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「ミクリは優秀なポケモントレーナーであると同時に、ポケモンコンテストではそれなりに名の知れたスターなんだ」

ポケモンコンテストという、聞き慣れない言葉に私は首を傾げる。
ボクもそこまで詳しいわけではないんだけどね、とダイゴさんは前置きしてから、私にポケモンコンテストの説明をしてくれた。
ポケモンの魅力を、コンディションとアピール審査で評価するそのコンテストは、かっこよさ、美しさなど5つの部門に分かれているらしい。
いかにポケモンの技を駆使して魅力をアピールし、コンディションを最高の状態に整えるかがポイントだという。
ミクリさんは、5つある部門の中の「美しさ」を競うコンテストで優勝を重ねていたらしい。

「ホウエン地方には、コンテストを行う会場が4つの町にあるんだ。その一つがミナモシティにもある筈だけれど、見たことはないかい?」

そう言えば、鮮やかな建物が港の近くにあった気がする。あれはポケモンコンテストの会場だったのだ。
そんな会話に相槌を打ちながら、私は自分の長い髪をタオルで拭いていた。
結局、1枚のタオルでは足りず、追加を2枚持ってきてもらう羽目になってしまった。親切にして頂いたアダンさんには頭が上がらない。

コトン、とお洒落なカップが私の前に置かれる。コーヒーの香りが鼻をくすぐった。
アダンさんにお礼を言ってから、私はそのカフェオレに口を付ける。身体の芯から温まる心地がした。私は両手でそのカップを抱え、手を温めることにした。

「もっとも、それは昔の話さ。今は私の姪が同じ場所で活躍しているよ」

「ミクリさん、姪さんがいらっしゃるんですか?」

「ああ、年の離れた姉がいてね。彼女の方がポケモンコンテストにおいては、私よりも才能があったらしい」

今はポケモントレーナーとして、アダンさんに師事しているんだ。と彼は説明してくれた。
ミクリさんの言葉に含まれた抑揚や、その優雅な仕草は、アダンさんに何処となく似ていなくもない。
もしかしたら、アダンさんもかつてはポケモンコンテストで優秀な成績を残していたのだろうか。
そう尋ねようとして、しかしそれは叶わなかった。ダイゴさんが唐突に話題を変えたからだ。

「ゲーチスさんは元気かい?」

その爆弾は唐突に落とされた。私は思わず息を止めて沈黙したが、直ぐに笑顔を作った。
はい、と勤めて朗らかに返事をする、その声は震えてはいなかっただろうか。
ダイゴさんは、何も知らない。彼はトウコ先輩曰く「石にしか興味のない奴」だ。だから彼との話題の中で、ゲーチスさんの名前が出たとしても、何ら問題はない。
しかし残念なことに、此処にいるのはそんなダイゴさんだけではない。

「ゲーチス? レディの知り合いかね?」

クッキーが上品に盛られた皿をテーブルの中央に置いたアダンさんが、その名前を拾い上げて首を傾げる。

「はい。ミナモシティの病院に入院していて、よくお見舞いに行くんです。その帰りに、こうしてホウエンを観光するのが好きなんです」

「おや、その方は何故わざわざ、遠いこの地を治療の場所に?」

「イッシュは、……少し、騒がしいところがありますから」

私は苦し紛れにそんな言葉を吐いた。アダンさんは「成る程、確かにそうだ」と笑顔で頷いてくれた。
そう、イッシュはとても賑やかで眩しい場所だが、それは騒がしさという形で静かな時間を奪う。
勿論、それはヒウンシティやライモンシティ、ホドモエシティといった都会町において当て嵌まることで、他の町はいずれも静かで、穏やかだ。

しかしイッシュをよく知らず、ポケモンワールドトーナメントのためにホドモエとその近辺にしか訪れていないであろう彼等に、
イッシュに対する「騒がしい」という印象を押し付けたところで、それを不自然に思うことはないだろう。
静かで空気の美味しいこのホウエンと言う土地を、療養の場所に選んだとして、それは至極当然のこととして受け入れられる筈だった。
そして案の定、アダンさんはそれ以上訝しい表情を見せることはなかった。

シアはイッシュから、毎日ホウエンに来ているのかい?」

「はい。私にはこの子がいますから」

クロバットの入ったボールをポケットから取り出して微笑み、この子に乗れば片道1時間と掛からずに此処まで着きます、と説明する。
アダンさんはボールの中のクロバットと目を合わせるや否や、「おや、あの時のクロバットではありませんか」と恭しくお辞儀をした。

「レディのエースには完敗したよ。雨の中、優勢に持ち込める筈の私のパーティを、悉く一掃していったのだからね」

「師匠でも歯が立たなかったのか。是非一度、私ともお手合わせ願いたいね」

ミクリさんが楽しそうにそう切り出した。
アダンさんを師匠と仰ぐ彼もまだ、水タイプの使い手であるらしい。ミロカロスというポケモンを大切にしているのだと、ダイゴさんが教えてくれた。

「あれ、クロバットがキミのエースだったのかい? ボクはてっきり、あのロトムだと思っていたけれど」

「だって、ダイゴさんは鋼タイプを専門としているじゃないですか。鋼タイプにクロバットをぶつけるのはあまりにも分が悪すぎます」

手元の石を磨いていたダイゴさんの言葉に苦笑して答えながら、話が少しずつポケモンバトルの方向に逸れていったことに安堵していた。
よかった。と思い、それと同時に少しだけ胸が痛んだ。
彼はこうして、世間に存在を知られることなく療養を続けなければならない身なのだと思い知らされたからだ。

彼のしたことを考えれば、当然のことだと思う。
イッシュを氷漬けにしようとして、人間とポケモンとを二度も引き離そうとした彼のことを、きっとイッシュの人は許さない。私も、許すことができない。
彼がその全ての責任を放り出して逃げてしまうことを、私はどうしても許すわけにはいかなかった。
私が彼等から多くを奪った責任を果たさなければならないと感じていたように、私か彼にも、多くを傷付け多くを奪った責任を果たしてほしいと思っていた。
けれど同時に、それはどうしても今であってはいけなかったのだ。
やっと生きることを選んでくれた彼を、ようやく治療の床についた彼を、呵責と責任の渦中に放り出すことはできなかった。もう少し、時間が欲しかった。

それは彼の為の時間でもあり、私の為の時間でもあった。
私はまだ見つけられていない。彼等から多くを奪った自分に対する責任の取り方を。誰かが必ず苦しまなければならないようになっている、この理不尽な世界での生き方を。

「ところで、そのゲーチスとやらはシアの恋人なのか?」

そんなことを思っていると、突然、ミクリさんがとんでもないことを問いかけてきた。
しかしそれは、ダイゴさんの口からゲーチスさんの名前が出た時のように、私を戸惑わせるものでは決してなかった。

「いいえ、違いますよ。ただの知り合いです」

「ほう、ただの知り合いのために、毎日のようにイッシュからお見舞いにやって来るのかね?」

アダンさんまでそれに便乗し、私はそんな師弟に尋問をかけられているような気分になった。
ダイゴさんが笑いながら「そのくらいにしてあげなよ」と窘めている。けれど私は、そんな二人に対しても笑顔を浮かべることができたのだ。

「ミクリさんやアダンさんが推測しているような関係を、私は持っていません。その人のことを好きだとか、そういう風に考えたことはありません。
ただ、その人を好きじゃなかったとしても、その人に手を貸したい、その人を支えたいって、そうした思いを抱いてしまうのは、特に不自然なことではないと私は考えています」

『世の中には、その人に「かけがえのない存在」を見出している訳ではないにもかかわらず、その人に手を貸したい、その人を支えたいとする複雑な思いが確かにあるのですよ。
そしてシアさん、貴方はそうした思いを抱く傾向が強いようだ』
彼の言葉を紡いで笑った。苺の甘い香りが脳裏を掠めた気がした。
彼等は顔を見合わせて「確かにそうだ」と頷いてくれた。

それは彼等の抱いていた疑念を解くための言葉だった。けれどそれは確かな質量をもって私の胸にストン、と落ちた。
そうなのかもしれない。私が彼の元へと足を運んでいるのは、彼のことが許せないからでも、彼に責任を果たしてほしいからでもなく、彼を放っておけないからなのかもしれない。
アクロマさんは、それを知っていたのかもしれない。知っていながらにして「間違っていません」と、私の背中を押してくれたのかもしれない。
だからこその揺れる目がそこにあって、だからこそ、彼は悲しそうに微笑んでいたのかもしれない。

温まっていた筈の指先が、少しだけ冷える心地がした。

2012.12.29
2015.1.12(修正)

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