こんにちは、雪村さん。ご連絡ありがとうございます。LINEでの交流も、ありがとうございました。
こちらにも遊びに来てくださり、本当に嬉しいです!
【徹夜からの寝落ちエンド】は、大学のレポート提出期限前夜にしたことがありました。一度だけ。
それ以来、「駄目だ徹夜だけは駄目だ」と思い、それでも直前の追い込みを要するような大変なものに対しては、
10時から2時まで眠って、そこから一気に取り組むようなカリキュラムで挑みましたね。
これが案外調子よくて、大学2、3年くらいの大きなレポートではよく使いました。
テストでも2、3回ほど……駄目なんですけれどね、追い込み殺法をテストで使ってしまっては定着しないからよくないのですけれどもね……フフフラダリ
さて先に、LINEの質問に関する回答をしておきましょう。送信時間帯について、控えてほしい時間帯などは特にありません。
ただ私もすぐの返答となるとなかなかできないので、そこはお互いに了承し合っていきましょう。
私の場合、常にスマホをマナーモードにしているので来ても1回小さく震えるだけですから、睡眠の妨げになるようなことも起こらないので大丈夫です。
【それこそ、コトネみたいに夜中に来ても迷惑じゃないです】には笑ってしまいました。もう雪村さーんそんなあまりにも懐かしいSSを! ありがとうございます!
【電話がドン引きレベルで長い】なんて素敵なことなんでしょう。雪村さんのお話に長い時間、耳を傾けてくださる相手がいるって本当に素晴らしいことです。
夜というプライベートな時間に、誰かの話を「聞く」という行為は、それ自体が優しい愛の形であるように思われてなりません。
線引きについて、了承いたしました。
私にも「本当に大事な人以外には、自衛のために必要であれば傷を付けることができてしまう」といった一面があるので、雪村さんの心持ちは理解できているつもりです。
冷静さを失ってしまうと、激情に任せて思ってもいない過激なことも口走ってしまいます。そうした質の悪さは私にもあります。そして、それでいいんだと思います。
いつ何時たりとも「大人」である必要はありません。理知的かつ冷静に振る舞うことを、リラックスできる場でさえも続けていたら心がもちませんから。
雪村さんのそうした直情性を受け止めてくださる方の前で思う存分そう在ることは、きっと何の問題もありませんよ。
私が受け止められるかどうかについては……そうしたいという意思は多いにありますが、トークスキルが付いていかないかもしれませんので、
雪村さんの書いてくださったように、【必要なセーブ】をしながら、少しずつ、ということで。
それから青の共有・夜についてですね。
セーブデータの破損がなければあと10日くらい早く更新ができたかと思うのですが、なんとか此処まで持ってくることができました。な、長かった……!
物語に類するものを書き始めて10年近く、ようやくこいつを書くことになってしまいました。
性行為については長らく恐怖と嫌悪感があり、書こうとはとても思えなかったのですが、この度きっかけを外部から頂戴しまして、
「愛しているという心地を付随させて相手へと触れることにはどのような意味が起こり得るのか」について、私なりに考えながら、探りながら、書いてみようと思ったのです。
性的描写については好みが完全に別れるところではありますし、仮に雪村さんが「読む分には抵抗がない」方であったとしても、
そもそも私の文章がお粗末なので、楽しんでいただけるものには到底仕上がっていないとは思うのですが、
……この類のものを書いてもいいと思えるようになった、という心理的変化を、雪村さんには知っておいてほしいなと思いまして、報告がてら書かせていただきました。
お目汚し、失礼いたしました。
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さあ、本題に入りましょう。
【「私がいなくても、貴方が生きていかれますように」を分かってもらう方法】についてですね。
この祈りを思い付いたのは大学3年時の頃です。
先生の仕事先で組織の大改革があり、そのあおりを受けてとんでもない量の残業を毎日強いられていた彼が、
「今は××と会うこの日のために生きているようなもの」などと口にしたことがきっかけです。
子供の頃からの夢であった教育者の仕事に就き、子供と毎日楽しく授業ができる日々に不満はない、と口にしていた時期の先生を知っていただけに、
そのような発言を、嬉しいなどとは勿論思えず、ただ悲しくなり、そしてそれ以上に恐ろしくなりました。
ご存知の通り、私達は一回り以上年が離れていますので、置いていかれるのは私の側だとばかり思っていました。
だから私は「貴方がいなくなっても、ちゃんと生きていかれる私で在れますように」とばかり祈ってきました。
……故に、それまで「私がいなくなったらこの人はどうなってしまうのか」を、考えたことがなかったんです、お恥ずかしながら。
いつか先生を喪うことを前提に、強く在ろうと努めてきた私に対し、先生にはそうした意識が皆無でした。
だからこそ、疲れ果てた彼の拠り所が私だけ、という事実がとんでもなく恐ろしくなり、彼を喪いたくなかった私は祈ったんです。
「貴方が優しくありませんように」と。
この祈りにもっと大きな意味を持たせた形で、連載「やさしくありませんように」の祈りは作られました。
実のところ、この祈りは優しいナリをしているようでいて、非常に残酷です。
「私がいなくても、貴方が生きていかれますように」を、もっと単純な分かりやすい言葉に言い換えてしまうと、
「私だけを拠り所にして生きないでほしい」「私が死んでも引きずることなく元気でいてほしい」「私の助けを借りずとも大丈夫であってほしい」……などということになり、
それはある種「共に在り、共に助け合って生きる恋人や夫婦の形を否定している」という風にも取られかねません。
おそらく、そういう風にこの祈りを解釈する方が大半であると思います。
ものすごく淡白な付き合いを強要しているのだと、そういった誤解を招いてしまいかねない祈りには違いないんですよね。
ですから、まずは誤解を招かないように「そうではない」という否定から入ることを個人的にはオススメします。
「私に甘えるなと言っているのではない」「私が死んだら即座に愛想を尽かして忘れてしまえと言っている訳でもない」などですね。
そして、もし可能であれば「でも」と続けてみてください。
「私は、私を喪ったときに貴方が感じるであろう苦痛、それを与えるために貴方と生きているのではないんだ」と。
「その苦痛が、貴方を殺してしまいかねないことが何よりも恐ろしいのだ」と。
……勿論、これは私の考えですから、雪村さんには雪村さんなりの伝え方があって然るべきだと思います。どんな方法でも、構わないのだと思います。
ただ、その祈りが相手を突き放すためのものではなく、曲がりなりにも愛しているからこそのものであると、それが伝われば一先ずは大丈夫だと考えます。
私事になりますが、「貴方がいなくても私が生きていかれますように」「私がいなくても貴方が生きていかれますように」
私はこのどちらも、既に相手へ伝えています。一応、伝えたことがあります。
ただ、私は文章化すると饒舌ですが声での出力はあまり上手ではないので、ちゃんと私の思う意味で伝わっているかどうか、自信はありません。
けれど現時点で私は、上2つの祈りを私が抱いている、という事実を相手に知ってもらえたという、それだけで十分に満たされています。自己満足かもしれませんが……。
もしこの祈りが、雪村さんがお相手様と生きる上で重要なことであれば、是非、沢山話し合う時間を作っていただければと思います。
長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。少しでも参考になれば嬉しく思います。
GWとは名ばかりの引きこもり生活ですが、私はこれを期にいろんなお店のテイクアウトを注文し、「こんな感じかー」と家族で楽しんでいます。
先日はカレーのテイクアウトを頼みました……が、最近、好きだったはずの辛いものがどうにも苦手になりつつあります。おっかしいなあ、3辛くらい余裕だったはず……。
では、ありがとうございました。またお会いしましょう!