5/20、夜那さん

こんにちは、夜那さん。遊びに来てくださりありがとうございます。

あめふくさ島、今はタイムトラベルを繰り返し現在冬でございます。
桜の花びらのようにふわふわと宙を飛ぶ雪の結晶を乱獲したり、雪だるまに「もうちょい上手く作れや」とやんわり言われたりしながら、
ヒイラギの赤い実が生える低木ににっこりしつつ、フグ釣りに勤しんでいる……そんな毎日です。
一応、8月のハイビスカス風景も楽しみましたが、やはり10月の、金木犀が咲いているときが一番美しかった。あめふくさ島の「旬」とも呼べる時期でしたね。
もしまた遊ぶ機会を頂けましたら、その折にはタイムトラベルして10月にしておこうと思います。
こちらの島、地形はあまり変わっていないのですが、博物館の美術品が全て揃ったので、大塚国際美術館の真似事をしながら一緒にフロア巡りができますよフフフラダリ

宗教における平和共存についてのお話、詳しく聞かせてくださりありがとうございます! いやもう正直! めっちゃ! めっちゃ聞きたかった!
よし、では完璧に近い理想論を提示していただいたので、こちらからはそれを達成するために障害となりそうな「現実」の話をさせてくださいね。

【同じ場所に存在し互いを害さないこと】を実際に遂行するには「心の余裕」が必要です。
許すこと、認めること、妥協すること、諦めること……これらができる人が称賛されたり、あるいは憐れまれたりすることがあるのは、
ひとえに彼等が「周りが見えなくなる程の必死さでは生きていない」からだと考えています。
そして逆に「周りが見えなくなる程の必死さで妥協なく懸命に生きている」ような人種が、特定の宗教を信仰しているケースは少なくありません。
彼等にとっての絶対的な存在、かけがえのない想いを注ぐに足る「何か」……それを持っている人間というのは、言い方は悪くなるのですがとてもその、厄介なものです。

「大切だという想いが過ぎる時、彼等は盲目となる」などと、シアの手紙のように繰り返す気はないのですが、
懸命に生きており、必死に何かを想っている宗教家様たちが、別の何かを進行し別のベクトルで懸命に生きている他者を慮るには、
その必死さとは共存しにくい「心の余裕」を持ち合わせる必要があります。
自身と他者との共生というのは、自身の中にある「必死さ」と「余裕」の両立と同程度に難しいのかもしれませんね。

ものすごく、人間の性を信じていない無機質的な思想のようで少し心苦しくはあるのですが、
私は、宗教の共存をはかるには、そうした「心の余裕」というものを、もういっそ宗教の中にシステムとして組み込んでしまう必要があると考えています。
隣人愛、ではないけれど、異なる思想を持つ者、自らと相容れない者の存在を許し、害さないようにする……というような教え。
これが自らの進行する宗教の中に内包されていれば、彼等にとって「心の余裕」を持つことは「信仰」の一部となります。
許すこと、認めること。これらをシステム化するというのは外道の発想のようにも思えますが、機械的に考えることで得られる平穏も確かにあるように思えます。
……などと思ってしまうのは、私がもうすっかりDBHにどっぷりしてしまっているから、かもしれないのですが……(この葉月はもう手遅れだ)

なぁにぃ、たけのこだとぉ!? 夜那さん、私は、私は……それとは異なる派閥でして……ね……フフフラダリ
ただ、それこそ私は「何がなんでもきのこ派」というような、敬虔なきのこ信者ではありません。というか、ええ、たけのこもたけのこで好きなんです。
二つ並んでいればとりあえずきのこを手に取る、という程度の熱意しか持ち合わせていませんから、たけのこの里を受け入れ許し認めることは造作もありません。
狂おしい程にきのこの山が好き、という状況であれば、夜那さんに戦争をしかけたかもしれません。
「必死さ」と「心の余裕」との両立は、本当に、ええ、あまりにも難しいものですね。

とても興味深いお話ができました。お付き合いくださり、本当にありがとうございます。

緊急事態宣言が解除され、概ね世間様は喜んでいるように見えますが、一部の地域では早速、第二波らしき感染者の増大が確認されるなど、
やはりワクチンの開発・普及に至るまではまだまだ油断できない状況が続きそうですね。
一方で、これは個人的なことになってしまいますが、この暑い日が続く中、マスクを常にして外出しなければならないことを想うと気が滅入ってしまいそうになります。
ただ、マスク着用や自己防衛というのは、社会の末端にも程があるところで細々と生きているだけの私ができる貢献だと思っているので、怠らないようにしたいですね。

ああっと、そんでもってね夜那さん。にじさんじのメンバーに、またしても私、追いかける方が増えてしまいました。
DBHの実況を最近始められた、加賀美ハヤトさんなのですけれども、この方の考察や着眼点や選択やその心理的根拠がもう本当に、すごかった(語彙力の欠如が甚だしい)
というか私が知らないうちににじさんじの皆さん、かなりDBHやっていらっしゃいますね。やばいこれ全部見たいぞどうしようどうしよう……などとあわあわしております。
ニュイ・ソシエールさんは全く見たことがないのですが、確かにDBHプレイ者の一覧にお名前がございました。このお方の選択もお見届けしたいなあ。
名探偵は最近、逆転裁判の実況を始めたようでして、こちらも私、プレイ済みですので楽しく見させていただいております。
胸の大きな美人弁護士さんに対して「おお、胸に大志を! 二つの大きな大志を抱かれていますね」とか言っちゃうへっぽこ探偵さんですが、見ていると、うん、元気が出るんですよね。

あれっ皇女様と群道先生、交流があったのですね! それは未確認でした。
次回のお返事までに、群道先生のアーカイブなども幾つか確認しておきますね。

最後に。「英雄の二歩目」のご紹介、ありがとうございました。
BW主人公の置かれた立場の辛さに関しては、ゲームクリアした10年前からそれはもうひしひしと感じていたところではあったのですが、
アララギ博士がそんなトウヤに某伝説様の影を重ねていると思しき発言をしておられたところに、はっとさせられました。
出番を終えた英雄が山に引きこもってしまったとして、それは本当に致し方ない、ある種自然なことであるのかもしれません。
私が主人公たちをレッドさんに重ねなかったのは、対となるNという存在がいたからであり、彼等は孤高であっても、孤独ではないと信じられたからでした。
けれどもBWの段階では、Nは主人公を置いてそのまま立ち去って(独りにして)しまっていますから、
彼に対してネガティブな感情を抱いたプレイヤーは、主人公たちの孤独に胸を痛ませることが多々あったのかもしれませんね。

では、ありがとうございました!
通学など、まだ不安に思われる部分も沢山残しながらも生活再開となりましたが、どうかお体にお気をつけて、元気にお過ごしくださいね。
またお会いしましょう!

© 2025 雨袱紗