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レストランのスタッフは苦笑しながら二人を裏口から招き入れてくれた。何事もなかったかのように、先程の一室へと忍び込んだ。
ダイゴが椅子を引くと、少女は「ありがとう」とお礼を言ってから上品に微笑んでみせる。

3時間前、ダイゴと少女はここで不思議な邂逅を遂げたのだ。3時間、たった3時間だ。
この時間は二人にとって、飽きる程に繰り返されたお見合いの内の一つに過ぎない筈だった。
けれど、そうはならなかった。ダイゴも少女もこの時間を日常の一つとして埋没させることをしなかった。この日常は、日常のままに終わらなかったのだ。
その時間は特別なものとなり、その中で交わされた不思議な約束は二人の日常に確固たる輝きをもって編み込まれ始めていたのだ。

「ところでトキちゃん、君は仮病を使ってよくパーティやお見合いを欠席しているそうだね」

「そうよ、知っているのは私のかかりつけのお医者様だけ。おかげで私は皆から虚弱体質に思われているの」

実際はこんなに健康なのにねと、少女は自分と同じ屋根の下で暮らす全ての人を欺いているにもかかわらず、とても純粋な笑顔でそう紡いだのだ。
その不思議な引力に内包されたアンバランスにダイゴは気付いていた。
嘘吐きなのだと言いながらどこまでも正直な目。愛など要らないと言いながらもダイゴとの時間を名残惜しいと笑ってくれるその言葉。
彼女を構成する全てがぐらぐらと揺れていた。完璧な淑女の裏には、年相応の、いやもしかすると年よりもずっと幼く危うい彼女の中核が隠れていたのだ。
しかし、そのアンバランスすらも、ダイゴに愛しいと微笑ませるに十分な質量を持っていたのだ。それは共鳴という形でダイゴの心を揺らした。

自分も、この少女のようにどこまでも嘘吐きで、それでいて正直であることができたなら。
ダイゴはそう思い始めていた。二人の境遇はあまりにも似ていて、しかしその境遇への対処法においては真逆の様相を呈していたのだ。
奔放な親の元で育ち、ある程度の自由を確保されていたダイゴと異なり、少女はまさに箱庭の中でしか息をすることが許されなかったのだろう。
だからこそ、少女は自由を貪欲なまでに欲していた。それこそ、息をするように嘘を吐ける程に。自由のためなら愛など要らないと簡単に切り捨ててしまえる程に。
そしてそのための残酷な選択をしようとしていた少女を、ダイゴはどうしても止めなければならなかったのだ。

トキちゃん、ホウエン地方を旅してみないか?」

彼女は目を見開き、首を傾げた。
突然すぎるダイゴの言葉が理解できないといった様子で、そのやわらかな微笑みに懐疑の色が差している。
それも仕方のないことだ。これまでダイゴはそんな前振りを一言も口に出していなかったのだから。

「君の連れているプラスルと一緒に、ポケモントレーナーとして冒険に出るんだ」

すると少女は声をあげて笑い出した。
そこにはダイゴの発言を心から面白がっている素振りと、そんなダイゴの発言を責める色とが込められていた。

「ダイゴさんも素敵な冗談を言うのね。私に旅なんて、できないわ」

「どうして?」

「皆が反対するわ。そんな危険で、自由なこと。お嬢様は箱入りに育てられてこそ価値があるの。無知で純粋な飾り物に、そんなものは要らないでしょう?」

「そうじゃないんだ、トキちゃん。君がどうしたいかを聞きたいんだよ」

その言葉に、少女の美しい笑顔が少しだけ強張った。
16歳の、それも大事に育ててきた一人娘を、見知らぬ土地に旅立たせるなんて、きっとどんな親だって心配する。それが彼女のような令嬢なら尚更だ。
けれどそうではない。ダイゴはそんな答えが聞きたいのではなかった。彼は少女の意志を問うているのだ。
旅に出たいか、出たくないか。その二択を突き付けられた少女は、しかし迷うことなく口を開く。

「勿論、できるならそうしたい。暖かい日差しが降り注ぐこの地を駆け回りたい。ポケモンの背中に乗って海を渡ったり、翼を持ったポケモンと一緒に空を飛んだりしたい。
でも、できないの。私は自由が欲しいけれど、それは手に入らないものだからこそ愛おしい、そう思うことにしているの。希望を持っても辛いだけだから」

「それじゃあ、君が自由を手に入れたら、もうそれを愛しいとは思わなくなるのかい?」

その言葉に、少女はもう躊躇わなかった。首を大きく振って、とても悲しそうに微笑んでみせたのだ。
決まりだ、とダイゴは思った。少女の言葉よりも饒舌なその笑顔が全てを物語っていたのだ。
少女はダイゴの提案に縋りたい。けれど彼女の立場がそれを許さない。
その事実が判れば十分だった。後はダイゴがどうとでもできる。婚約者であるダイゴなら、彼女の望みを叶えることができる。

「いいえ、……きっと誰よりも大切にするわ」

だってずっと欲しかったんだもの。そう付け足した少女に、ダイゴはつい先程思い付いたばかりの案を提示してみることにした。
どうしてこんなことを思い付いたのか、自分でもよく解らなかった。それは衝動的と言ってもいいくらいの激しさをもってして、ダイゴの心を貫いていた。

二人の間に交わされた「婚約者」という約束は、元はと言えばダイゴの自己本位的なものだった。
この少女に、愛を切り捨ててほしくなかった。何も知らぬまま、自分の想いを拒んでほしくなかった。そんなダイゴのエゴにより交わされた約束だった。
だからこそ、ダイゴはそれ以上のエゴをもってして、少女の望むことをできるだけ叶えてあげたかった。それがこの約束に少女を引き込んだ自分の責任でもあると思っていたのだ。

「名目は君の療養だ。静かで空気の美味しいこの土地で、ゆっくり身体を休める期間を取ってはどうかとボクから話しておく。
婚約者であるボクの発言を、きっと君のご両親は無下にしない筈だ」

「……そんな、簡単に上手くいくかしら?」

「君はこれまで、何十というお見合いを断ってきたんだろう?だから、きっとボクの意見を飲んでくれるよ。
こんなことを言うのはよくないけれど、君のご両親も折角決まった縁談をなかったことにはしたくないだろうからね」

その言葉に少女はとても楽しそうにクスクスと笑った。
どうしたんだい、とダイゴが尋ねれば、少女はその笑顔を少しだけ眩しくしてこんなことを言ったのだ。

「だって、ダイゴさんがとても大きな嘘を吐いてまで、私に自由をくれようとしてくれているんだもの。貴方は嘘を吐くのが苦手な筈なのに、おかしいわ」

「どうして、ボクが嘘を吐くのが苦手だと解るんだい?」

その言葉に、少女は何故か首を傾げて考え込んだ。何かよくないことを尋ねてしまっただろうか。
確かに、自分は嘘を吐くことが苦手だ。ポーカーフェイスを保つことが苦手だ。
それは自分でも自覚のあったことなのだが、それを出会ったばかりの少女に見抜かれていたことにダイゴは少なからず驚きの様相を呈する。
しかしその直後、再び少女は笑い出した。ころころと変わるその表情には相変わらずの引力があった。

「私はきっと、思っていた以上に貴方のことを見ていたのね、ダイゴさん」

ダイゴは息を飲んだ。飲んでから、どうかしていると思った。
自分より9歳年下の少女のたった一言に、ダイゴの心臓は驚く程に跳ねあがっていたからだ。
この少女が自分に関心を向けてくれていたというその事実は、どうしようもなく彼の精神を高揚させていた。
しかし今の今までその経験が皆無であったダイゴが、その感情の正体に辿り着ける筈もなかった。

「それじゃあ、貴方が私を自由にしてくれるのね」

「ああ、君がそれを望んでくれるなら」

その言葉に少女はその手を胸元に合わせてふわりと笑った。

「ありがとう。……嬉しい」

嘘吐きな彼女の本音はどこまでも真っ直ぐな響きを持っていて、それがどうしようもなく愛おしくてダイゴは微笑む。
『だって、ダイゴさんがとても大きな嘘を吐いてまで、私に自由をくれようとしてくれているんだもの。貴方は嘘を吐くのが苦手な筈なのに、おかしいわ。』
彼女は自分の行動をおかしいと言ったが、ダイゴにはそれが当たり前のことだと思っていたのだ。
誰かを大切に思うのなら、自分がその人の力になりたいと心から願っているのなら、そんな行動は当然のことであるように思われていたからだ。

約束の時間が過ぎ、少女の執事が扉をノックした。二人は顔を見合わせて弾けるように笑ってから、すまし顔に戻って執事を迎え入れる。


2015.3.9

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