(ポケモン全く関係ない文豪様語りが長々と続いています)
苦手というか、うーん……。純粋に「楽しめる」ものではないと言った方がいいかな。
とにかく、難しいんですよね。私の精神年齢が低いせいか、物語に排斥されてしまう感覚を覚えることが多々あるのです。
彼の物語、短編はそうでもないのですが長編のヤツは特に「学問」という意識で向き合わないと、弾き出されてしまうんです。
使用なさっている言葉、感情の推移、情景描写が意図するところ、それらを睨み付けるように逐一見て行かないと取り残されてしまうので、気が抜けない。
逆に言えば、どの文字を取り零しても「完全ではない」と思わせてくださる程に彼の物語は「出来過ぎている」ということ。
つまり読み応えは最高にあるし、ジャパンが誇る大文豪として彼の名前はやはり外してはいけないのだろうなあと思います。
でもそれは、エンターテイメントとして「楽しい」「泣けてまう」「美しい」「面白い」「此処に行きたい」とか、そんなことを純朴にただただ思えるようなものではなく、
「深い」「重苦しい」「陰鬱だ」とかそういうネガティブな感情だけを読み手に植え付けていくものでもなく、
……うーん、どう言えばいいのかな……。
よし、「タイムラグ」と表現してみると、案外しっくりきたのでこれで書かせていただきます。
たとえば、太宰様。彼の文章は本当に「すっと」入ってくる。難しい言葉を使わず、複雑な展開を盛り込まず、ただ溢れ出る感情を泉のように湧きたたせている。
文字が目に飛び込んできてから「ああ、そうだ」と「確かに」と「なんて××なんだろう」と、そうした納得、共感、感動を抱かせるまでの時間があまりにも短い。
太宰様の物語はタイムラグがないに等しいくらいの勢いで短いため、読んでいると「脳に直接注ぎ込まれている」というような感覚になれて、心地が良いんですよね。
でも夏目様の書かれる長編はこのタイムラグが非常に長い。
かなり集中して読んでいるはずなのに、文字を解釈して、文章の流れを分析して、人物の感情を紐解いて、
「ああそういうことか」「それならば道理だ」と思えるようになるまでに、私はかなりの時間を要します。
彼の文章がそうした描写に欠いており不親切だとかそういうことでは全くありません。
丁寧に、詳しく書いてくださっているにもかかわらず、その内容がすぐに入ってこないのです。
本気で読み込もうと努めなければ、彼の文章はいつまで経っても彼のものであり、紙面上に留まるばかりで、容易に「私のもの」にはなってくれません。
彼の物語と私の脳は、非常に遠いところにあるのだと思います。
芥川様の物語も言葉選びが秀逸で、相応の難しさがあるのですが、彼のは何故だか「分かる」のですよね。なんでかなぁ。
この勢いのままに書かせていただくと、高校生の頃は全く理解できずに「この作家さんあたまがおかしい」とまで思ったにもかかわらず、
大学生になってから読んで「ああ……分かってしまう」と痛みを覚える程の強烈な共感を叩きつけてきた伝説のお方、安部公房様も素晴らしいですよ。
ジャンルとしては不条理小説というものに分類されるらしいと高校時代は教員さんにそう教わりましたが、でも「はちゃめちゃ」ではないし「カオス」でもありません。
遣る瀬無さと心地良さが絶妙なバランスで混ざり合っている彼の物語はまさに芸術!(ズミさんかな?)と言うべきものであると私は考えています。
ただ、あまり気持ちのいい話ではないので誰彼構わずオススメできるものではないのですが……でも私、大好きなんですよね……砂の女とか、砂の女とか……。
もっと多くの夏目様を読み込めば、私の脳は彼の物語に順応できるようになるのでしょうか。
それとも安部公房様のように、そのタイムラグは成長(いや、もう衰退かな)というか時の流れのようなものが縮めてくださるものなのでしょうか。
小説って、書いている側も「生き物」だと思っているし、読ませていただく側の感じ方もそれぞれ変わるという意味でもやはり「生き物」なんですよね。
本はセルロースなので人間の消化器官では栄養になどならないため、生命活動においては最高に無益で無駄なものであるはずなのに、こんなにも満たされてしまう。
不思議ですね。
そういえば、交換で送り出した私のサダイジャ「すなのおんな」は元気にしているかなあ。
まあ「すなのおんな」と名付けたにもかかわらずこいつはオスなんですけれどもね! HAHAHAやらかした!