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休日のホグワーツはとても静かだ。生徒や教師の姿を見ることは滅多にない。
ゴーストですらも、ちょっかいを出せる人間がいないためかその数はいつもよりかなり少ない。
探検するのに丸1日掛かる。そう噂される程に広いホグワーツを私は駆け抜けた。走りながら叫んでいた。

「お願い、出てきて!」

それは殆ど金切り声に近い状態で発せられた。
そんな声を聞いたゴーストは一斉に振り向き、相手が強い霊感を持つ私だと把握するや否や、わらわらと群がって来る筈だった。
しかし私のその声に気付くゴーストは一人もいない。半透明の影は先程と変わらずにただそこを漂っていた。
それは奇跡ではなかったのだ。奇跡など起きる筈がなかったのだ。それは彼女が私に掛けてくれた魔法のせいで、私は、ずっと。

「お願い、姿を見せて!私に気付いて!」

私が、気付かれない。
この無数にいる筈のゴーストの、その一人も私に気付くことがない。
願ってもないそのことが、この時ばかりはひどく恨めしかった。

「いるんでしょう!ねえ、何処?何所にいるの?」

動く階段を1段飛ばしで駆け上りながら、私は叫び続けていた。
やがてその場所を思い出すや否や、私は登ってきた階段をまた降り始めた。
彼女がいる場所など、一つしかない。どうして忘れていたのだろう。私は医務室へ続く廊下をひたすらに走った。

激しく走り過ぎて眩暈がする。こんなに走ったのは久しぶりだった。
しかし息を切らせている場合ではない。私は医務室の隣にある扉を開けようとした。

「開かない……。」

私はショックと疲労でその場に座り込んだ。12月の空気は床を冷え切ったものにしていたが、走って汗すらかいていた私は気にも留めなかった。
放心状態でその場に留まり続け、どれくらい経ったのだろう。
私はその冷たい扉に向けて、言葉を紡ぎ始めていた。

「守っていてくれたんだよね。ずっと私を助けてくれていたんだよね。」

もっと早くに気付くべきだったのだ。

ゴーストに煩く寄り付かれなくなったのは、彼女と一緒にいるようになってからだった。今思えば、あの時から既に私には魔法が掛けられていたのだ。
長い時間を過ごしていた彼女だからこそ掛けられる魔法が、ずっと私をゴーストから守ってくれていたのだ。

「Kから聞いたよ。私を心配してくれていたんだよね。
私が寂しい思いをしていることも、ゴーストを嫌っていることも知っていて、だから生きている人間のように振る舞ってくれていたんだよね。
そんな無理をしてまで、私の傍にいてくれたんだよね。」

此処には彼女はいない。解っている。解っていた。
それでもどうしても伝えたかったのだ。どうにかしてこの言葉を彼女に届かせる術を探していた。
しかし見つからない。私は無力だった。何も知らない愚かな子供だった。そのことに気付かされた。
彼女はこんな私を助けてくれたのだ。ずっと傍で見守ってくれていたのだ。

「騙された、なんて思ってごめんなさい。大嫌い、だなんて言ってごめんなさい……!」

謝りたい。話をしたい。会いたい。
何も知らなかった私を許して下さい。ひたすらに愚かだった私を許して下さい。
貴方を怖がり、侮辱し、拒絶して、それでもまたこんなことを思う私を許して下さい。


「お願い、会わせて。Yに会わせて。」


風が吹いた。
それは本当に僅かな空気の流れで、しかし私の濡れた頬はその風を拾い上げた。
閉じられていた筈の扉に僅かな隙間が出来ている。私は目を見開いた。立ち上がり、その扉に触れた。
鍵が掛かっていたかのように微動だにしなかったその扉は呆気なく開いた。

「……。」

私は真っ暗なその空間に足を踏み入れようとして、しかしそれは叶わなかった。何故ならこちらが一歩進むより前に、中から何かが飛び出してきたからだ。
飛びかかってきたそれは、私を冷たい床に押し倒した。
何が起こったのか解らず呆然とする私の上で、懐かしい声が鳴いた。

「エーフィ!どうして此処に?」

それはエーフィだった。淡いピンクの身体が私にすり寄ってきた。そこには確かな生きている生き物の温度があった。
彼女のパートナーである筈のエーフィが何故此処にいるのだろう。
何よりも、彼女がゴーストであったと知った段階で、彼女を形作っていたものは全て幻想だと信じていた私は、
目の前で確かな温度を持つエーフィの存在にただただ驚くしかなかった。
この子は本物?首を傾げた私の疑問を肯定するようにエーフィは小さく鳴いた。

更に扉が開き、懐かしいもう一つの顔が姿を見せた。

「ブラッキー!」

黄色い毛が眩しく光っている。まんまるの目を大きく見開いた彼は、私に歩み寄り、そっと手の甲を舐めた。
この子は彼女の手持ちでこそなかったが、よく彼女の部屋に出入りしていた。
ブラッキーの温度も確かに本物で、私はうろたえた。

彼等が本物であるという事実は私を複雑な気持ちにした。
何故なら私はもう、それが本物かどうか、実体をもつか否かで物事をはかることを止めていたからだ。
触れられなくてもいい。彼女に会いたい。会って謝りたい。お礼を言いたい。話をしたい。
なんと身勝手なことだろう。私は皆に甘え過ぎていた。ずっと守られ過ぎていたのだ。

「!そうだ、エーフィ。彼女は?何所にいるの?」

私はエーフィに詰め寄った。
彼女は長い尻尾でドアの向こうを指さし、小さく首を捻るようにして部屋の中へ入っていった。
埃を被ったその空間に入り、杖を取り出して「ルーモス」と光源発生呪文を唱えた。

明るくなった部屋には誰もいない。半透明の影も見当たらない。
彼女の姿はなかった。代わりにあったのは、ピンク色のマグカップだった。
私が叩きつけて割った筈のマグカップが、確かにそこにあった。私は信じられない思いでそれを手に取った。

「どうして、」

足元を見ると、よく似たピンク色の破片が散らばっていた。間違いない。私が割ったマグカップだった。
では、それと全く同じデザインのこのマグカップは、どうして。

「……ねえ、Y。」

私は彼女に向けて言葉を投げた。この声は届くと信じていた。
此処に彼女はいたのだ。私の声は聞こえていたのだ。

「新しいのを、買ってくれたの?」

それ以上は言葉にならなかった。私はマグカップを抱えて泣き崩れた。

2014.2.19

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