私の悪質な臆病が故にそうした息苦しさを肝心な相手へと開示できず、私の中で不安とか恐怖とか憤りとかそういうものばかりが溜まっていきました。この場をお借りして愚痴やら悪態やらを吐き出す様が「不適切」であることを知っていながら、サイトに甘える形で書かせていただいておりました。5月頃からサイトに通ってくださっている方であれば、一度くらいはその悪態が目に入ってしまい「なんだこいつ」とお思いになってしまわれた経験があるかもしれませんね。その節は大変、失礼いたしました。
この件に関して6月27日にも大きな進展があり、望んでいない方向へと動き出すことがとうとう決定事項となってしまいました。やっぱりこうなった、こちらの負担を慮ってなどくださらないのだ、あんまりだ、と思いながら、それでもこちらが強く訴えるだけの勇気を持てなかったがために、流されてしまいました。自業自得ではありますがその件に関する愚痴も、少しですが当時、吐き出してしまっていますね。
今回の葛藤や後悔において、サイトでのお付き合いが数年に渡る方々から、沢山、お気遣い、お心遣いを頂戴しました。お言葉に甘える形で話を聞いていただいたことも一度や二度ではありませんでした。話せる場所があるということ、私の葛藤や後悔を知ってくださる方がいらっしゃるということは本当に有難いことでした。前段階の5月下旬、一番辛かった時期から、動き出すことが仄めかされ始めた6月上旬頃、この1か月を乗り切ることができたのはこのサイトがあったからです。このサイトで結べたご縁があったからです。本当に感謝しています。皆さんに生かしていただきました。ありがとうございました。
ただ、このような形でお知り合いの方に甘えるというのは前サイトでもやらかしていたことであり、この傾向が長く続くのは絶対に良くない、立ち直らなければ、一刻も早く……でもこれから私生活では益々ひどい状況になっていきそうなのに大丈夫なのか……。などと焦っていたところに飛び込んできたのが、SWSHの追加シナリオでした。
この24で繰り返し、私はセイボリーという人物に「魂の清さ」を見ているという発言をしてきましたが、その純粋性が此処まで深く私の心臓に突き刺さったのは、おそらくこの5月下旬~6月上旬の出来事があったが故のことだろうと考えています。もっと平穏な折に彼と出会っていたなら、面白い奴だな、くらいの印象で終わっていたかもしれません。けれども、そうはなりませんでした。Switch版のポケモン以降からより豊かに描かれるようになった表情、様々なタイミングで饒舌に発される台詞、そしてリーグカードで余すところなく開示されていく過去。そうしたものがセイボリーという人物をよりリアルに見せてくれました。まるで子供のように我を忘れ、私は彼に夢中になりました。「私のできなかったことを全てやってのけている彼」に、夢中になりました。
あれだけの重圧を背負っておきながら、その影を表に晒し同情を誘うような真似はしなかった彼。上手くいかず失敗続きの現実を生きながらも、愉快極まりないセイボリッシュワードを巧みに織り込みこちらを笑わせに来てくれる彼。自身の実力や価値を認めてもらいたいという思いを強く持ち、そのために自らが優位に立てるよう不正な細工を施したりしながらも、それらの必死さを、主人公を貶める方向には決して働かせなかった彼。
その矜持も、愉快な処世術も、熱意も、誠実さも、私を夢中にさせるに余りあるものでした。私がこの数か月間で一気に削ぎ落としてしまったと思しきものばかりを綺麗に揃えている彼のことが、羨ましくさえ思われました。
私もこう在りたい。この背負いたくもないのに背負ってしまった重圧を恨むのではなく、彼のように真っ直ぐに諦めることなく戦い続けたい。気遣ってくださる大切な方々に何もかも吐き出して甘えるのではなく、むしろその方々に何らかの形で楽しんでいただけるような、そうした場を、物語を、作れる人で在り続けたい。これから取り組むこと、取り組まなければならなくなったことについて今後何が起きようとも、私の大切な人を貶めるような思考を持たずにいたい。夢、……これは正確には私の夢ではないけれども、それが叶わなかったとしても、心を折らずにいたい。
彼のように生きてみたいと思いました。もしそう在ることができたなら、何かが変わるかもしれないと思いました。
そんな、今時、小学生でも思わないかもしれないような夢見心地なことを私は本気で考えてしまっていました。彼という綺麗な魂を半ば信仰するような形で崇敬してしまっていました。……6月はほぼ、彼と向き合い彼を考察し、物語の中に生きていただくことにより正気を食い繋いでいた……と言っても過言ではなかったかもしれません。
……昨今のジャパンには素晴らしいエンターテイメントが溢れています。きっとその中にはセイボリー以上に清い魂を持ち、強い振る舞いを見せ、正しく在ろうと努める誠実な方も大勢いるのでしょう。私はFGOもツイステも、その他スマホソシャゲと呼ばれるものはポケマス以外ほとんど手を付けていませんが、きっとこれらのゲームが愛されているのは、キャラクターの造形の美しさだけではなくその内面の奥深さがあるからこそなのだろうということは容易に察しが付きます。もっと素晴らしい人は大勢いる。分かっています。心得ています。
けれども私がこのタイミングで出会ったのは、彼でした。奇天烈な恰好をし、シルクハットの周りにボールを仲良く住まわせ、顔芸に富み、独特のセイボリッシュワードを放ちながらも、その中にあの魂を宿した彼でした。このタイミングで彼に会えたというご縁を私は信じたい。こんな彼をヨロイ島に送り出してくれたポケモンというエンターテイメントを私はこれからも愛していたい。ですので私は当分の間、彼に対する信仰めいた情熱を手放すことはないでしょう。彼のようになってみたいという思いも、当分は私の中で燃え続けていることと思います。
6月27日にあったささやかな「事件」を経た上での、ちょっとした叫びについても、主にサイト外でお気遣いのお言葉を沢山頂戴しました。お話を聞きますよ、と言ってくださった方もいらっしゃいました。本当に有難く、嬉しいことで、そのお言葉に甘えてしまえばきっと私はたちまち救われるだろうという確信さえあったのですが……現在、それらの「お話を聞きますよ」というお誘いについては全てお断りさせていただいている状況です。別件で通話の機会を頂戴した折には口が滑ってぽろっとやってしまうかもしれませんが、当分はそうしたネガティブなものを、特定のどなたかに押し付けてしまうことがないよう、特に注意して過ごしていこうという心持ちでいます。
理由としては前述の通りです。前サイトでもやらかした、訪問者様に対する悪質な「甘え」を再発させたくなかったこと。この問題が「家族」のことである以上、絶対的な解決策というのは存在せず議論が袋小路になり、話を聞いてくださった相手を暗い気持ちにさせてしまうのは必至であること。彼のようになってみたいと思ったこと。そして何より、彼との縁よりもずっと大事な、このサイトを通じて知り合った、友人とさえお呼びしたい方々とのご縁を、より適切な形で大事にしたいと思ったこと。
上手くいくかどうか分かりませんし、また今後、そんな綺麗なことを言っていられないくらいのトラブルが起きて、何もかも破綻してしまう可能性だって否定できませんが、今のところはそうした心持ちです。見守っていただけると、嬉しく思います。
1日1セイボリーと称して彼を大量に書き続けることで精神を同調させ、正気を保っている……とかいう狂った傾向についてですが、今も勿論、続いています。一足飛びに彼のようにはなれませんから、彼の愉快な面をお借りする形で、今は精いっぱい楽しく振る舞っているという有様です。彼についての度重なる妄想、そして叫び……これらが傍目にはどのように見えているのかは分かりませんが、「うわっ重苦しい、読んでてしんどい」と眉をひそめるタイプのものではなく、「こいつやっぱ頭おかしいな!」と少しでも笑っていただけるようなものになっていることを願うばかりです。
そして欲を言えば、セイボリーを好きになられた方、あるいはセイボリーでなくともポケモンの世界やそこに生きる人物を好きになっておられる方々と、この場所を通じて、明るく楽しく、時に真剣に、いろんなお話ができればいいなと思っています。そうしたサイトにしていきたいと考えています。
以上、セイボリーの威を借りる形での決意表明として書かせていただきました。最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。