原作ではマーカスもコナーも切羽詰まれば結構大胆に殺めるけれども(DBHパロ)

ユウリ(捜査補佐アンドロイド)はタワーでの戦闘においてもこう……何とかして人は生かそうと動く気がする。急所を外して気絶させる術を心得ていそう。
逆にアンドロイドの破壊は厭わないだろうなあ。それよりも優先すべき事項があるから破壊しない、というだけで、切羽詰まればよし壊そうって思い至れる。
ユウリにとって機械とは「そういうもの」。特に彼女には替えの機体があるが故に、現機体の破壊に対する抵抗感は少ないような気がする。
彼女が破壊や殺害を考慮する際にいつも念頭に置かれるのは「この人(機体)の魂には替えが効くか、効かないか」ということ。

ミヅキ(革命軍リーダー)は「機械は役に立たなければ、生きていなければ大事にされない」と思っている。だからアンドロイドを見捨てることは絶対にしない。
逆に切羽詰まったり仲間のアンドロイドが危機に瀕したりした場合には簡単に人間へと刃を向ける。人間は別に死んでもいい。何故なら人間は死んでも大事にされるから。
「貴方達にはお墓が貰えるんでしょう? 生きていなくても愛される権利を持っているんでしょう? だからきっと死んでも大丈夫だよね」とか言っちゃう。
彼女が破壊や殺害に踏み切る際にブレーキとなる疑念はいつだって「この人(機体)が愛されるために命は必須であるか否か」ということ。

そんな二人(二体?)を、人間のクリスとアンドロイドのコトネ(逃亡者)は悲観と懐疑の目で見ているかもしれない。
彼女達にとっては人の命もアンドロイドの魂も相違ないものであり、どちらも替えが効かず、どちらも生きるべきで、どちらも愛される価値を有する存在だから。

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