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「君から連絡が来た時は本当に驚いたよ」

「お時間を作ってくれてありがとうございます」

「構わないよ、どうせ石を磨くか石を探すかくらいのことしかしていないから。……さて、ボクに聞きたいことがあるそうだね」

ダイゴさんはそう言って微笑んだ。かくいう私も、何故この人を訪ねたのか、彼を前にした今ですら確固たる理由を持てずにいる。
ただ、今ここで理由を一つ上げるとするならば、私は彼にどうしても、確かめておきたいことがあった。その確認のために、彼を訪れたのかもしれない。
それが真の理由ではないことに、私も気付いているのだけれど。

「ダイゴさんはどうして、ゲーチスさんが本当にしようとしていたことを知っていたんですか?」

『ゲーチスが「本当は」何をしようとしていたのか、なんて、ボクには興味がないんだ。でも、その建て前がトレーナーに与えた影響は大きかっただろうね』
ダイゴさんはあの日、こう言った。私はあの言葉に確かな衝撃を受けていた。

プラズマ団の思想を知らない人間は、イッシュでは殆どいない。
ポケモンの解放により、彼等を完全な存在にするべきだと謳い、時に思想による洗脳で、時に圧倒的な力で、トレーナーからポケモンを引き離そうとした。
事実、プラズマ団の団員によって、無理矢理に引き離されたトレーナーとポケモンは数多くいる。その過去を、イッシュの人間なら誰もが知っている。

けれど、彼等が知っているのはその思想だけである筈だった。
その思想の元に、その首謀者であるゲーチスさんが何を目論んでいたのかを、知る人間は本当に少ない。
トウコ先輩から聞いた話では、2年前の場に居合わせていたのは、彼女とNさん、彼女の幼馴染であるチェレンさんと、当時のチャンピオンであったアデクさんだ。
プラズマ団という組織が掲げた思想の本質、プラズマ団だけがポケモンを使い、無力な人々を支配するという、利己的な計画の本質は、この4人とヒュウにしか知られていない。
トウコ先輩曰く、残りの7賢人も、その事情を知らなかったのだという。
全てはゲーチスさんの利己的な欲望の元に展開されたことであるというその「真実」は、しかし明らかにされることはなかった。

『チェレンやアデクは、「もう解決したことだから、真実を告げて皆を混乱させる必要もないだろう」って、言っていたわ。
だから皆、ゲーチスがどれだけのことを企んでいたのかを知らないのよ。
……まあ、ポケモンを完全な存在にするためだとかいう自論があったからといって、それが、トレーナーからポケモンを奪っていい理由にはならないけれど』

彼女は、そう私に説明してくれた。
そして目の前に座っているダイゴさんは、そうした真実を知らない側の人間である筈だった。
トウコ先輩が話したのかとも思っていたが、彼女は「私はそんな面倒なことはしない」と否定した。
ということは、ダイゴさんは独自の推察の下で、あのような言葉を紡いでいたことになる。
彼がどのようにして真相に辿り着いたのか、とても興味があったのだ。

「ああ、簡単なことだよ。トウコちゃんはゲーチスさんを打ち負かしたそうじゃないか、ポケモンバトルで」

「……」

「ポケモンの解放を謳う組織が、当たり前のようにポケモンを連れている。ボクにはそれがとても不自然なことのように見えたんだ。
それで、思ったんだ。プラズマ団が掲げる「ポケモンの解放」は、建前なんじゃないかって」

確かにそうだ。本来、組織が「ポケモンの解放」を思想として掲げるなら、彼等こそがそれを実践して、人々に手本を見せるべきであった筈だ。
彼は肩を竦め「もっとも、これは部外者が立てた推測にすぎないんだよ」と笑う。

「だから、これが真相なのかを確かめる術はボクにはないし、その組織の本当の目的は何だったのか、なんて、手掛かりを持たないボクは想像することしかできない。
けれど前にも言ったように、その建前がイッシュのトレーナーに与えた影響は大きかっただろうね。彼等はきっと、より真剣にポケモンと向き合おうと思った筈だ」

「……その通りです」

「それにね、シア。建前を持つのは悪いことではないんだよ。社会の中で無駄な摩擦を避けるには、それを使いこなす必要がある。ボクも、君もね」

彼が紡いだ難しい言葉の意味を解りかねていた私は首を捻り、苦笑しながら「ごめんなさい」と零す。
彼は腕を組み、片方の手を顎に添えて考える素振りを見せ、しかし直ぐに私の方へと向き直った。

「例えば、ボクは君と会う場所として、このミナモシティのカフェを選んだけれど、それは君が毎日のように、ゲーチスさんのお見舞いに来ていることを知っているからだ。
だから、ホウエンの地理に疎い君が迷わないように、なるべくミナモシティに近い場所の方がいいと思った」

それは私も聞いていた。
彼に連絡を取った時に「君がお見舞いに行っている病院の近くだから、直ぐに見つけられると思うよ」と、私が迷わず辿り着ける場所を選んでくれたのだ。
「ありがとうございます」と軽く頭を下げると、彼は肩を竦めて、少しだけ楽しそうに笑ってみせた。
その笑顔に私はあの時の表情を重ねた。アダンさんの家のソファで跳ねまわり、スプリングを壊したという過去を暴露された時の、悪戯がばれた子供のような笑顔。
今のダイゴさんの笑い方はそれに似ていた。

「でもね、それが建前だったとしたら、どうだい?」

「建前……。それじゃあ、このカフェを選んだ他の理由があったんですか?」

「いい勘をしているね、その通りだよ。ボクは前から、このお店のエスプレッソを飲みたいと思っていたんだ。香りと舌に残るほろ苦さが素晴らしいと評判でね。
けれど、このお店は外観がとても可愛らしいだろう?明らかに女性向きなこの場所に、なかなか、一人で入る勇気がなかったんだ。
つまり、女性の君がいれば、ボクは躊躇いなくこの店に入ることができる。本音のところで言えば、ボクは君を利用したんだ」

私はこのカフェの外観を思い出していた。
背の低い小さなひまわりが、壁伝いに植えられていた。ドアノブは知らないポケモンの尻尾らしき形をしていて、入り口に敷かれたマットは淡いピンク色だった。
……成る程、確かに、成人男性が一人で入るにはそれなりの勇気を要する場所であるのかもしれない。
そして、彼の持っている小さなカップに入れられたエスプレッソは、その評判の通り、とても美味しいのだろう。
まだコーヒーの苦さに慣れない私が、コーヒーよりもさらに高濃度のそれを飲むことなどできそうになかったが。

「しかしそれを、そのまま君に伝えるとどうなるだろう? 完全にボクの嗜好で、場所を決めてしまうことになるよね。
そうするよりも、「君が毎日向かう病院から近い場所だから」と告げた方が、角が立たない。
そうした建前と本音の使い分けを、ボクも君も、きっと無意識のうちにしているんだよ」

「……とてもよく、分かりました」

それは本心だった。彼の説明はとても分かり易かった。難しい言葉を使うことなく、それでいて、必要以上に噛み砕くことをしない。
私の身の丈に合った言葉は、すんなりと私の中に入ってきた。それはとても好ましいことである筈なのに、私はそんな自分があまり好きではなかった。
彼の説明はとてもよく理解できたが、しかし、私が本当に理解したいと思える言葉は、此処にはない。

シアさん、貴方はどうしたいですか?』
脳裏を掠めるのは、苺の紅茶の香りだった。
私は彼の難解な言葉を理解したい。彼と同じところに靴底を揃えて歩きたい。
そうして初めて、彼のことを「尊敬」や「憧憬」といった感情を排して、誰よりも大切な一人の人として見られるのだと、私は信じていた。
私は彼よりもずっと幼く、無知で、愚かだった。

私はまだ、彼に相応しくない。

「繰り返すけれど、建前と本音を使い分けることは、この社会では悪いことなんかじゃない、寧ろ必要なことだ。
ただ、自分がその二つを使いこなすだけではいけない。君も同じように、誰かの建前と本音を見抜けるようにならないとね」

建前と本音を見抜く。
その言葉を私は、小さな声で反芻した。


「嘘か真実か、見抜くんだ。君が大切な人を守りたいと思うのなら」


それは、積み重ねた嘘を真実へと化かした私には、嘘と真実に対して不誠実を貫いてきた私には、とても難しいことのような気がしていた。

2015.1.18

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