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私が知った、冷たい世界のこと。

一つ目。彼等はちょっとしたきっかけで、極端にその色を変えること。
私に集まっていた嘲笑と軽蔑の眼差しが、たった1回の試合を経て、称賛と尊敬の視線に変わったことを私は覚えている。
彼等は同じ人間で構成されている筈だった。同じ冷たい世界である筈だった。
そんな彼等の相反する2つの視線に私はうろたえ、しかしそれがこの世界の性質なのだと気付き始めていた。
群衆なんてそんなもの。トウコさんが言ってくれたことの意味が今なら解る。

二つ目。彼等は直ぐに忘れること。
私が寡黙で暗い子になった時も、彼等は驚き、笑い、しかし直ぐに忘れていった。
私がクディッチで活躍してから時間が経過するにつれて、その視線は徐々に薄れ、今ではあまり感じないようになっていた。
冷たい世界は気紛れで、飽きっぽい。

そして三つ目。そんな彼等に付き合う必要は全くないこと。
好き放題に対象を評価する彼等は、決してその本来の姿を知りたい訳ではない。ちょっとした話題の種として、時に誇張し時に批判する。ただそれだけのことだったのだ。
誰も本当の私を傷付けたい訳ではない。誰も本当の私を褒め称えたい訳ではない。誰も本当の私を知りたい訳ではない。
だから、そんなものに怯える必要も、それを気にして振り回される必要もなかったのだ。

私を知ってくれている人は他にいて、彼等は私のことを時に励まし、時に叱り、時に褒めて、時に慰めてくれる。
私は彼等のことなら信じられたし、彼等も私を信じてくれていた。それで良いと思えた。

そして私は、私のことも知らなければいけないと思った。他人からの評価だけでなく、自分で自分のことを認めることが必要だと思い始めていた。
あの子としか一緒にいなかった私は、自分を評価することを忘れていたのだ。
彼女は何もかも私より上回っていたから、私は無意識の内に自分の劣等感を育てていたのかもしれない。
自分を認めること。それは私にはとても難しい。その件に関しては今も苦戦している。
けれどそれは彼女のせいではなく、私が本来持っていたものなのだろう。私はやはり何所か歪んでいたのだ。

今も冷たい世界は変わらずに冷たくて、怖い。しかし私はもう屈しない。その温度に染まる必要がないことを知っているからだ。

コトネの元気な顔が見られて本当によかった。」

休日の午後、私は姉とダイアゴン横丁にやって来ていた。
必要なものを買い足し、歩き疲れたので休憩しようということで近くのクレープ屋さんに立ち寄った。
姉はイチゴのクレープ、私はオレンの実とモモンの実のクレープを頼んだ。生クリームの甘さとフルーツのジューシーな酸味がとても美味しい。
ホグワーツでもクレープを売ってくれないかなと思い、しかしこんなものを毎日食べていたら太ってしまうと思い直して首を振った。

「今、これを毎日食べたら太っちゃうって思ったでしょう。」

「どうして解ったの?」

「顔に書いてあったわ。それに、私も同じことを思ったもの。」

彼女は肩を竦めて笑った。たまにだからいいよね、と笑い合い、残りのクレープに手を付ける。
店内には甘い空気が充満していた。12月の外はとても寒く、甘いものを食べながら暖を取れるこの場所は格別混雑していた。

私は美味しいクレープを食べながら、最近起こったことを順番に話していた。
トウコさんとNさんという先輩と知り合ったこと、昼休みはシルバーも含めた4人で過ごしていること。
クディッチの代表選手に選ばれたこと。少しだけ怖くなくなった人混みのこと。新しく変わった世界のこと。
彼女はその全てを微笑みながら聞いてくれた。歌うように相槌を打つ姉に、私はひたすらに喋り続けていた。

「新しいことが沢山増えて、大変だね。疲れない?」

「どうして?疲れるってことはそれだけ充実しているってことでしょう?」

そう言うと、彼女は水色の目を丸くして驚き、しかし直ぐに笑った。
そうだったね、コトネは私と違って頑張り屋さんだものね、と頷き、もう残り僅かとなったクレープを口の中に押し込んだ。
事実として、私の生活は充実していた。相変わらず人混みは怖くて、冷たい世界を恐れていて、裏切られることが大嫌いだけれど、それでも良い気がした。
私は知らない内に、あの1年を許せるようになっていたのだ。

「ところで、もう透明マントは無くても良かったの?」

「うん、もう要らないんだ。どうしてかは解らないけど、ゴーストに寄り付かれなくなったの。」

それは良かったね、と嬉しそうに笑ってくれる姉に、私は用意していた質問を思い出した。
今となっては本当に些細な疑問だったが、このきっかけを逃せばきっと忘れてしまうと思ったのだ。それ程にそれは些細な疑問となってしまっていたのだ。

「……そういえば、このことをシルバーは知っていたみたいだけど、お姉ちゃんとの約束だから言えないって言ってた。お姉ちゃん、何か知っているの?」

すると姉は、もぐもぐと動かしていた口を不自然にぴたりと止めた。
しばらく考え込む素振りをした彼女は、鞄からノートを取り出して徐に開いた。
コトネはゴーストが苦手だから、シルバー君に黙っていてって頼んだんだけどね。そう前置きし、私の方に向けて差し出した。

「私が、お友達と話す時に使っているノートよ。」

そこには見慣れた姉の字があった。これが彼女の言っていた「筆談」なのだろう。私は罫線を無視して斜めに書かれたり、重なったりしている文字を読んだ。
『透明マントを借りて来て欲しいんだけど、出来る?』と、姉の字で書かれている。
その隣には『ゴーストの視線を浴びないようにするのが目的なら、私の魔法でその子の気配を消すことも出来るよ。』と別の字で書き込みがしてあった。

「気配を消す、なんて、私達には到底使いこなせないような闇の魔術だけど、長い時間を過ごしてきたゴーストなら簡単に出来るのね。感動しちゃった。」

「……。」

「結局、透明マントを借りたんだけど、でも彼女、念のためって言って、コトネに魔法を掛けてくれたの。24時間マントを身に付けている訳にはいかないものね。
結果的に彼女の厚意に甘える形になって、お姉ちゃんとしては不甲斐無い気持ちもあるんだけど。」

私は姉の言葉を拾うことが出来なかった。
自分に闇の魔術に分類される魔法が掛けられていたことに対するショックにではない。夢にまでみた霊感の操作がなされていたことに対する感動のためでもない。
そのノートに書かれた字から、目が逸らせなかったのだ。
細いペン先で、丁寧に書かれた字。罫線を無視した姉の字の隣に並ぶ、とても綺麗で整った字。

私はこの字を知っていた。

「そうだ。今度の日曜日に図書館に来ない?コトネなら彼女を見ることが出来るでしょう?直接会って、お礼を言うのもいいかな、と思って。」

「今……。」

「?」

「今、言ってくる!」

私は僅かに残っていたクレープを姉に押し付けて、店を飛び出した。
ダイアゴン横丁を駆け抜けた。途中で何度か転んだが、前のめりになってアスファルトに手を付く程度で立ち上がることが出来た。
買った全てのものを店に置いて来てしまった。ロープすらも椅子に引っかけたままにしていた。
冬の寒い風が容赦なく肌を突き刺した。それでも足は止まらなかった。止める訳にはいかなかった。

「……。」

私は叫び出したくなった。
呼ぶ名前などとっくに忘れていたというのに。

2014.2.19

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