがとうございます。「どうして踏み込んでくるの」という苛立ちと「どうして近付いてくれないの」という苛立ちは、後者の方がひどく身勝手に思われますがどちらも相手との距離感と相手が求めているものを図り違えた結果の産物であり、罪の程度としてはあまり変わらないのかも、などと思ってしまったりします。ただその罪を自覚したとき、当人に近い人と遠い人とではショックの程度が違ってきますね。「分かってあげられなかった」ことに対する後悔の大きさに差が生まれるのは当然のことです。
そうした後悔は苦しいもの、踏み込むべきか否かと悶々と悩むのもまた苦しいもの。故に多くの人が「関わらない」という無難で安全な選択をするのは理に適っています。人に近付くことは敢えて自ら苦しみに行くこと……などと言葉にするのは暴論が過ぎますが、そうした面があるのは事実です。あっ、雪村さんが【いくらされても苦じゃないです】と書いてくださった言葉を否定するつもりはないんですよ。むしろこれまで沢山会話を重ねて、自ら苦しみに行く……という線の踏み越えをとうに達成して、今こうしていろんなことを話し合える関係にある中では苦しみがただの一つも存在しないこと……はとても喜ばしく思っています。
少年漫画的な幼い思考かもしれないのですが、これまでの人間関係の結果論として、ある程度間違い合って苦しみ合って必要であれば口論も交わして傷を付け合って……という過程を経なければ相手を本当の意味で信用することが難しいように感じている人間なので、サイト閉鎖時期、雪村さんの関係としては再序盤に結婚に関する話題で軽い口論みたいなことができたのは私にとってはこの上ない幸福でした。もうあれ2年前のことになるんですね、懐かしいなあ。改めてありがとうございます。雪村さんが【祝えない】と言ってくださったから今の私があります。
いろんなことをスルーする件については、10d10mにもちょくちょく書かせていただいているように、今回のあれこれで私が実際に沢山やらかしてきたことでした。このスルーによって被った苦痛というのも多くあったことは承知しているのですが、当時の私としてはあれが対話の限界でしたね。別の生き物だと弁えることに徹しすぎた感はありますし、理解を乞うことより自衛に走ることを優先したことは否定しません。もう少しマシなやり方があったのか……については、今後の生活でトライアンドエラーを繰り返していきたいですね。これはDBHの二次創作で拝見したアンドロイドの発言ですが、愛は「仮説と検証」であるとのことです。ちょっと、見習いたい意見でしたね。
さてさて、綺麗事の綺麗ではないというお話についてもありがとうございます。これが本題と書いてくださっているのに此処までのお返事でなんでこんな文字数使ってしまったんや! 長いねごめんなさい!
雪村さんはアサイさんになりたかった。雪村さんはヒロインの姿に私を重ねてくださっていた。理想の善性を持つ姿こそが雪村さんにとっての「綺麗」であり、ただその善性が当人の首を絞めているのならばその「美しさ」や「綺麗さ」を捨ててでも幸せになってほしいと願っている……。このような理解で合っているでしょうか?
まずはそうですね、お礼の言葉を。二次元の人物に「似ている」と言われることへの良い意味での驚きは、私がアマチュアながら書く側の人間なのでそう強く思うだけかもしれないのですが、漫画やアニメの人物に重ねられるよりも小説の人物に重ねられる方が「ドキッ」とするのですよね。見た目が見ている、立ち振る舞いが似ている、口調が似ている、表情が似ている、など、外的要因で重ねがちな漫画やアニメと違って、小説で主に掘り下げられていくのは心情です。人間性です。勿論、漫画やアニメにだって人間性はありますが、小説では絵が存在しない分、外的要素からの結びつけが困難であるため人間性の「比重が高い」のは間違いないかと思います。そして名作サクラダのヒロインさんですからそう悪辣な人であるはずがございませんよね。アサイさんが綺麗だと、美しいと評する理想の善性を持っている、そんな彼女の人間性が同じように美しい言葉で掘り下げられているのだと推察します。そうした理想の善性をあろうことか私に見てくださっている、というのは、もう有り体な言い方しかできないのですが嬉しくないはずがないし、でもめちゃくちゃ恥ずかしいし、恐れ多いしで何がなんやらわっしょいわっしょい! ……とならざるを得ません。勿体なさすぎるお言葉、ありがとうございます。
……私の物語の話になってしまい申し訳ないのですが、アサイさんがヒロインに対して抱かれている感情、そして雪村さんが私に抱いてくださっていると思しき感情というのは、私風な言葉で言い換えるならばもうそのまま「やさしくありませんように」になってしまうんですよね。
今だから言えますがこれ、私が結婚前の先生に対して抱いていた感情なんです。勤務先の会社が統合され、方針が大きく変わり、ブラックとしても過言ではないような過密スケジュールに苦しんでいた時期がありました。別の塾に移れば楽になれることが分かっている、勧誘だってされている、でも今教えている生徒達が急に講師交代のあおりを受けるのはよくないことで、大事に教えてきた生徒達にそのような不自由はさせられない……と、毎日5時間ほどの残業を繰り返し神経衰弱になりかけている最中に、生徒のことを大事にしたいから、と口癖のように言っていました。先生が先生であったからこそ好きになり、そのやさしさに幾度となく救われてきたにもかかわらず、そのやさしさが先生の心身を苦しめるのならそんなもの今すぐ捨ててほしい、と思ってしまったのですよね。本編で示唆した誰の祈りにも当てはまらないものですが、実はこれこそが「私」にとっての「やさしくありませんように」でした。結局先生は学年末まで仕事をやり抜いてから転勤という選択を取ったので、私の祈りなんざ届きはしなかったのですが、それでも、いや届かなかったからこそ「やさしくありませんように」と祈りたくなる気持ちはとてもよく分かる、つもりです。
きっとサクラダのヒロインさんは、アサイさんが言うところの「理想の善性」を捨てられはしないでしょう。邪推になりますが、アサイさんの祈りは届かないままなのではないでしょうか。祈りを喜ぶことはできても、聞き届けることはきっとヒロインさんの生き方に反するでしょう。私は奇しくもこの夏、異常な量のホルモン投与により意識していた信条(雪村さんが重ねてくださったものに言い換えるなら「善性」になるのかもしれません)を完全に放棄し好き放題やらかしていましたが、まあ気分のいいものではなかった! 最低な心地でした! 自らの信条に背いて好き勝手に生きることは確かに楽しい面もありますが、それ以上にとても……とても虚しかった。
もうこれは私の経験則でしかありませんが、この「やさしくありませんように」という祈りはもしかしたら、届かないままである方がいいのかもしれません。その「やさしさ」に己の首が締まるようなことがあったとしても、その息苦しさこそが私らしく生きているという証左であるような気がしています。ここはもう「私らしく生きたい」「ただ生きていてくれればそれでいい」というエゴのぶつかり合いにさえなってしまうのですが、一応、こちらのエゴとして、ただ生きるというのは存外つまらなく寂しいものだった、ということは書かせていただけたらと思います。薬で情緒をぐちゃぐちゃにされて確かに苦しい状態で、苦しくないようにと好き放題やっていたはずなのですが……落ち着いてきた今となっては、もっとまともに苦しんでいればもう少し意義のある2か月弱になったろうに、と矛盾したことさえ考えてしまいますね。
長々と書いてしまいましたが、雪村さんが私にそうした理想の善性を見てくださったこと、それを綺麗と評してくださったこと、とても嬉しく思います。その上で「私らしく生きたい」というエゴを2か月弱ぶりに通し直すことを……許していただければと思います。
これはもう蛇足ですが、セイボリーを「魂の清い人」だとして「でもお前苦しそうだからそんな生き方やめちまえ!」(ラジオ塔脱衣事件みたいな言い方してしまった)と思わず「私もその清さに並びたい!」と二次元の相手に対して強欲にもそう思っていた、あの辺りはもう笑ってしまう程に「私らしかった」と言わざるを得ませんね。私がこれから何に作り替えられていったとしても、この馬鹿馬鹿しさは捨てずにいたいと思っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。またお話、しましょうね!