私の友達から、久し振りに連絡があった。私は舞い上がっていた。
双子の弟であるヒビキが入院し、お母さんもそれに付き添って家を空けてしまった。
私とシルバーの二人だけで過ごすには、この家はあまりにも広すぎたのだ。ヒビキが入院するのはいつものことだったけれど、この淋しさにはいつまで経っても慣れなかった。
だから、友達が「泊まりに行きたい」と言ってくれた時、とても嬉しかったのだ。私は舞い上がっていた。彼女の事情を知らないまま、その来訪をとても楽しみにしていたのだ。
けれど、やって来た彼女の顔色を見て、何かただ事ではないことが起こっているのだと直ぐに分かった。
先にやって来たNさんは、「少しイッシュにいられない事情が出来てしまったんだ」とだけ説明してくれた。
その少し後にやって来た私の友達、トウコちゃんは、その背中に小さな女の子を背負っていた。
長い、綺麗な髪がサラサラと揺れていた。ぐったりした四肢はトウコちゃんのそれよりもかなり華奢だった。
その少女を私のベッドに寝かせて、私達は一度、リビングに集まった。「ごめんね、急にこんなことを頼んで」と謝るトウコちゃんに、私は首を振って笑った。
「気にしないで。二人が来てくれて、私もシルバーもとっても嬉しいから」
それは本心だった。久し振りにこの二人に会えて、私はとても嬉しかったのだ。それはシルバーも同じことだ。
普段はあまり笑顔を見せない彼が、僅かに微笑んでいる。その事実はとても雄弁に彼の心情を語っていた。
私達はそれから、他愛もない話を少しずつ交わした。
トウコちゃんとNさんが抱えている「問題」について、一刻も早く理解しておきたい気持ちはあったけれど、でもそれよりも、疲れ切った二人を休ませてあげたかった。
しばらくして、トウコちゃんがお茶を一気飲みしてから、「長くなるけど、聞いてくれる?」と切り出した。
「コトネが解散させた「ロケット団」みたいな組織は、イッシュにもあったの」
「知っているよ、プラズマ団でしょう?」
「そう。しかもロケット団と同じように、一度、3年前に解散したんだけど、それから2年後にもう一度復活したのよ。
それを鎮圧したのが、さっき眠っていたあの子。名前はシアっていうの。私よりも4つ年下だから、コトネより2つ年下ってことになるわね」
シルバーは電話の傍にあったメモ用紙を取り、何やら書き込みを始めた。
彼は人の名前を覚えるのが苦手だから、シアという女の子の名前を書いたのかもしれない。
トウコちゃんはそんな彼を見て苦笑しながら、更に説明を続けた。
「今、そのプラズマ団の関係者が二人、出頭したの。名前はゲーチスとアクロマ。どちらもプラズマ団を率いていた、ボスと幹部のような存在よ。
当然、その関係者にマスコミは事情を聞こうとして、少しでも情報を持っている人間のところへ集まってくるわよね?私達はその連中から逃げてきたのよ。
シアと私はプラズマ団を解散に追い込んだ人間だし、Nは2年前のプラズマ団を率いていた人間だから、イッシュの馬鹿な大人が寄って来ない方がおかしいわよね」
「……これまでにも何度か聞いていたが、お前のイッシュ嫌いは度を越しているな」
シルバーがメモ用紙にその二人の名前を書きながら、そんな言葉を挟んで苦笑した。
その通り、トウコちゃんは自分の生まれ育ったイッシュという町が大嫌いだった。
それはとても悲しいことであるような気がしたが、私は彼女のイッシュへ抱く感情の正体に気付いていた。彼女はきっと、自分を曲げたくないだけなのだ。
イッシュなんて大嫌い、と零すトウコちゃんの言葉の裏には、Nさんと対峙する役を自分一人に押し付けた、力のない卑怯な大人達への憎悪が込められていた。
そんな大人達の世界の中に入って生きていこうと思うなら、そうやって自分に頼って来る狡い大人達を受け入れようと思うなら、自分のその憎悪を曲げるしかなかったのだ。
そしてトウコちゃんには、それがどうしてもできなかった。
だから彼女は、人を頼らない。諦めることも、驚く程に早い。
自分に力がないなら、他の誰かを頼ればいいのにと私なんかは思うけれど、彼女はどうしてもそれをしようとしない。
彼女が嫌う大人のようにはなりたくないからと、誰にも頼ることをしない。だからこそ、Nさんは彼女に「言われなくても」そっと手を差し伸べている。
傍から見れば、明らかに頼られているのはトウコちゃんの方なのだけれど、NさんはNさんで、トウコちゃんのことを見えないところでしっかりと支えているのだ。
彼女が此処まで強情に、他者の力を借りまいと生きて来られたのは、きっとNさんがいたからだと思う。
そして、私もトウコちゃんの友達として、頼まれないのなら自らが手を差し伸べるべきだと思い始めていた。
それはお節介だったのかもしれない。余計なお世話よ、といつもの毒舌でばっさりと切り捨てられるのかもしれない。
けれどそう言われてもよかった。そう言われたところで、私達の関係は揺らがない。私達は友達だ。そうした手を差し伸べられる距離にいると信じられた。
「……信じられないかもしれないけれど、その出頭した二人は、シアにとってとても大切な人なの」
だから、トウコちゃんからその言葉を聞いた時、私の頭の中には、私が彼女に手を差し伸べるために頼るべき、一人の人物の名前が即座に浮かんだのだ。
そして私は、笑ってみせた。
「どうして? 普通のことだよ。何も、おかしくなんかない。
だって私が好きになったのはポケモン泥棒のシルバーで、トウコちゃんが好きになったのはプラズマ団の王様であるNさんなんだもの」
そう告げるや否や、トウコちゃんは声をあげて笑い出した。私達、おかしいのね。そんなことを言って肩を震わせている。
此処に来て始めて、彼女は笑った。私はそのことに少しだけ安心した。
*
それから、私達の間に起きたことは、とても驚くべきことで、けれど実際に起こってしまったことだった。
シアが、頭をぶつけた衝撃で過去一年半分の記憶を失ってしまった。
トウコちゃんはその事実を淡々と私達に報告したけれど、内心ではかなり動揺し、困惑しているのだろう。
その日の夜中、日付が変わっても眠らずにリビングに残っていた彼女に麦茶を差し出して、私は2階に戻ってから、その廊下でポケギアを取り出した。
シアという子が、どうして自分の解散させたプラズマ団という組織の二人を「大切な人」だとしているのか。
その思いに至るまでの経緯には、どのような出来事や感情があったのか。
知りたいことは、沢山あった。けれど結論は、彼女が話してくれた通りだ。
シアは、アクロマさんとゲーチスさんのことを大切に思っている。それこそ、頭をぶつけた衝撃をきっかけに彼等の記憶を失ってしまう程に。
そしてその二人は今、シアの前から姿を消して、警察に出頭している。
それだけ解れば十分だった。私はコガネシティに住んでいるお姉ちゃんの元へ電話を掛けた。
私よりも5つ年上の20歳の彼女は、コガネシティの小さなアパートに法律事務所を構えているのだ。
2回のコール音の後に返事をしてくれたのは、そのお姉ちゃんの恋人の声だった。
「アポロさん、こんにちは! コトネです」
『……ああ、クリスの。どうしました。こちらは事務所の電話ですが、まさか仕事の依頼ですか?』
私はその質問をはぐらかし、彼女に代わってくれるようにと頼んだ。
彼は苦笑しながらその注文に応えてくれた。数十秒の沈黙の後で、聞き慣れたお姉ちゃんの声がポケナビから聞こえてくる。
「お姉ちゃん、久し振り!」
『コトネ、元気そうね。急にどうしたの?』
早寝早起きを習慣とする私が、1時という日付の変わった時刻に起きていることへの驚きがその声音には少しだけ含まれていた。
お姉ちゃんと連絡を取ったのは本当に久し振りだったのだが、世間話を重ねている暇はない。直ぐに本題を切り出した。
「あのね、受けてほしいお仕事があるんだけど……。ゲーチスって人、知ってる?」
実の妹からの仕事の依頼に、お姉ちゃんは本当に驚いたようだ。
しかもプラズマ団はイッシュの組織だ。地方を跨いだその「お仕事」を、彼女が受けてくれるかどうか解らなかった。
けれど彼女はしばらくの沈黙の後で、「いいよ」といつものやわらかな声音で答えてくれた。
私は何度も何度もお礼を言った。本当に嬉しかった。
私には何の力もないけれど、でも私はトウコちゃんと違って、他の人に力を求めることができる。
その力が、シアを、ひいてはトウコちゃんを救うものになると信じたかった。
全ては私の自己満足だけれど、彼女はきっとこんな我が儘な私を許してくれる筈だ。
『それじゃあ、依頼人はコトネってことでいいのかな?』
お姉ちゃんのその言葉に私は考え込んだ。
遠く離れたイッシュの土地、その警察に出頭したプラズマ団の重役。彼等を助けたいと一番強く思っている人物が、この場合、依頼人を名乗るべきだ。
それは勿論、今日初めて彼等の名前を知った私などではない。トウコちゃんでも、Nさんでもない。勿論、アクロマさんや、ゲーチスさんという人でもない。
示す名前はもう、決まっていた。
「依頼人はシア。そのプラズマ団を解散に追い込んだ、13歳の女の子だよ。……ね、なんだか私みたいじゃない?」
*
トウコちゃんは、シアがアクロマさんやゲーチスさんという人のことを思い出すことを恐れていた。
思い出せば、また彼女は傷付く道を選ぶから。彼女はそう言って苦しそうに笑った。
けれど私は、確信していた。シアはきっとその二人を思い出す。どれだけ時間が掛かっても、必ず二人を思い出してくれる。
大切な人の為に傷付くことを厭わなかったとして、それはだって、当然のことではないかと思ったからだ。
2015.2.19