その上で、思うところをちょっとばかし書かせてくださいね。
当然のようにネタバレしていますのでご注意を。誤って踏むことのないように、畳んでいます。
セイボリーも元の性根から腐りきっているなどという訳では勿論ありませんでした。ジムリーダーになるという大きな夢をぶれずにしっかりと抱えており、主人公の実力への嫉妬が少なからず見苦しいものであるという自覚もあり、勝利のために働いた不正に対しても反省の態度を見せ、それが許されたとなると涙を見せてまで謝罪と感謝の言葉を告げることができる素直さをも持っていました。彼もガラルの方々の例に漏れず、ポケモントレーナーであることの誠実性を守り抜いた人間に違いありませんでした。
いい話だった、とても楽しめた、セイボリーとユウリが話している物語を書いてみたい、きっと書けば私自身もめちゃめちゃ楽しい気分になれるはずだ……。
そうした思いにニヤニヤしながら、今朝、今度はゲームソフトをソードに差し替えて遊びました。
ソードにおいてライバルポジションとなっていたクララは、やはり笑顔で主人公を歓迎してくれているようではありましたが、その実やはり主人公への敵意と排斥の意思に満ち満ちていました。可愛らしい言動から一転、「目にもの 見せたらァ……」と悪い顔で唸りながら駅を出ていくあのシーンは最高でしたね。セイボリーが、表向きは完璧でありながらその実すっとこどっこいなポンコツキャラであったのに対し、クララは表向きはうっかりさんな可愛さを持っているように見せていますが、その実抜け目がなく、野望達成に向けての貪欲な姿勢を崩さない、まあ言えば「ゴツい強さ」を持つお人でした。
同じように主人公を道場入りから遠ざけようとしたり、同じように主人公を敵視したり、同じ場所でバトルを仕掛けたりなどしながら、最終試練前には道場の師匠であるマスタードさんから、やはり同じようにクララのこれまでの状況をふんわりと窺い知り……。
最終試練でのバトルにおいても、セイボリーと同じように不正を働き、同じように自らの行いを顧みて、同じように涙しました。クララもセイボリーと同じように、夢を持ち、反省できる心の強さがあり、謝罪と感謝を示せるだけの素直さも持っていました。この二人は同じように、そう、全く同じように誠実でした。
ソードDLCの序盤、クララがとても素敵な人物であることを知った私は「なんでや! なんでセイボリーとクララは同じ世界線におらんのや!」と、彼等が同一世界にて交流できないことをとても残念に思いました。しかしここまで「同じ」であれば流石に察しはつきます。この二人が同じところにいるはずがなかったんです。いてはいけないとさえ、これを書いている今では思ってしまいます。
ヨロイ島の修行というDLC、それをより楽しいものにするために必要だったライバルの役割。ライバルですから当然、プレイヤーの競争心を煽る存在であるべきでしょう。でもヘイトを集め過ぎない程度にはユーモアが、「こいつ何やってんだ」と笑える要素があった方がいいかもしれません。美しく、愛嬌のあるビジュアルであれば尚のこといいかもしれません。男性プレイヤーにも女性プレイヤーにも喜んでもらえる要素とするために、性別は女性と男性で一人ずつとするのが理想でしょう……。
それらの条件をベースに形作られたのがこの二人です。性別、ビジュアル、私達の好みに叶う「属性」……これらを対極の位置へ綺麗に置き、なるべく多くの方に満足していただけるよう生まれた二人、それがクララとセイボリーであると私は考えます。
口調も専門タイプも違い過ぎる二人、でも魂は同一でした。台詞の中身も物語の展開も綺麗にお揃いの形を取っていました。DLCという製品の中に必要だった役割を果たすために生まれた二人、彼と彼女は私達を楽しませてくれるような「属性」をてんこもりにしてやってきてくれました。だからとても楽しかった。クララのこともセイボリーのことも大好きになれました。
ただ、あまりにも二人との会話内容が同一で在りすぎたこと、口調もビジュアルも違う存在でありながらストーリー中の挙動、および笑顔と涙のタイミングが完全に一致していたこと、などが、私に「彼等を個別の存在として見ること」を少し難しくしました。
「あなた方は私達の好みを満たすために、その姿、その口調、その態度で来てくれた」「私達が望んでいるであろう姿に、あなた方はなってくれた」
これは、世に沢山出回っているソーシャルゲーム、その中に集いがちな美男子達や美少女達に感じるものにとてもよく似ていて、かつ、今までのポケモンには決して感じたことのないものでした。ひどく、混乱させられてしまいました。
3DSからSwitchにソフト媒体が変わり、画質が格段に良くなった影響でしょうか。SWSHはトレーナーの、すなわち「人物」のビジュアルや挙動の描写がとても詳細に示されるようになっています。それ故か、特定のトレーナー、具体的にはキバナさんにものすごい人気が集まるという現象も起きていましたね。勿論、他のNPC、ダンデさんやネズさん、ビートにマリィにホップ、その他のジムリーダー達も大人気でした。今作の「トレーナー人気」はこれまでにない勢いであったように思います。それだけ、開発者側も力を入れておられたところなのだろうと思います。おかげで、ストーリー上での皆の表情がより詳細に窺い知れて、より人間性を感じる存在として彼等を見ることができました。これ自体はとても良い変化であったと感じています。
だからこそ、大好きなポケモンの世界で、より鮮やかに人物が描写されるようになったこのSWSHの世界で、大好きになったこの二人に、よりにもよって「空虚感」を見てしまったことに、私はこの上ない罪悪感と後悔を覚えました。
違う。空虚であるはずがない。セイボリーもクララも素敵な人だ。これから益々立派になっていつか夢を叶えるのだろう。そうした別々の未来を夢見ていたい。ホップの将来を想像するように、ビートの今後を予想するように、ネズさんの愛読書を妄想するように、人間らしい彼等が人間らしく生きていく有様を頭の中で膨らませていきたい。
そうやって立派になっていつか夢を叶えるその人は、私が大好きになった素敵な人は、クララとセイボリーで間違いありません。でも世間の「好み」の風潮が少しでもずれていれば、その人はクララとセイボリーではなかったかもしれません。
勿論、他のトレーナー達、キバナさんやダンデさんだって、昨今の人気を踏まえて設定されているはずです。そうした作り方自体は至極当然のことです。商品なのですから、そのように作られて然るべきです。ただ、そうした作り方が「ここまで明瞭に透けて見えた」のが初めてのことだったから、きっと少し、驚いているだけのことなのだと思います。クララとセイボリーの魂をどのように解釈すればいいか分からなくなって、もしかしたらそこに魂などないのではないかと疑いそうになってしまって、……そうした自分に、愕然としているだけなのだと思います。
ポケモンが、バージョンごとに登場する「人物」を変えてきたのは何も今回が初めてのことではありません。サイトウさんとマクワさんをソードに、オニオンくんとメロンさんをシールドに置いたのだって同じことです。立場を変えて登場する、というところまで括りに入れるなら、マグマ団とアクア団だってそうですし、ウルトラサンムーンのウルトラ調査隊のダルスとアマモ、ミリンとシオニラだって含まれます。
似たような人物の置き方は以前にも沢山あった。にもかかわらず何故、クララとセイボリーにのみこのような、尋常じゃない悲しさと罪悪感を覚えたのか。……残念ながら、今の私にはこれを上手く説明することができません。登場シーンが多かったから? あまりにも同一の台詞ばかりだったから? ビジュアルが濃すぎたから? どれも確固たる理由にはなり得ないような気がしますし、でも「違う」とも言い切れません。よく、分かりません。
ただ、こういった私の個人的な事情を踏まえても尚、やはりDLC、とても楽しいものでした。複雑な気持ちではありますが、クララとセイボリーのことはやはり大好きです。この二人がどのような理由でこの二人として出てきてくれたのだとしても、私は二人に「ありがとう」と言いたい。あなた方がその姿で、その口調で、主人公達に突っかかってきてくれて本当によかったと思っています。
……以上、ポケモンというゲームの中に住み過ぎて、そこに私達と同じだけの温度と質量のある「魂」を見たがっている、そんな酔狂なファンのつまらないたわごととして書かせていただきました。
おそらく近いうちにセイボリーの中編を書くことになるとは思うのですが、書き終える最後の時まで、いや完結できてからも、彼に対する、そしてクララに対する感謝の気持ちは忘れずにいたいと思っています。あなた方があなた方であったことを喜べるような、そうした物語が書けたらいいなと考えています。