世間一般で言うところの「男性をお相手とする破廉恥なお話(異性愛)」ってのは、大抵の場合、女性が語り手となる。
だってそうじゃなきゃ「愛されている」と思えないからだ。その女性の側に立って、男性に優しく触れてもらえるという感覚を味わえないからだ。
男性の側から描写したのではその同一視がひどく困難だ。だから男性視点が採用されることはほとんどない、と思う。
でも私はアポロさんを主体にした。アポロさんの視点から、神に触れる様を赤裸々に描写してきた。
その結果、破廉恥な話としてはだいぶ失格に類するものが出来上がってしまった。
だってそうじゃなきゃ「愛されている」と思えないからだ。その女性の側に立って、男性に優しく触れてもらえるという感覚を味わえないからだ。
男性の側から描写したのではその同一視がひどく困難だ。だから男性視点が採用されることはほとんどない、と思う。
でも私はアポロさんを主体にした。アポロさんの視点から、神に触れる様を赤裸々に描写してきた。
その結果、破廉恥な話としてはだいぶ失格に類するものが出来上がってしまった。
私は迷いなく語り手を彼にしたのだけれど「何故、クリスさんではいけなかったのか」と考えてきた。
それはクリスさんという「存在の不実性」を極めた人であるからして、
彼女を語り手に置いてしまうと彼女の存在が「現実味」を持つからそれは「彼女らしくなくなってしまう」からいけないのだろう、などと思ってきた。
勿論それだって理由のひとつに違いない。でも、なんか違ったんや。きっとそうじゃなかったんや。
「そういう風に読んでほしくなかった」から、私はアポロさんを語り手にしたんや。
青の共有・夜は、真に、アポロさんとクリスさんだけのための夜だった。そう思っていただきたかった。
だから読んでくださる方が共感したり没入したりするための「ゆとり」を排した形で書かなければいけなかったんだ。だからアポロさんに語らせたんだ。
きっとそういうことなんだ……なんてこった!