女性は、驚く程にゆっくり食べる。彼女達の動作はスローモーションのように緩慢としていた。
沈黙している間にフォークを動かせばいいのに、その沈黙すらも食事だといわんばかりの姿勢で、なかなか皿の上の料理に手を付けない。
加えて彼女達は、少食だ。コース料理を少しずつ残すことを美徳としているのかは解らないが、その皿の中が空になったことの方が少ない。
ダイゴはそんな女性の姿を見ながら、成る程、彼女達の細い四肢はこうして保たれているのだ、と感心したものだった。
一般的なイタリアン、ないしフレンチのコース料理を味わって食べていると、軽く90分は超える。
親父はその食事の時間に、二人が会話をする分の時間を足して、3時間をお見合いに設定することが多かった。
しかし、ゆっくり食べる女性に合わせていると、長い時にはデザートに行き着く前に2時間を超えてしまうことがある。
とても贅沢に使われる時間に、ダイゴは少しだけ辟易していた。
「さあ、行きましょう。後、2時間しか残っていないんですから」
だから、そう言って楽しそうに笑った少女が、とても新鮮に映ったのだ。
フルコースを1時間で完食してみせた少女は、ダイゴを急かすようにその手を引いた。
その細い身体に似合わず、素早く料理を食べていくその姿はダイゴに衝撃を与えていた。
成る程、世界にはこんなお嬢様もいるのか。それがおかしくて、つい笑ってしまう。
出会った瞬間の、あまりにも美しい雰囲気を湛えていた少女は、しかしそんな美しさを呆気ない程に軽く放り投げてしまったのだ。
「此処を抜け出して、何処へ行くつもりだい?」
「何処へでも。2時間、閉じこもっているよりはずっと、有意義な時間を過ごせる筈です。此処じゃない何処かなら」
詩を朗読するように少女はそう言った。
彼女はお見合いという堅苦しい空気に馴染まない、とてもお転婆な少女だったのだ。
あの優雅な仕草と、美しい笑顔と、やわらかな声音は、彼女が「お見合い」という場に用意していた装甲だったのだ。
けれどもその美しい仕草は、装甲の有無にかかわらずその身体に染みついているようで、彼女は足音を立てることなく、鳥のように蝶のようにドアへと駆け出した。
「装甲」を纏わずとも、彼女は十分に美しかったのだ。
彼女が一歩、駆ける度に、ピンク色のワンピースがふわふわと揺れる。
それが彼女の浮足立つような心境を表しているようで、ダイゴはまたしても笑ってしまった。
『お見合いなんて、つまらないわ。』
そう零した少女に、一途な思いを自分に向けない少女に、あと2時間、付き合うのも悪くないかと思ったのだ。
ダイゴは頷き、立ち上がった。
「そうだね、それじゃあ行こうか。えっと……」
彼女の名前を呼ぼうとして、ダイゴは言葉に詰まった。何と呼べばいいのだろう。
お見合いの相手なら、丁寧に「トキさん」と呼ぶのが正しい。けれど今からの二人はそうした関係を隔てない。
けれどもいきなり馴れ馴れしく呼ぶのもどうかと思った。
しかし彼女はダイゴのそうした思案に気付いたらしく、肩を竦めて楽しそうに微笑む。
「貴方のお好きなように」
その美しい何もかもにダイゴは息を飲んだが、それを誤魔化すように笑ってみせる。
「分かったよ、トキちゃん」
彼女の笑顔には、引力がある。
ダイゴは会計を終え、店の外で手招きをしている少女の元へと駆け寄った。
彼女は壁に張り付くようにして、ポケモンセンターの方をそっと指差す。そこには少女を此処へ連れて来た執事が立っていた。
「彼に見つかると厄介なことになります」
「……成る程」
「でも、困りましたね。あの通りを抜けなければ町からは出られそうにありません」
ダイゴは腕を組み、口元に手を当てた。何かを考える時の彼の癖だった。
しかし彼が案を思い付くより先に、少女はぱっと顔に花を咲かせるようにして笑った。
「ダイゴさん、鳥ポケモンを連れていますか?」
「ああ、連れているけれど……。まさか、君、そのドレスでポケモンに乗るつもりかい?」
とんでもないことを言いだした少女に彼は面食らう。
お見合いのために用意されたのであろう、その上質なドレスは、とてもではないが頑丈に造られているようには見えなかった。
ダイゴが連れているポケモンの、鋭利な翼でドレスの裾が破けたり、海の潮風で湿気を帯びたりしてしまうかもしれない。
そのことを、彼女は解っているのだろうか。
「大丈夫です。汚れたって破けたって構いません。このドレス、動きにくくて嫌いだったんです」
「執事の彼にはどう言い訳をするんだい?」
「どうとでも言えますよ。転んでしまった、とか、スープをひっくり返してしまった、とか。……あ、ドアに裾を挟んで破けてしまった、の方がそれっぽいかしら?」
嬉々としてそうした言い訳を並べる少女にダイゴは唖然とした。
つい一時間前には確認できた、繊細でか弱そうな彼女の姿は何処にもなかった。
その笑顔は悪戯を思い付いた子供のように生き生きとしていて、ダイゴを見上げて微笑むその目はとても複雑な色を含んでいたのだ。
「私、嘘吐きなんです」
ダイゴははっと息を飲む。嫌な、予感がした。
「君は、こんな生活を「欲しいものを何でも与えられて、不自由のない」ものだと言ったけれど、あれは嘘だったのかい?」
「あら、お察しが早いですね。勿論、不自由に決まっています。
動きにくいドレスは肩がこるし、お食事の時間は長すぎるし、お稽古やパーティ、お見合いばかりで、好きなことがちっともできないんだもの」
途端に饒舌にまくし立てた彼女に、ダイゴはようやく納得する。これが本来の彼女なのだ、と。
その動作の端々に優雅な雰囲気を纏わせながら、しかしそれは彼女の装甲でしかなかったのだ。
本当の彼女は、今のように饒舌で、窮屈なことが嫌いで、嘘吐きで、それでいて不思議な笑顔を湛える、年相応の女の子だったのだ。
この少女も自分と変わらないのだと安心したが、それ以上に、その窮屈な世界を生き抜くために、彼女がとても立派な装甲を持っていることにダイゴは感心した。
「「お見合いなんて、つまらない」と言ったのは?」
「それは、本当ですよ」
「16歳だというのは?」
「それも、嘘じゃありません。ダイゴさん、嘘吐きは嘘ばかり吐いている訳じゃないんですよ」
そして、そんな風に年相応の楽しげな笑みを浮かべながらも、彼女は変わらずに美しいのだ。
「それにね、ダイゴさん。そんな質問に意味なんてないんです。嘘吐きな私が、正直に答えている保証なんて何処にもないんですから」
自分を煙に巻くようにして少女は笑う。
これは厄介な相手を出会ってしまったな、とダイゴが思っていると、彼女はその心を読んだかのように肩を竦める。
「嘘吐きは嫌いですか?」
ダイゴは少し考えて、首を振る。
「!」
「よかった」
そう紡いだ少女は、ダイゴをその目に映して本当に嬉しそうに微笑むのだ。嘘をすっかり忘れてしまっているような、表情だったのだ。
2014.12.16