今更感が否めませんが「何故あんなにも立派なフラダリさんがシェリーとかいうただただ臆病で卑屈なばかりの少女を気に掛けたのか」について少し話しましょう。
ローズさんがミレニアムなクレイジーラブの持ち主であったように、フラダリさんのラブもまたフォーエバーなクレイジーには違いなかったと考えます。でなきゃ「ならば神の力を使おう」などとは思うまい。ただ最終兵器を行使するまでは普通に、まっとうな試みでカロスをより良いものにしようとしていたはずで、それこそノブレスオブリージュを徹底してきた彼だから、誰一人として取りこぼすつもりなんかなかったのだと思うんですよ、最初のうちは。
ただその「誰一人として取りこぼすまい」が最早不可能であることを、人間の欲深さとかそういうのを目の当たりにしつつ彼は悟りつつあったのですよね。この内容は原作XYにも「ファイル」の形で言及がありますよね。
じゃあもうこの世界は駄目だ、人もポケモンも増えすぎたんだ、選別しなければいけない! となって、でもなかなか実行に踏み切れなくて……とかいうタイミングでやって来たのがこいつですよ。イッシュからやって来た臆病で卑屈な女の子。なんとかしてカロスに希望を見ようとしている女の子。そんな彼女を支えるべく、ハンカチを貸して、イッシュの言語で話しかけて、手を引いて、食事に誘って、適切の過ぎる助言までして、でも最後に言うんですよ。「しかし本当に君がカロスでの旅に耐えられなくなったなら、そのホロキャスターでわたしを呼びなさい」って。
(あ、このくだりはまだ引っ越しが完了していない「神の花」とかいう連載のあれなので、うん、……ひぇ早めに引っ越します!)
そう考えるとちょっとばかしドラマチックな(?)ことになる。フラダリさんはクライマックスシーン、原作でのフラダリラボ地下にてボタンを押す選択をシェリーに委ねたけれど、本当の選択、すなわちフラダリさんが最終兵器に手を掛けるか否かというところに関しては、彼の意思ではなく「シェリーの心」に委ねられていたということになるんだ。
この子の心を救うだけの力が今のカロスにあるのか、それをフラダリさんは見極めようとしていた。どういうことかというと、まあつまり、彼女が旅を続けられなくなって「もう無理です」ってホロキャスター経由で自分に助けを求めるのを待っていたわけだ、彼は。コール音が鳴れば、それはカロスという土地がもうその程度だったということ。コール音が鳴らなければ、それはカロスにこんな女の子を受け止められるだけの度量があったということ。このホロキャスターの呼び出し音こそが「ボタン」なんだ。フラダリさんはよりにもよって、旅にめちゃめちゃ不向きなシェリーにそんなボタンを持たせた訳だ。カルムとかサナとか他にも子供たちはいっぱいいたのに、よりにもよって一番、ボタンを押してくれそうな子を選んだんだ。君ならって期待したんだ!
君ならボタンを押してくれる。わたしがしようとしていることに賛同してくれる。わたしはただ、君のような人が生きやすい世界にしたいだけだ、って!
でも、シェリーは一度も彼を呼ばなかった。そこまで本当はまだ書けていないけれど、呼ばなかったんだよ一度も。でもフラダリさんは最終兵器を起動させてしまった。シェリーの心が助けを求めずとも、自分から、彼女を助けるためのアプローチとして神の力に手を掛けた。助けることを求められていないのに、助けたいと思ってしまった。
それは何故? というのは流石に本編中のあれやこれのやり取りから察していただきたいところではあるので(書いてもいないのに私はなんて傲慢なことを)今はただ某サイコロのように「絆されたんだよ」と濁すだけに留めておくけれども、そうした絆しを経て、どうしても助けたい、となったときに取るべきその行動を、もう彼は「最終兵器の起動」というもの以外に思い付きようもなかったんだ。……そう、そういうこと。
つまりはそういうことだったのだ!(この一文で締めればいいというものでもないのだと私はそろそろ知らねばならない)