長すぎる対話の最後に、クリスさんは、私がすべきことを教えてくれた。
「シアちゃんには、イッシュの各地に散らばってしまった、プラズマ団員だった人たちと連絡を取ってほしいの」
「皆に、私が連絡を?」
「他のことは私が全てしてあげる。資金も知識も時間も全部、シアちゃんにあげる。
でも、プラズマ団の人と話をして、彼等を再び集めることだけは、シアちゃんにやってもらわないといけない。これは、彼等を知るシアちゃんにしかできないことなの」
『シアちゃん、それは君にしかできないことだ』
ダイゴさんの言葉が脳裏を掠めた。あの時と同じ言葉を紡いで、クリスさんはキラキラした目をすっと細めて微笑んだ。
この、何もかもを持った素晴らしい人にできなくて、私にできることがあるのなら、勿論、全力で取り組みたかった。
「プラズマ団のような組織に、興味本位で入団する人は稀なの。大抵の場合、そうした組織は社会的弱者の居場所となっている場合が多いわ。
きっとプラズマ団に属していた人たちも、今のイッシュで上手くやれずに困っているんじゃないかな。そうした人を見つけて、力になってあげて、貴方ならできるから」
まるでプラズマ団のような組織に関わったことがあるかのような物言いに、私の心臓は少しだけ跳ねた。
彼女は以前にも、こうした組織に何らかの形で介入したことがあったのだろうか?その過去と、今の私の姿を重ねているのだろうか。
だからこうして、あまりにも献身的に力を貸してくれているのだろうか。
……今はまだ、何も解らなかった。解らなくていいのだと思えた。私が今、するべきことは他にあるのだから。彼女のことを知るのは、それからでも遅くない気がした。
私は沈黙し、彼女の言葉を咀嚼しようと努めた。
……私が、彼等の力になる。
どうすればいいのか、などということを聞くのは野暮だと知っていた。
困窮する人の願いは一つに括れるものではなくて、それへの対処だってあまりにも多様である気がしたからだ。
どうしたらいいのか。それは、彼等の話を聞いて、彼等の様子を見て、私が考えて動かなければならない。
「……今のイッシュで上手くやれている人には、声を掛けなくてもいいんですか?」
「ふふ、難しい質問ね。本当なら、声を掛ける必要なんてないのかもしれないけれど、私としては、できる限りそうした人にも話をしてほしいな」
「どうしてですか?」
「私達は新しい組織を作るの。プラズマ団という居場所を一から再構築するのよ。そのためには、そうした力を持った人間も、少なからず必要になってくる。
助けを必要としていない人には、逆に協力を求めなきゃいけない。話の内容はシアちゃんに任せるよ。大丈夫、シアちゃんの真摯な言葉は必ず彼等に届くから」
果たしてそうだろうか。13歳のこんな子供の言葉が、厳しい社会の中で私の何倍も生きてきた彼等の心に届くのだろうか。
昨日、初めて私と顔を合わせたばかりである筈のクリスさんは、私にそうした力があると信じて疑わない。彼女は私を過大評価し過ぎているように思える。
けれど、私にそうした力があると信じることで、私は少しだけ自信を取り戻した。
どのみち、私がやらなければならないのだ。私にしかできないことなのだ。それならば不安に苛まれながら取り組むより、全力で事に当たった方がきっと上手くいく。
山積みとなった、沢山の課題にくらくらと眩暈がした。けれど同時に、心臓は張り裂けそうな程に大きく震えていた。これは高揚と歓喜によるものだと知っていた。
私にも、できることがあるのだ。彼等の不条理に干渉し、新しい居場所を作ることができるかもしれないのだ。
誰かが必ず苦しまなければならないようになっている、この理不尽な世界を、少しだけ、変えられるかもしれないのだ。私は今、そのために動き出そうとしているのだ。
『迷ってもいいんですよ。悩んでもいい。それは悪いことではありませんから。
その迷いに答えが出なかったとして、それは当たり前のことなのですよ。世の中にはそうした問いの方が遥かに多いのですから』
アクロマさんの優しい言葉に縋ったあの日から、私はようやく前に進むことが叶おうとしている。
できないかもしれない。幼い子供の見る、拙い夢物語なのかもしれない。それでも、そんな夢物語に力を貸してくれる人がいる。もう、私は躊躇わない。
カフェを出て、ポケットから小さな鈴を取り出した彼女に、私は慌てて声を掛けた。
やらなければならないことは山積みだったが、肝心なところを全く話し合えていないことに気付いたからだ。
「あの、ゲーチスさんの裁判のお手伝いとかは、私がしなくてもいいんですか?」
寧ろ私は、そのためにこの人に会いに来た筈だった。
ゲーチスさんの弁護士たる彼女に真実を伝え、彼女の力になるために昨日、邂逅を遂げた筈だった。
いつの間にか、話はとても大きく壮大な方向へと舵を取ろうとしていたけれど、現実にはゲーチスさんの裁判だって、とても余裕のある状態ではない筈だ。
「駄目だよ、シアちゃん。これは私の仕事なの」
けれどクリスさんはその穏やかな笑顔のままに、私の申し出を拒んだ。
その空色の目が射るようにすっと細められていて、彼女は確かに微笑んでいるのに、その目はあまりにも鋭く、その青はあまりにも深かった。
「シアちゃんはただ、あの場所に立って真実を話してくれるだけでいいんだよ。「ゲーチスさんに脅迫されたことなんか一度もなかった」って、証言してくれるだけでいい。
あの場所は私の舞台。あの場所で彼を救うのは、私の役目。だからシアちゃんは手を出さないで」
その言葉に私は、彼女の、働く者としての矜持と誇りを見た気がしたのだ。
「大丈夫。あの時は救えなかったけれど、今ならもっと上手くやれる。私に任せて」
彼女はふわりと微笑み、その目から鋭さを完全に消した。
リン、と涼しげな音色を鈴が奏でれば、海の向こうから見たことのない、青と白の美しいポケモンが飛んできた。
私のお友達なの、と紹介したポケモンの背中に飛び乗り、クリスさんとポケモンは北西へと飛び去っていった。
*
シルバーさんに夕食は要らない旨を告げて、私はコトネさんの家を飛び出した。
久し振りにイッシュに戻るのだから、母にも顔を見せておこう。そんなことを思いながら、私はクロバットの入ったボールを宙に投げた。
私達に残された時間はあまりにも少なかった。けれど、不安にはならなかった。できないかもしれない、と思う気持ちはもう、消え失せていた。
だって、あまりにも嬉しかったのだ。私に何かできることがあるということが、私の夢物語に手放しで賛同してくれる人がいることが。
この震えには高揚も含まれているのだと、推測することは容易かった。
だからこそ、私に協力してくれたクリスさんの期待を裏切りたくなかった。私のできる全てのことを、できるだけ迅速にやり遂げたかった。
とにかく、この時の私は必死だったのだろう。
「シア」
だから、トウコ先輩に声を掛けられるまで、私は彼女が私を追いかけてきていたことに気付かなかったのだ。
私は慌てて振り返り、彼女の呆れたような顔を見て少しだけ焦った。イッシュが嫌いだと豪語する彼女のことだ、きっと私があの土地に向かうことにいい顔はしないだろう。
しかし私が言い訳を紡ぐ前に、彼女は困ったように肩を竦め、私の行動を許すように笑った。
「イッシュに行くんでしょう? 忘れものよ」
彼女は薄手のトレンチコートを私の肩にかけてくれた。更に私のサンバイザーを外し、代わりに別の帽子を差し出した。
その特徴的なデザインの帽子には覚えがあった。コトネさんが、いつも好んで被っているものだ。ベレー帽のようなふくらみと、大きな赤いリボンがとても可愛い。
「その長い髪、この帽子の中に隠しておきなさい。ロトムを連れた、背の低いツインテールの女の子を見て、あんただと疑わない人の方が少ないわ」
「ありがとうございます。コトネさんにも、ありがとうと伝えてください」
私はその膨らんだ帽子の中に、自分の髪を押し込んで被った。少し頭が窮屈な気がするけれど、大きなリボンのついた可愛い帽子に、少しだけ心が浮ついた。
トレンチコートのボタンを止めれば、もう完全に、旅をしていた頃の私とは別人の姿になることができた。
成る程、これなら私とは見抜かれないかもしれない。彼女のささやかな配慮に胸が温かくなった。
彼女が嫌うイッシュという土地に赴こうとしている私を、彼女は咎めない。私を責めない。今はそれで十分だった。その許しが何よりも有難いと思えた。
「それと、誰かに捕まりそうになったら、ちゃんと逃げてくるのよ?」
「それは心配しないでください。必ず逃げきれますから」
「あら、随分な自信ね」
私はいつものようにその背中に飛び乗り、得意気に微笑んだ。
もう随分長い間、顔を合わせていないあの人を思い起こさせるような抑揚で、紡ぐ。もし此処に彼が居たら、どんな風に笑っただろうか。
「私のクロバットに先制を取ったポケモンはいません」
2015.7.20