下の、鉛と赤百合の話の続きになるんだけれどもね。つい先日、XYとSMとSWSH(あと追加でBW2とBW)のストーリーについて比較考察する機会を頂戴したのでその流れで書いてしまおうと思うのだけれどもね。
SMの主人公は、私の中ではもう「ああなるしかなかった」と思っていました。私自身、発売前からリーリエにいい印象を抱けないままクリアまで行ってしまったし、プレイ中も最後まで「これは主人公のための物語ではない」と思い続けてきました。これが歪んだ認知であることは頂いたご指摘により重々承知しているところではあるのですが、そう「感じてしまった」ものはもう取り戻しようがない。だから私の感情に正直な気持ちで、マーキュリーロードは書かせていただきました。
それに引き換えSWSHの世界のなんて明るく快活でおめでたいこと! ホップもビートもマリィもみんないい子、まさか悪ボスと明言できる人物さえ存在しなくなるなんて思いもしなかった! 【敵が秩序の側にいる】なんて、そんなストーリーがあってええんやろか! ありました! まあ、それ故の消化不良完は否めませんでしたが、それでもあれは確実に「主人公のための物語」でした。ただ始まりが「ホップのおまけ」と取れなくもないけれど、それでも公式設定としてホップとユウリはお隣さんであり、ユウリは「引っ越し族」ではなく元からガラルに住んでいた子ですから事前にホップとはそれなりの絆を結んでいるはずです。その絆を前提とするならば、彼のおまけであることを屈辱的に思えるだけの要素はきっとなかったでしょう。屈辱を抱くことが馬鹿らしくなってしまうくらいに、ガラルには「悪」が皆無であり、だからこそ、Crazy Cold Caseで登場したユウリの「従順」という妙な異常性も、ガラルの誰にも悪用されることなく、綺麗なままでした。その従順性を崩すことなく走り続けて、チャンピオンにまでなれてしまっていました。ガラルはそうしたことが可能な土地なんですよね。それはそれでやはり異質というか、他の土地にはない魅力であり、狂気であると感じます。
……さて。
ポケットモンスターというゲームが、ポケモンと共に頂点を目指すRPGである以上、やはりその「運命のレール」に乗せなければいけません。ただその「レールの乗せ方」がSMは悉く歪だったように思います。SWSHはその歪性を頑張って避けようとしてくださったのだなあと感じましたが、ギリギリまで大人たちに問題を任せっきりになってしまい、やや蚊帳の外感が否めなかったのは事実です。
でもXYはこのレールの乗せ方がとても上手い。残酷なまでに上手い。そもそも「博士からポケモンを貰う」時点でカロスには厳選がかかっているんです。選ばれた子供しかポケモンを貰って旅に出ることが許されない世界なんです。カロスこわい。そんな場所で更に主人公を特別たらしめたのが「メガシンカ」を使いこなすためのメガリング、こいつの取得です。5人いた候補性、子供たちが、あのシャラシティにてたった一人に絞られるんです。しかも、こちら側からの打診ではなく、お隣さんからの「勝負しよう」の誘いによって。主人公はお隣さんに請われるまま戦い、勝利してしまう。メガリングを装着できた、たった一人。ポケモンと絆を通わせることのできる存在であることが、そのリングを見れば誰の目にも明らかとなるような、そうした特別な、たった一人。うーん、上手い。上手すぎる。書いている今もあまりの美しさにニヤニヤしてしまいます(変態だ)
こんな特別な子、悪の組織側だって欲しいに決まっています。しかもフレア団は選民思想の過激派だった訳だから、当然この「たった一人」を選ばれし者だとして、切符でも何でも与えてしまいたいに決まっています。こんな逸材を野放しにしておくようなフレア団ではないでしょう。私も知ってた!
……ただ私は、原作でのフラダリさんの「君は切符が欲しいのか」という発言が、そうした「優秀かつ特別な者への誘い」であったとしても、物語の中では別のものとして見たかった。フラダリさんにはシェリーを「優秀かつ特別だから」求めるのではなくて、「シェリーであるから」求めてほしかった。だからこそ、神の花では「君がどうしてもこの旅に耐えられなくなったなら、そのホロキャスターでわたしを呼びなさい」とか言って、序盤にフラグを立てていただいていたのですけれども……。
ちょっと話を「レール」に戻しますが、このレールが最も強固だったのがBWですね。「いいえ」の選択肢が与えられないあの惨たらしさは今思い返しても笑えてくる程です。【転んだ先がレール】という秀逸な表現を頂きましたがまさにそう。レールを踏み外した先にも構えてあるんですよレールが。この、逃れられない運命性の果てにNがいた、Nだけがいた。だからこそ、Nを外してBWの主人公を考えることが私にはどうしてもできませんでした。BWにはギーマさんとかアーティさんとか素敵な方も複数名いたので、もっと色々と書いても良かったかなあと思うのですが、もう書けないですね。もう、N以外を考えることができそうにありません。これもまた「レール」の強固性を表しているようで面白くもあります。
BW2において、レールとなったのは「BW」です。誰もがBW2の主人公にトウコの面影を見ている。誰もがトウコのように、プラズマ団と戦ってほしいと望んでいる。そんな中でたった一人、アクロマさんだけが「なるほど、それもありでしょう! 貴方と貴方のポケモンは好きな道を行けばいいのです!」って、レールから外れることを肯定してくれるんです、22番道路で。これが喜ばしくなくて何だというのか。「いいえ」という答えが「受け入れられた」という経験を、私はBW2発売から8年が経とうとしている今でも忘れることができずにいます。でもそのままレールに乗ってプラズマ団と戦うことを選んだ場合、待っているのもまたこの人なんですよね。なんなんだよ! BW2って本当になんなんだよ! 好きです!(?)
ちゃうんや、アクロマさんの話をしたかったんとちゃうんや。XYの! なまりとあかゆりの話をしたいんですよ、軌道修正。
此処からは完全に、原作ではなく「神の花」の話になってしまうのですが、フラダリさんとシェリーの邂逅はメイスイタウンの街角です。勿論この段階ではただハンカチを渡しただけ、親切心に過ぎません。でも研究所で再び彼はシェリーに再会します。随分と生き辛そうな女の子。何故ポケモントレーナーになったのかと訝しんでしまう程の臆病を背負った女の子。でもこういう子にこそカロスの美しい世界は開かれるべき、だが実際は……? フラダリさんは興味を持ったのだと思います。シェリー自身にではない。シェリーが「このカロスで旅をすることができるのか」ということに、興味を持った。だから彼女の手を取り、カルムから隠すように庇って、食事に誘った。
「君がどうしてもこの旅に耐えられなくなったなら、そのホロキャスターでわたしを呼びなさい」
このホロキャスターこそがフラダリさんにとっての「ボタン」だった。彼は最終兵器を起動させるか否かの決断、今のカロスを見限るか否かの判断を「シェリーの旅の成功」に懸けた訳だ。シェリーは知らぬ間にとんでもないボタンを、起動スイッチを、持たせられていた訳だ。……まあ、彼女がそれを押すことは最後までなかったのだけれども。
フラダリさんは、シェリーに「ボタンを押す」ことを期待していた。ホロキャスターのボタンもそう。フラダリラボの地下におけるあの赤青スイッチのボタンもそう。でもどちらもシェリーはフラダリさんの期待を裏切った。ホロキャスターのコール音が鳴ることはなかったし、地下で押したボタンも青色だった。万物をその手に持っていそうなフラダリさんは、でも、こんなちっぽけな女の子の挙動を予想することさえできなかった訳だ。カロスの全てを救おうと躍起になっていたフラダリさんは、でも、こんなちっぽけな女の子一人救うことさえできなかった訳だ。フラダリさんは、シェリーというたった一人に叩きつけられた「絶望」により、「諦める」ことをようやく学ぶに至る訳なんだ(この「諦める」部分が木犀であり躑躅であり樹海でありMethinksである)
『世界という漠然としたものやそこに生きる大勢を救うことよりも、たった一人を確実に引き上げることの方がずっと難しい』
……この真理は何もなまりとあかゆりにのみ当て嵌まるものではなく、拙作は大抵の場合、「たった一人を救うことの辛さと厳しさと難しさ」についてだらだらと書いてあるだけの代物なので、私にとっては馴染みのありすぎるフレーズなのですが、ただ、殊更にフラダリさんに対しては強く当て嵌めたい真理である、という気持ちではいます。ただでさえたった一人を救うというのは難しいのに、その相手がよりにもよってシェリーなんだものなあ。そりゃあかんよなあ、難易度高すぎるよなあ、4本中2本で失敗する訳だよなあ(メタやめろ)
ごめんなさい、頭に浮かんできた言葉を衝動的にウオォッ! としてしまっただけなので非常に読みにくい代物になっているかと思います。あと私はそろそろ神の花を未完結の状態であったとしても引っ越してくるべきですね、でないとこの内容の後半なんかもう何を言っているのか状態ですものね、ウオォッ申し訳ない!